私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院ー2
あだ人のさわに摘みつゝすれる色に
なににあやなく思ひいづらむ
(浮気な貴方が沢に山藍を摘んで摺りこんだ色に、どうして訳もなく私を思い出しなさったのでしょう)
貴方でなければそんな失礼なことを、よもや仰いますまい。と返事をした。
頭中将仲忠、臨時の祭り(賀茂祭り)の使者になって出かけるときに、
夕暮のたのまるゝかなあふことを
賀茂の社もゆるさざらめや
(夕暮れになればいいとそれが望まれてなりません。賀茂の社も貴女にお会いする事をお許しにならないとは思いませんから)
神のあらたかさを試みるためには只今お伺いいたしましょう。
と伝えた。あて宮は「ご立派なこと」と、
榊葉の色かはるまであふことは
賀茂の社も許したまはで
(榊の葉の色が変わるまで貴方とお会いすることは賀茂の神もお許しにはなりますまい)
私の信じることは神も同じようにお思いだと存じますよ。
仁寿殿女御の三番目の親王 弾正の宮は、
ひとりぬる年はふれども冬山に
まだひとえだのみえずも有る哉
(妻なしに独寝の年は久しくなったけれど、寒々とした冬の山には今もって一枝も見えませんよ)
涼(すずし)の中将、(あて宮を狙う新人登場)
霜の降った朝に、
いふことにこたへぬやなぞ冬の夜は
ことのはにさへ霜やおくらむ
(申し上げても御答えがないのはどういうわけでしょう。寒い冬の夜は木の葉にさえも霜が置くように口も閉じておしまいになるのでしょうか)
と、その様に思ってしまいます。
返事なし
七男の侍従仲純は、師走の一日に、梅の花が開き始めたのを折って、
年のうちにしたひもとくる花みれば
おもほゆるかなわが戀ふる人
(春を待たず年内にこんなにも早く花が開くのを見ては思わないではいられません。私の恋しい人のことが)
真っ先に思うよ。
と言ってあて宮に見せるが、見もしないで物も言わない。
蔵人の源少将仲頼は、晦(つごもり)の夜、読経が済んだ後内裏を退出して、このように送った、
憂ける年さへ今日にとじむれば
いつを思ひのはてといふべき
(憂鬱だった年も大晦日の今日終わりとなりましたのに、何時を物思いの最後と致しましょう、私の思いは果てないようです)
返事はない。
年が新しくなって朔日(ついたち)の日、良佐(りょうすけ)兵衛の佐 良峯行正、
たちかへる年とともにやつらかりし
君が心もあらたまるらん
(あらたまる年と共に、私に辛かった貴女のお心もあらたまるでしょう)
そう思ってお出ででしょう、今日は楽しいです。
藤原季房、勧学院の学生は帝の命令で、六十の問題を出されて、その答えが帝のお気に入ったのであろう、年が変わらないうちに春が来て、従五位下の内位を戴くことになった。大将正頼のお計らいで七日に官位を戴いて、十一日大内記の職に就けた。
季房を東宮の学士にするなどして、人気が高くなった。正月二十一日正頼の内々の宴に招かれて、着衣の色を六位の青色から五位の朱の衣に替えようと願う。
衣手の色はふたたびかはれども
心にしめることはかはらず
(今年は六位の青色の袍を着た上に、また再びご沙汰があって朱の袍に変わったが、私の心を占めているあて宮への愛情は変わりない)
とは歌ってみたが、あて宮には差し上げなかった。
忠こそ阿闍梨(あざり)宮あこ君を呼び止めて、このように歌を託した。
うぐひすの谷よりいづる初声も
世にうき物とおもひぬるかな
(谷から出て来た鶯の初音さえ楽しまず、つらいものとおもうようになりましたよ)
貴女を深く恋い苦しんでいなかったら、こんな風に思われる筈はございません。
あて宮は仏道に入った阿闍梨までがこのよう、と恐ろしくなった。
(嵯峨院終わり)
作品名:私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院ー2 作家名:陽高慈雨