55歳で死ぬ!
床屋のマスターというものは話好きで、情報屋である。高岡が通っていた床屋のマスターは、それに加えて自信家で強面であった。だから多少高圧的なところはあったが、情報や知識が豊富だったので、高岡は懲りずにせっせと足を運んでいた。
当時高岡は二十歳の学生であった。夏休みで帰省していたが、まもなく大学が始まるので、戻らなければならなかった。それで戻る前に床屋に行くことにした。そうすれば床屋代は親が出してくれるので、その分浮くのである。
その日、マスターは高岡に妙なことを言った。
「おじさんは五十五になったら死ぬよ」
マスターは自分のことを高岡の前では「おじさん」、高岡のことを「自分」と言うのが口癖だった。
「どうしてですか?」
「どうしてって、死ぬから死ぬんだよ」
「理由があるでしょう?」
「理由なんかない」
「理由なんかないって、おかしいですよ。そんなの無理ですよ。自殺でもするんですか?」
「自殺なんかしない!」
マスターは声を荒げて言い張るだけだった。相手は刃物を持っている。おまけに強面。高岡はこれ以上問い詰めるとヤバイことになると思い、折れることにした。
「五十五で死ぬのは早いんじゃないですか?」
「いや、早くないよ。長生きしたって、しょうがないじゃないか。おじさんは太く短く生きようと思うんだ。だから、五十で引退して好きなことをするんだよ」
「この店はどうするんですか?」
「店は、息子に譲るよ」
高岡はこの日以来、マスターの言ったことが頭から離れなかった。(そんなに都合よく五十五歳で死ねるものか!、、、 いや、本当に死ぬ気か!? いったいどんな方法で?)それとともに、マスターの年齢が気になり出した。ずばり訊くのが確実ではあるが、何とも気が重たい! それとなく年齢を知る何かよい方法はないものかといろいろ思案した結果、干支を訊いてみることにした。すると寅だと言う。そこで、すかさず二十五年生まれの寅かと訊くと、どんぴしゃ、ビンゴであった。
(なんだ。オレより五つしか違わないじゃないか!)高岡はマスターがもっと年上だと思っていただけに、意外に思った。だから、自分のことを「おじさん」と言うマスターがなんともおかしくなってきた。
マスターの言ったことを将来、絶対確かめてやろうと決めた。
*
あれから二十数年が経った。高岡は床屋にいた。
「マスター、そろそろ五十じゃないの」
高岡は思いきって切り出してみた。
「いやー、気がついたらもう大台だよ。その点、自分は若くていいなあ」
「そんなに若くないよ。マスターと大して変わらないよ。ところでマスター、そろそろ引退するのかい」
「できるなら引退して、左団扇といきたいね」
マスターは柔和な顔で答えた。ひょっとして忘れてしまったのだろうか。それともとぼけているのだろうか。
「あれっ、人生設計変わったの?」
「人生設計は昔も今も変わらないよ。まだまだ働くよ。働かないと食っていけないでしょ」
マスターは相変わらず穏やかであった。
「マスターさ、何年も前に五十五で死ぬと言ったの覚えてる? そして、五十になったら引退して好きなことすると言ったよね」
「そんなこと言った覚えはないなー。」
「いや、確かに言ったよ。当時何回も得意になって言ってたよ」
高岡が何度言ってもマスターは冗談でも訊いているように取り合ってくれなかった。
しかし、しばしの沈黙のあと突然、表情が変わった。
「そんなこと言った覚えはない!」
マスターはあのときのように声を荒げ、しかも、持っていたカミソリが高岡の顔の前で震えていた。