私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー3-
源中納言涼が
「おかしい、りゅうかく風の音は暁の調子であるのに、少し変わっている。こういう風な手は仲忠はまだ覚えていないはずだが」
涼の席は朱雀院から近いので院はそのことを聞かれて、
「本当に私もまだ聴いたことがない。他の伴奏の音を消すようにして琴だけが綺麗に哀れに聞こえてくる。このように調子が外れて聞こえてくるのはあの琴の音であろう、もう少し高く弾くのだ、誰が弾いているのだ」
と、几帳の中に使いを遣る。返事は、
「楽の音は曲の数に限りがありますので暁に合う曲を例の通りに演奏をしています」
そのまま琴の音は色々な響きが周囲にまき散らされて面白く、伴奏の楽の音は静かになり細く微かになる。
ほのぼのと空が白くなり、。それでも風の音はなくて、空は少し霧が掛かるが澄み渡っている。会場の楽しい中に琴の音が哀愁を帯びて響いた。内侍督は朱雀院に演奏は犬宮であることをお知らせしようと、
「本当によく上手に弾かれましたね」
と、犬宮に言うと、それを聞いた朱雀院は驚きになって、几帳の帷子をなんとなく引き上げて中を御覧になると、先程までの琴の音は内侍督が弾いていたのではなくて、明るい火影に照らされて、犬宮が白い姿で美しく弾いていた。朱雀院は、
「もうこのようにまで上達したのだ」
と、犬宮を御覧になると、うれし涙がこぼれて、
「まだ子供の犬宮が弾いたのか」
と、おっしゃるのを周りの人達が聞いて、
「本当ですか」
と驚いて、仲忠一家を知っているので、
「血統というものは不思議なものです」
「真に道理である」
と騒ぎ立てる。
「凡人は一生涯懸かって習っても、決してこう上手く音を出せない。この子は俊蔭のひ孫で有る上に生来聡明であるからこんなに上手く弾けるのだろう」
兼雅は、人々の中で孫の犬宮のことであるから特に嬉しくて、
「喜びには涙を抑えることが出来ないもので御座います」
と、朱雀院に申し上げると仁寿殿女御は娘の一宮がどんなに誇りに思って鼻が高いであろうと思い遣りなさる。
嵯峨院は
「歳を取ったことを嘆いてはならなかった。何時も聞きたいと真から思っていた昔の曲を昔の手で聴くことが出来て、末の世によくもここまで保存され伝えられていたものだと、感心した」
と、仰有って、他人には真似できないほどの腕前の高麗笛を手にされて、演奏の琴に合わせて吹かれると、子供の犬宮が弾いているとはとても思えない。
「達人の域に入っている真に哀れで感に堪えない」
と、言われて立ち上がり、舞を舞い始められ、
ひめこ松ひきつることにしのびあへず 白き頭のし らぎまひせん
(幼い犬宮が見事に弾いたので嬉しくて我慢が出来ず、白髪の私は新羅舞をするのです)
と、詠われる。右大臣兼雅、
雲の上のしたにもかよふすゑの世に ひきとヾめつ ることのうれしさ
(雲の上から下界におりて今日末の世に犬宮が琴の妙技を受け得たことの嬉しさよ)
式部卿の宮、
このよにはあらぬ事とぞおもほゆる 空にはひヾき 水の流れて
(現世ではなく天上界でもいるような気持ちです。空には琴の音が響き渡り、地には清い水が流れるのです)
仲忠
ことの音の昔にすめる暁は 水もながれてかなしか りけり
(昔住んでいた京極の暁は、同じ琴の調べが水と共に清く澄み渡って悲しい)
と詠う。大勢の人の歌もあるのだが、ここには記されない。中納言涼は仲忠に、
「何を考えておいでです」
と、尋ねると、仲忠は藤壺の座す方を見て。
「貴方はどうして何も考えないのです。軽薄な心ですね」
「どういたしまして、貴方の詞をどうしてそのまま受け取りましょう」
と、言って笑う。
琴の音の不思議で流れ出た水は夜が明けると止まった。
朱雀院は
「今夜の内侍督の禄に何をすればよいだろう。犬宮も内侍督と同じように上手に弾いた。そのことにも何か褒美を上げないと」
と、考えておられた。多額の黄金はそれには値しないと思われて、。嵯峨院に、
「退位したために今夜の禄を満足に与えることが出来ないのは残念です」
「そうだな、どうすればよいだろう。私は退位してから久しくなった。仲忠を特進で大臣にさせて、この京極で大饗をさせては如何だろう。亡き俊蔭治部卿も少しは嬉しいと思うだろうかね。あの内侍督は正二位に昇任させて希代の琴を世に伝えさせたら、本人にも光栄になるだろう。朱雀院に申し上げる」
嵯峨院の考えは、
内大臣に仲忠。内侍督は正二位に加階するがよい。中宮、春宮、大臣家の大饗に準じて、内侍督家の大饗は許される。数に従って女大饗をすれば宜しい。
右の宣旨を始めとして、嵯峨院もその様なお考えである。当日の準備の品は院から下される。太政大臣以下次々に大饗の準備に入るがよい。
朱雀院の一宮(仲忠北方)を男御子の親王に準じて四品に叙することにしよう。
右のことを、帝に申し上げよ。
と、書かせられて、左右大臣と左大将を除いた人の官位を書きつけて、院は側に呼び出して署名をさせる。
二三人は署名をする。
仲忠は院のお考えを頂いて、
「仰せ言は畏れ多い極みでありますが、この度の大臣の宣旨はうけとれません。強いてご恩顧を賜るならば、勿体なくも御幸を忝なくして恐懼(きょうく)致しました記念として、この京極に冠を頂きましょう」
と、仲忠は何回も院に申し上げるので、朱雀院は嵯峨院に
「仲忠の言うとおりに致しましょう」
と、申し上げると、嵯峨院はただの消息文として左大辨を呼ばれて、帝に奏上させる。
嵯峨院の消息文は、
「私は歳も取りまして耄碌してきましたが、内侍督の家は昔も訪ねた懐かしい処なので、この頃出かけて琴を弾かせたところ色々と珍しいことがあった。
俊蔭は朝臣として仕えた功績もあるのに、命によって遣唐使として唐に渡る途中で遭難をして、永い年月父母に会えず悲しい目に遭い、たまたま帰国できて後、この京で間もなく亡くなりました。
内侍督は男であれば一度は大臣にさせたい者であったと今宵の琴の演奏を聴きながら思いました。
次に書きますことはそう難しい事ではないと思いますから直ぐに御宣旨下さいませ」
と、帝に申し上げた。さらに、
「仲忠を大臣に昇格と思いましたが、度々辞退をするので止めました。故治部卿俊蔭は三位でありました、中納言に遺贈位されてください」
と、付け加えられる。朱雀院は、
「嵯峨院が御幸されたので、お会いしたくて私も参りました。私が世話をしたいと思う四人の童は左衛門尉に欠員があるので、同じ事ならこの四人を尉にしたいので、宜しくお取り立てを願います」
と、申し上げた。帝は使者の左大辨に詳しく京極の様子を聞かれて、
「真に珍しい琴の音であった。軽率だと言われなければ私も行ってみたかった、と思っている」
と、言われて嵯峨院への返事、
「畏まってお読みいたしました。全くどのように難しい前例のないことでも、仰せのことにどうして否となんか言えましょう。まして容易なことばかりで御座います」
「おかしい、りゅうかく風の音は暁の調子であるのに、少し変わっている。こういう風な手は仲忠はまだ覚えていないはずだが」
涼の席は朱雀院から近いので院はそのことを聞かれて、
「本当に私もまだ聴いたことがない。他の伴奏の音を消すようにして琴だけが綺麗に哀れに聞こえてくる。このように調子が外れて聞こえてくるのはあの琴の音であろう、もう少し高く弾くのだ、誰が弾いているのだ」
と、几帳の中に使いを遣る。返事は、
「楽の音は曲の数に限りがありますので暁に合う曲を例の通りに演奏をしています」
そのまま琴の音は色々な響きが周囲にまき散らされて面白く、伴奏の楽の音は静かになり細く微かになる。
ほのぼのと空が白くなり、。それでも風の音はなくて、空は少し霧が掛かるが澄み渡っている。会場の楽しい中に琴の音が哀愁を帯びて響いた。内侍督は朱雀院に演奏は犬宮であることをお知らせしようと、
「本当によく上手に弾かれましたね」
と、犬宮に言うと、それを聞いた朱雀院は驚きになって、几帳の帷子をなんとなく引き上げて中を御覧になると、先程までの琴の音は内侍督が弾いていたのではなくて、明るい火影に照らされて、犬宮が白い姿で美しく弾いていた。朱雀院は、
「もうこのようにまで上達したのだ」
と、犬宮を御覧になると、うれし涙がこぼれて、
「まだ子供の犬宮が弾いたのか」
と、おっしゃるのを周りの人達が聞いて、
「本当ですか」
と驚いて、仲忠一家を知っているので、
「血統というものは不思議なものです」
「真に道理である」
と騒ぎ立てる。
「凡人は一生涯懸かって習っても、決してこう上手く音を出せない。この子は俊蔭のひ孫で有る上に生来聡明であるからこんなに上手く弾けるのだろう」
兼雅は、人々の中で孫の犬宮のことであるから特に嬉しくて、
「喜びには涙を抑えることが出来ないもので御座います」
と、朱雀院に申し上げると仁寿殿女御は娘の一宮がどんなに誇りに思って鼻が高いであろうと思い遣りなさる。
嵯峨院は
「歳を取ったことを嘆いてはならなかった。何時も聞きたいと真から思っていた昔の曲を昔の手で聴くことが出来て、末の世によくもここまで保存され伝えられていたものだと、感心した」
と、仰有って、他人には真似できないほどの腕前の高麗笛を手にされて、演奏の琴に合わせて吹かれると、子供の犬宮が弾いているとはとても思えない。
「達人の域に入っている真に哀れで感に堪えない」
と、言われて立ち上がり、舞を舞い始められ、
ひめこ松ひきつることにしのびあへず 白き頭のし らぎまひせん
(幼い犬宮が見事に弾いたので嬉しくて我慢が出来ず、白髪の私は新羅舞をするのです)
と、詠われる。右大臣兼雅、
雲の上のしたにもかよふすゑの世に ひきとヾめつ ることのうれしさ
(雲の上から下界におりて今日末の世に犬宮が琴の妙技を受け得たことの嬉しさよ)
式部卿の宮、
このよにはあらぬ事とぞおもほゆる 空にはひヾき 水の流れて
(現世ではなく天上界でもいるような気持ちです。空には琴の音が響き渡り、地には清い水が流れるのです)
仲忠
ことの音の昔にすめる暁は 水もながれてかなしか りけり
(昔住んでいた京極の暁は、同じ琴の調べが水と共に清く澄み渡って悲しい)
と詠う。大勢の人の歌もあるのだが、ここには記されない。中納言涼は仲忠に、
「何を考えておいでです」
と、尋ねると、仲忠は藤壺の座す方を見て。
「貴方はどうして何も考えないのです。軽薄な心ですね」
「どういたしまして、貴方の詞をどうしてそのまま受け取りましょう」
と、言って笑う。
琴の音の不思議で流れ出た水は夜が明けると止まった。
朱雀院は
「今夜の内侍督の禄に何をすればよいだろう。犬宮も内侍督と同じように上手に弾いた。そのことにも何か褒美を上げないと」
と、考えておられた。多額の黄金はそれには値しないと思われて、。嵯峨院に、
「退位したために今夜の禄を満足に与えることが出来ないのは残念です」
「そうだな、どうすればよいだろう。私は退位してから久しくなった。仲忠を特進で大臣にさせて、この京極で大饗をさせては如何だろう。亡き俊蔭治部卿も少しは嬉しいと思うだろうかね。あの内侍督は正二位に昇任させて希代の琴を世に伝えさせたら、本人にも光栄になるだろう。朱雀院に申し上げる」
嵯峨院の考えは、
内大臣に仲忠。内侍督は正二位に加階するがよい。中宮、春宮、大臣家の大饗に準じて、内侍督家の大饗は許される。数に従って女大饗をすれば宜しい。
右の宣旨を始めとして、嵯峨院もその様なお考えである。当日の準備の品は院から下される。太政大臣以下次々に大饗の準備に入るがよい。
朱雀院の一宮(仲忠北方)を男御子の親王に準じて四品に叙することにしよう。
右のことを、帝に申し上げよ。
と、書かせられて、左右大臣と左大将を除いた人の官位を書きつけて、院は側に呼び出して署名をさせる。
二三人は署名をする。
仲忠は院のお考えを頂いて、
「仰せ言は畏れ多い極みでありますが、この度の大臣の宣旨はうけとれません。強いてご恩顧を賜るならば、勿体なくも御幸を忝なくして恐懼(きょうく)致しました記念として、この京極に冠を頂きましょう」
と、仲忠は何回も院に申し上げるので、朱雀院は嵯峨院に
「仲忠の言うとおりに致しましょう」
と、申し上げると、嵯峨院はただの消息文として左大辨を呼ばれて、帝に奏上させる。
嵯峨院の消息文は、
「私は歳も取りまして耄碌してきましたが、内侍督の家は昔も訪ねた懐かしい処なので、この頃出かけて琴を弾かせたところ色々と珍しいことがあった。
俊蔭は朝臣として仕えた功績もあるのに、命によって遣唐使として唐に渡る途中で遭難をして、永い年月父母に会えず悲しい目に遭い、たまたま帰国できて後、この京で間もなく亡くなりました。
内侍督は男であれば一度は大臣にさせたい者であったと今宵の琴の演奏を聴きながら思いました。
次に書きますことはそう難しい事ではないと思いますから直ぐに御宣旨下さいませ」
と、帝に申し上げた。さらに、
「仲忠を大臣に昇格と思いましたが、度々辞退をするので止めました。故治部卿俊蔭は三位でありました、中納言に遺贈位されてください」
と、付け加えられる。朱雀院は、
「嵯峨院が御幸されたので、お会いしたくて私も参りました。私が世話をしたいと思う四人の童は左衛門尉に欠員があるので、同じ事ならこの四人を尉にしたいので、宜しくお取り立てを願います」
と、申し上げた。帝は使者の左大辨に詳しく京極の様子を聞かれて、
「真に珍しい琴の音であった。軽率だと言われなければ私も行ってみたかった、と思っている」
と、言われて嵯峨院への返事、
「畏まってお読みいたしました。全くどのように難しい前例のないことでも、仰せのことにどうして否となんか言えましょう。まして容易なことばかりで御座います」
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー3- 作家名:陽高慈雨