私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院
宇津保物語 嵯峨院
俊蔭の巻の終わりに相撲の節の還饗(かえるあるじ)の席に左大臣正頼が来賓されて仲忠と仲純が知り合う。
仲忠侍従が内裏より退出するその足で左大臣の門前に来て訪問を知らせるために門を敲く。正頼の家来の藤原員親(かずちか)が出てきて仲忠と会って、「仲忠様がお出でに成られました、侍従仲純様にお取り次ぎを」
「どうぞ中へお通しして」
仲純は、自分の部屋に呼び入れて話をする。
仲忠は、
「先日は酒を過ごして酔いましたのに、お会いくださって、とんだ失礼を致しました。そのお詫びを申し上げたくてお伺いいたしました」
源の侍従仲純は、
「大変恐縮です。先夜私の方こそ失礼なことがあったかも知れまん。少しも覚えがありませんのは、私の方がずっと酔っていたのでございましょう
などと言って楽しく話をされた。仲純は、
「こういうように只一人なのです。時々はこちらに来てください。通う女も居ませんので、退屈で困っています」
「どうしてそうしていらっしゃるのですか。仲忠こそ内裏以外に行くところがないので、良家のあなた方の行く先は牛の毛ほど沢山おありでしょうが」
「仲純の行くところはよく言われるように牛毛鱗角(学ぶ者は牛毛の如く成る者は麟角の如し)ほんの鱗角ぐらいの所ですよ」
と言って笑う。親密に話をして、お互いに助け合おうよ、と言って分かれた。
仲忠侍従が仲純の所に、このように時々訪問するので、仲純の父親正頼大臣がそれを聞いて、
「仲忠侍従が時々訪問してくるのを、子供達よ、大事におもてなしをしなさい。琴に限ってはなかなかの腕であるが、教えてくれないであろうから、他のことも真似が出来ないほどの巧者であるのだよ。一寸したことでも良く聞いて憶えなさい」
と言い聞かせた。
仲忠はあて宮に懸想をする気持ちがあり、だから仲純の所にこのように度々訪問してくるのである。そうして自然に正頼一家の者となり、女房達と話し合うようになり、その中に孫王の君と呼ばれる良い家の娘がいて、あて宮付きの女房になっている。その孫王女房に、仲忠は自分のあて宮への想いをそれとなく話すのだが、つれない答えばかりが返ってくるので、見映えのする萩を折って、葉に書き付けた。
秋萩のしたばにやどる白露も
色にはいづる物にざりける
(秋萩が下葉に宿る白露で、やがて黄葉するように、下の思いにこめていても、涙があらわにしてしまいます)
孫王の君に、折りがあったらあて宮に差し上げて、と言って渡した。孫王が渡したのであて宮は開いて見た。
また東宮から、
いつとてもたのむ物から秋風の
吹夕暮はいふかたぞなき
(いつでも|たとえ心の移り易い秋でも|貴女を信頼しているいるものの、秋風の吹く夕暮れはただでさえ淋しいのに、貴女のことを思うので言いようもなく堪え難いのです)
あて宮は、
吹ごとに草木うつろふ秋風に
つけてたのむといふぞ苦しき
(吹くたびに草木の色が変わっていくような、浮気な秋風につけて信頼すると仰有るのは、丁度私が秋風であるかのように思われて心苦しゅうございます)
兵部卿の宮から
玉しひや草むらごとにかよふらん
野邊のまに/\鳴くこゑぞする
(あなたを恋慕って泣くわたしの魂がどの草叢にも通うのでしょう。私に同情してどの野邊でも虫の鳴く声がするではありませんか)
あて宮の返しの歌
色かはる野邊にかよふときくからに
なくなる蟲の心をぞしる
(あなたの魂が移り変わる野邊に通うと伺いましては、なく虫の心も頼りにならないものだと存じます)
虫の心にもまして貴方の移り気が思いやられますよ)
右大将の兼雅はこの頃病気であったが、何となく不安で、
この頃病がひどくて、このことをお知らせしないで死んでしまうのかと思うと心細くなりますのでそれが自分ながら可哀想になるのです。
君がとふ言の葉見れば朝露の
きゆるなかにもたまや残らん
(あなたがお見舞い下さるお言葉を拝見できたら朝露のような、はかなく消えてしまう私も魂だけはこの世に残ることが出来るでしょう)
お出で戴ければどれだけ嬉しいことでしょう。
あて宮は聞くだけでお返事なし。
平中納言よりも
わきいづる涙の川はたぎりつゝ
恋ひしぬべくもおもほゆるかな
(湧き出る涙の川は絶えずあふれて、本当にあなたを恋うあまり死ぬのではないかと思います)
源実忠宰相、志賀に勧業詣でに出かける。その勧業の地で趣のある紅葉が露に濡れているのを折って、
我恋は秋の山邊にみちぬらし
袖より外にぬるゝもみぢば
(私の恋は秋の山辺に広がってしまったと見えます。秘めていた涙が袖から外に出ていつの間にか紅葉が濡れていますから)
と送ったのであるが返事はない。
源仲忠侍従は人のいないときに、あて宮の所に行って、
「こんなにあさましい心かと一方には自分を責めながら、また一方ではこんなに辛く当たる貴女を本当にひどい方だと思いますよ」
いろいろと言うが、あて宮は返事の言葉を出さない。
三春行正は、齋宮が京へお出でになるというので、そのお迎えに行き、津の國(大阪市西淀川区佃島のあたり)から、
津のくにのたみのゝしまはわたれども
我がながめには濡れぬ日ぞなき
(津の國の田簑島を渡りましたが、私の物思いの涙で濡れない日とてはありません)
絵解
絵は、あて宮の前に人が大勢集まっている。あちらこちらから参集する。
このように九姫に大勢の男が恋の懸想文を送っていることを承知の上で、男達は文を送ったということだけで少し満足するが、送らないと熱い火の中に住む心地がするので、懸想文を送ると、たまにはあて宮が返事をあげることもある。
だが、あて宮がとうとう返事を送らなかったために、あて宮を断念する男もあって、いろいろとあて宮を巡る多くのことがある。
其れを知る他人が、こう思うのは仕方がないことである。
このあて宮と同じ母を持つ兄の源侍従でさえ、妹を恋するのであるから。
この数年想いを我慢して無くそうとするが、其れもとてもあきらめることが出来ない。まだ望みを残して、
「あて宮を想っているとそれだけで、どうして自分の心をあて宮に知らせようか。時々あて宮に恋心をそれとなく示してみるが、知って知らぬふりをしているのであろう、全く人を寄せ付けない、愛想のない女だ」
と七男仲純侍従は、思い悩んで、八姫が夫左衛門督(さえもんのかみ)と住んでいる、八姫はまだ若いので、姉たちのように独立して曹司に住むことなく、父親の正頼は自分たちの御殿に一緒に住まわせている。そういうことで、昼間はあて宮の住む中の御殿で過ごし、夜になると大殿の御殿に帰る。
八姫は碁を打ったり、琴を弾いたり中の御殿で遊んでいる。外の姉妹よりもあて宮と仲が良かった。
俊蔭の巻の終わりに相撲の節の還饗(かえるあるじ)の席に左大臣正頼が来賓されて仲忠と仲純が知り合う。
仲忠侍従が内裏より退出するその足で左大臣の門前に来て訪問を知らせるために門を敲く。正頼の家来の藤原員親(かずちか)が出てきて仲忠と会って、「仲忠様がお出でに成られました、侍従仲純様にお取り次ぎを」
「どうぞ中へお通しして」
仲純は、自分の部屋に呼び入れて話をする。
仲忠は、
「先日は酒を過ごして酔いましたのに、お会いくださって、とんだ失礼を致しました。そのお詫びを申し上げたくてお伺いいたしました」
源の侍従仲純は、
「大変恐縮です。先夜私の方こそ失礼なことがあったかも知れまん。少しも覚えがありませんのは、私の方がずっと酔っていたのでございましょう
などと言って楽しく話をされた。仲純は、
「こういうように只一人なのです。時々はこちらに来てください。通う女も居ませんので、退屈で困っています」
「どうしてそうしていらっしゃるのですか。仲忠こそ内裏以外に行くところがないので、良家のあなた方の行く先は牛の毛ほど沢山おありでしょうが」
「仲純の行くところはよく言われるように牛毛鱗角(学ぶ者は牛毛の如く成る者は麟角の如し)ほんの鱗角ぐらいの所ですよ」
と言って笑う。親密に話をして、お互いに助け合おうよ、と言って分かれた。
仲忠侍従が仲純の所に、このように時々訪問するので、仲純の父親正頼大臣がそれを聞いて、
「仲忠侍従が時々訪問してくるのを、子供達よ、大事におもてなしをしなさい。琴に限ってはなかなかの腕であるが、教えてくれないであろうから、他のことも真似が出来ないほどの巧者であるのだよ。一寸したことでも良く聞いて憶えなさい」
と言い聞かせた。
仲忠はあて宮に懸想をする気持ちがあり、だから仲純の所にこのように度々訪問してくるのである。そうして自然に正頼一家の者となり、女房達と話し合うようになり、その中に孫王の君と呼ばれる良い家の娘がいて、あて宮付きの女房になっている。その孫王女房に、仲忠は自分のあて宮への想いをそれとなく話すのだが、つれない答えばかりが返ってくるので、見映えのする萩を折って、葉に書き付けた。
秋萩のしたばにやどる白露も
色にはいづる物にざりける
(秋萩が下葉に宿る白露で、やがて黄葉するように、下の思いにこめていても、涙があらわにしてしまいます)
孫王の君に、折りがあったらあて宮に差し上げて、と言って渡した。孫王が渡したのであて宮は開いて見た。
また東宮から、
いつとてもたのむ物から秋風の
吹夕暮はいふかたぞなき
(いつでも|たとえ心の移り易い秋でも|貴女を信頼しているいるものの、秋風の吹く夕暮れはただでさえ淋しいのに、貴女のことを思うので言いようもなく堪え難いのです)
あて宮は、
吹ごとに草木うつろふ秋風に
つけてたのむといふぞ苦しき
(吹くたびに草木の色が変わっていくような、浮気な秋風につけて信頼すると仰有るのは、丁度私が秋風であるかのように思われて心苦しゅうございます)
兵部卿の宮から
玉しひや草むらごとにかよふらん
野邊のまに/\鳴くこゑぞする
(あなたを恋慕って泣くわたしの魂がどの草叢にも通うのでしょう。私に同情してどの野邊でも虫の鳴く声がするではありませんか)
あて宮の返しの歌
色かはる野邊にかよふときくからに
なくなる蟲の心をぞしる
(あなたの魂が移り変わる野邊に通うと伺いましては、なく虫の心も頼りにならないものだと存じます)
虫の心にもまして貴方の移り気が思いやられますよ)
右大将の兼雅はこの頃病気であったが、何となく不安で、
この頃病がひどくて、このことをお知らせしないで死んでしまうのかと思うと心細くなりますのでそれが自分ながら可哀想になるのです。
君がとふ言の葉見れば朝露の
きゆるなかにもたまや残らん
(あなたがお見舞い下さるお言葉を拝見できたら朝露のような、はかなく消えてしまう私も魂だけはこの世に残ることが出来るでしょう)
お出で戴ければどれだけ嬉しいことでしょう。
あて宮は聞くだけでお返事なし。
平中納言よりも
わきいづる涙の川はたぎりつゝ
恋ひしぬべくもおもほゆるかな
(湧き出る涙の川は絶えずあふれて、本当にあなたを恋うあまり死ぬのではないかと思います)
源実忠宰相、志賀に勧業詣でに出かける。その勧業の地で趣のある紅葉が露に濡れているのを折って、
我恋は秋の山邊にみちぬらし
袖より外にぬるゝもみぢば
(私の恋は秋の山辺に広がってしまったと見えます。秘めていた涙が袖から外に出ていつの間にか紅葉が濡れていますから)
と送ったのであるが返事はない。
源仲忠侍従は人のいないときに、あて宮の所に行って、
「こんなにあさましい心かと一方には自分を責めながら、また一方ではこんなに辛く当たる貴女を本当にひどい方だと思いますよ」
いろいろと言うが、あて宮は返事の言葉を出さない。
三春行正は、齋宮が京へお出でになるというので、そのお迎えに行き、津の國(大阪市西淀川区佃島のあたり)から、
津のくにのたみのゝしまはわたれども
我がながめには濡れぬ日ぞなき
(津の國の田簑島を渡りましたが、私の物思いの涙で濡れない日とてはありません)
絵解
絵は、あて宮の前に人が大勢集まっている。あちらこちらから参集する。
このように九姫に大勢の男が恋の懸想文を送っていることを承知の上で、男達は文を送ったということだけで少し満足するが、送らないと熱い火の中に住む心地がするので、懸想文を送ると、たまにはあて宮が返事をあげることもある。
だが、あて宮がとうとう返事を送らなかったために、あて宮を断念する男もあって、いろいろとあて宮を巡る多くのことがある。
其れを知る他人が、こう思うのは仕方がないことである。
このあて宮と同じ母を持つ兄の源侍従でさえ、妹を恋するのであるから。
この数年想いを我慢して無くそうとするが、其れもとてもあきらめることが出来ない。まだ望みを残して、
「あて宮を想っているとそれだけで、どうして自分の心をあて宮に知らせようか。時々あて宮に恋心をそれとなく示してみるが、知って知らぬふりをしているのであろう、全く人を寄せ付けない、愛想のない女だ」
と七男仲純侍従は、思い悩んで、八姫が夫左衛門督(さえもんのかみ)と住んでいる、八姫はまだ若いので、姉たちのように独立して曹司に住むことなく、父親の正頼は自分たちの御殿に一緒に住まわせている。そういうことで、昼間はあて宮の住む中の御殿で過ごし、夜になると大殿の御殿に帰る。
八姫は碁を打ったり、琴を弾いたり中の御殿で遊んでいる。外の姉妹よりもあて宮と仲が良かった。
作品名:私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院 作家名:陽高慈雨