遺伝子について考えた人の話
驚いたことに、私の孫は私であった。それが、私が遺伝子について考えるようになったきっかけであり、答えは結局、ある人に教えてもらうことになった。
せっかくの話なので、誰かにお裾分けすることにしようと思う。
隔世遺伝というのか何なのか、孫はどこまでも私である。頑固なところ、不器用なところ、好みや思考回路、すべてが私であるのだが、困ったことに証明する手立てがない。また、誰しも口には出さぬことだが、その容姿は私の幼少時代そのものであった。しかし、過去、家族写真と私個人の写真がそれぞれ1枚ずつあっただけで、今は誰が持ち去ったのやら写真は記憶のみである。そのうちに、記憶が捏造され孫の顔に変わるのではないかと私は不安である。
遺伝子の不思議ということについて、私は考えたことはあまりなく、それは息子が私と似ていなかったせいである。娘はやや私と似ているようだったが、年を取るにつれての経年変化であり、生まれたての赤ん坊の頃には特段、似ているようにも見えなかった。孫を見ていると、私の考えをそのまま遂行している勇気ある人物に見え、それは私が年を取ったからであるが、まだもう少しこのまま生きていたいと思わせるには十分である。
私は、遺伝子についての本を古本屋で買ったり、本屋で最新の研究について立ち読みしたりしたが、そこには答えはなかった。ある日のことだが、若い女が私の元にやって来て私に尋ねた。「ドットって知ってる?」聞いたことはあるがと答えると、「それと同じなの」。彼女は私が常々疑問に思っていたことを知っているかのような謎の答えを私の元に置き、心の中から去っていった。
調べてみると、つまりは男と女のドット構成を事前に知る方法があるということらしい。構成を知ることにより、似た人を作り出すことは可能だということになるが、それで運命の神様がいるとすると、糸も存在する訳だな。私はやや興奮したが、誰にも話さなかった。それを科学的に証明することは容易いのかもしれないが、それは神の領域であり、知ることは罪ではないが行うことは罪であるかもしれないのだ。
だが、と私は孫の顔を見る度に頬が緩む。事実などどちらでもよいのだ。この子が笑う限り私は生き続け、遺伝子の継承は続くのだから。それから、私はパレットを取り出し、この色とあの色を混ぜると、と心の中で考えた。きっと明るい色になるだろう。
作品名:遺伝子について考えた人の話 作家名:みゅーずりん仮名