私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上
「こっそりと誘い合わせて出かけましょう。仲忠侍従の琴だけは、涼君に対抗できますでしょう。比べてご覧なさい」
仲頼
「仲忠は弾かないだろうよ、帝の仰せにも応じられないのだから、お聴きになったら煩いことだ。今は、東宮には琴を、若宮には琵琶を教えてお出でのようだが、お暇はありますか。私は暇ですから楽ですから、例え唐土に渡ると言っても、制する親もなく、お許しにならない君達もいらっしゃいません」
そうしてみんなは出発した。旅姿の狩衣で、直衣装束は供に持たせて、仲頼少将と良佐行正は、桂の仲忠の屋敷に向かう。仲忠侍従も合流して都を離れた。
仲忠は思った。都の土産に何が良いだろう、二つと無い珍しい物はなんであろうか。彼の地には無い物はないであろう。仲忠は考えた。
昔各所に散り散りになった祖父の琴で今手元に残っている、「やどもり風」と名付けられたのを、かっての京極の家密かに埋められているのを母から場所を聞いて、夜密かに童一人を連れて掘り出しに行く。この琴を土産に持って行こうと考えた。
仲忠の父兼雅大将が出立の宴を開いてくれた。三人に、蘇芳の膳を四膳づゝ据えて、随身にも色々と料理を並べた。
さてみんなが紀伊の国に到着して、松方がまず一人吹上の御殿に入って涼に対面する。涼が、
「おや珍しいこと、。この間忙しくお帰りになられたが、またお会いできて嬉しいことです」
「大変有り難いお言葉で、また此方にお伺いしたいと思いましたが、競射の会の組み合わせのことなどで急ぎ宮中に戻りました。本日は、源少将仲頼様の粉河寺に詣でられるのでお供で参りました次第です」
「これは大変嬉しいことです。この辺におついでがあれば、皆様をご案内下さいませ。御馬を休めるところとしてでも」
「そう考えまして、お連れいたしております」
「鄭重にご案内してください」
涼はそういって奥に入る。装束を対面用の物に着替えて御殿の南端から降りて客人を迎える。寝殿の南端に仲頼他三人が並んで着座した。そうして祖父の種松が大宴会を催してくれた。
杯交換が何回もあって、例によって音楽の宴となる、色々な楽器奏者が集まっての演奏で、少将や良佐が、
「このような優雅な方が、かような田舎に名前も知られずに居られることよ。仲忠によく似た美しいご器量であるのに」
みんなは涼を見て、美しい方であると見ていた。少将仲頼が涼に、
「仲頼は此方へお伺いする予定ではありませんでしたが、松方が何かの話のついでに、此方のことを申しましたのを聞きまして、他のことは忘れて夜昼歩いて急いで此方に伺いました。
その甲斐が本当にございまして、お会いすることが出来ました。本当に嬉しいことです。貴方はどうして籠もってお出でなのですか。東宮が
『今、私は、楽器を巧みに演奏する楽人を捜しているが、なかなか見つからない、どうして楽人を見付けようか』
と、仰ってお出でですが、東宮は貴方のことをどのようにお喜びなさるでしょう。都に上られて、楽の方のお仕えをなさいませ」
「有り難いお言葉です。
ほんとうに、このようなむさ苦しいところにばかり籠もっておりますと、ひどく意気地無く引き籠もりがちになります。
京に上って、宮仕えをさせていただきたいのですが、こんな引き籠もりの者が、急に人との交際を始めると、見苦しいことが多いのでは、笑い者の代表になるのでは、と都へ上るのをあきらめて、長年このようにして過ごしてまいりました。
その私のことを何方かが、帝に言上なされたということを、風の便りに承って恐縮いたしておりますのに、こうのように直接勧められますと、いよいよ以て畏れおおく思ってしまいます」
「これはどうも、おかしなことを仰いますね。都にいる者は特別によいことでもあると仰るのですか、田舎にお居でですが、貴方こそ現在の世の中で最も立派な方として、評判になるでしょう。
東宮は、貴方のことをお聞きになって、
『どうしても一度会いたいお人だ。こういう身分で軽々しく行動が出来ない。嫌になるときがある。そうでなければ、吹上には是非出かけるであろう。私にはその様な自由が許されないのだから、涼の方から上京してはくれまいか』
などと仰っておいでです」
仲頼は退出するする途中で兵衛の陣によって
「良佐主(りょうすけぬし)は此処にいるのか。内裏に上ってこなかったが」
良佐主行正が出てきた。仲頼は
「久しく会わないので、どうしてかと伺いに来た」
「申し訳ありません。どういう訳か久しくこちらへ参りません」
「先日春日詣での時沢山飲み食いしたので、まだ苦しいのでは無かろうか、そうではないのか、仲頼は面白いことを耳にしたので、行正に教えようと思う」
「どのようなことですか。仲頼様のお聞きになったことなら結構なことでしょう」
「あの、紀伊の国の種松と言う方のことを、松方が話していた。私はそれを聞いて、じっとして落ち着いていられない気分になりました。ほんの少しだけ都を離れて紀の国へ行こうと思うのですが、どうだ貴方も一緒に行きましょう」
「神南備の産んだ子供のことでしょう。たいそう立派な方であると聞き及んでいます。行正も早くからそのことを聞いていまして、もっと早く紀の國へ行っていたところですが、暇がありませんでした。是非同道させてください。何時出発いたします」
「二十九日はどうだろうかと思っているが」
「どうでしょう仲忠侍従は行かれるでしょうか。必ず仲忠侍従をお連れ下さい」
「まだ話をしていない。心配なのはお暇がない方だということです」
「お暇が無くとも仲忠様は必ずお行きになります。さあ、桂へ、仲忠様を誘いに行きましょう」
ということで二人は桂の仲忠の許に向かう。
そうして桂の仲忠の御殿で藤侍従仲忠を呼び出して、紀伊行きのことを言う。仲忠は、
「これは楽しいお誘いで、いつものように父上のお叱りを受けることになりましょう。あなた方から父上に仰ってください」
仲頼が仲忠の父、右大将兼雅に会って言う、
「明後日にも、大変興味のあるところがありまして、我ら見物に出かけますが、仲忠殿をお連れしたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「それは何処であるのだ」
「紀伊の国の吹上浜のあたりへでございます」
「あの種松源氏の許へであるか」
「そうでございます。今朝、司の尉松方が話していましたことが驚くようなことでして、急に出かけようと思い立ちました」
「仲忠もそのことで出かけようと考えていたところである。しかし、私が許さないので出かけることが出来ない、遠慮することはない一緒に出かけてください。一人ではとてもよう行きはしない。連れがあるなら、私も安心だ」
「それは嬉しいことであります。このことをお話すのは恐縮に存じていましたが」
仲頼は兼雅の許可を得て、去っていった。
そうして仲頼は舅の宮内卿忠保の屋敷に戻って、北方に、
「明後日から、興味があるところがあるので、一寸出かけようと思うが、留守の間不安に思うでしょう」
「どちらへお出でになりますの」
「近いところだ、藤侍従、行正などが知っているところです」
北方は、両親の許へ出て、
作品名:私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上 作家名:陽高慈雨