少し、サボろう
空は青く、白い雲が点々とあった。風に乗って右から左に流れる雲をみながら、お気に入りの歌を口ずさんでみる。口からこぼれたラララのリズムが空を 雲と一緒に流れながら飛んで、シャボン玉のように消えた。
ふと、後ろから屋上の扉が開く音がした。振り向くと、同じクラスの佐々木さんがこちらを見ていた。
佐々木さんはどちらかと言うとあまりマジメな感じの人ではなく、授業をサボったり、テストで赤点を取ったりするような人だった。かといって、性格まで悪いというわけではない。彼女は明るく、誰からも好かれるような、そんな人だ。セミロングの髪は黒寄りの茶色。少し丸い、彼女の笑顔にとても似合っている色。
「吉岡、なにやってんの?」
佐々木さんは驚いたように私を呼ぶ。
「息抜きしてた」
力なく笑う私の嘘を、彼女は見抜いただろうか。
となりに佐々木さんが歩き、私と同じように手すりに寄りかかる。
「息抜き、ね。 私はずぅっと、息抜きっぱなしだから、このままじゃしぼんじゃう」
そう言って、ニコっと笑顔を見せた彼女は正面を向いた。
私は普段、自分で言うのもなんだが真面目な方だ。授業をサボったことなんて今の今までなかったし、宿題だって欠かさずやった。部活だって部長になったし、忙しい両親の代わりに弟の世話までしてきた。
私のそういう生活を聞くと、大抵の人は「すごいんだね! 吉岡さん!」なんて言う。
きっと、本人も私もどこがどう凄いのかはわからないのだろうけれど、とにかく大抵の人は凄いという。
私は、凄いという言葉に何度もさらされるうちに、嫌悪感を抱くようになっていた。
その言葉の無責任さ。その言葉に含まれる同情。何より、「凄い吉岡さんを褒めている私はいい人」という自己満足がどこからともなく感じとれてしまうからだ。
それは、私の被害妄想かもしれない。
そうだとしても、私自信がそう感じてしまっているのだから、どうしようもない。
「風が気持ちいい」
佐々木さんは目を細めて遠くを見つめている。
「吉岡も、こっちにきなよ」
となりで柵に寄りかかっている佐々木さんは、柵を乗り越えて、不安定な足場に立ちながら、背中で柵に寄りかかっていた私にそういった。
「そっちにいたら、落ちちゃうよ」
その眼は、焦りも同情もなく、「風が気持ちいい」と言った時のままだった。
「足、ふるえちゃって」
私が苦笑いすると、佐々木さんはきょとんとした後、声をあげて笑った。そして、笑いすぎて出た涙を指で拭うと手を差し伸べてきた。
「ほら、一気に、ドカーンと乗り越えて」
その手を握ると、その元気な様子とは裏腹に、意外と冷たい体温がしみ込んできた。
佐々木さんは何も聞かなかった。ただずっと、屋上で私と佐々木さんは他愛のない話をしていた。
最近の男子は面倒くさい。
あの教師はキモチワルイ。
このバンドのあの歌がいい。
だけど、あのバンドの歌はよくわからない。
お互いの携帯電話についているストラップをかわいいと褒めあった。
「見て」
佐々木さんは腕をいっぱいに伸ばして、斜め上を指さした。
「飛行機雲!」
その指につられて上を見ると、一筋の白い雲が青空を真ん中で切っていて、それは少しずつ少しずつ伸びながら、少しずつ少しずつ後ろから消えていた。
「私、昔、うんと小さいころ、パイロットになりたかったんだ」
私がそうつぶやくと、佐々木さんはころころと笑った。
「女の子なのに? って思ってるんでしょ?」
微笑む私に、佐々木さんは笑顔のまま頷いた。
「なぁんでなりたかったんだろうって、今考えても全然わかんない」
「そういうもんだよ、小さいころの夢なんて。 私なんて、正義のヒーローになりたかったもん。 それに比べたら、十分、現実的だよ」
ひとしきり笑い終わって、佐々木さんがそういうと次に笑い出したのは私だった。
「パイロットのこと、言えないじゃない」
そういうと、せっかく収まっていた笑いがまた沸き起こったのか、佐々木さんも私と一緒に笑い出した。
笑い転げて、ヒイヒイいいながらも呼吸を整えた私たち。その時、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「あ、授業終わったね」
息を整え終えた私は佐々木さんを見ながら言った。
「そうだね」
次の授業に出るか、出ないか。そういう話をする気にはなれなかった。
だって、風はまだこんなに心地いい。
飛行機雲だってまだ消えてないし、お日様だってまだ傾いていない。
遠くの森では木々がそよいでいるし、鳥は気持ちよさそうに空を泳いでいる。
短い休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
私と佐々木さんは、ここで他愛のないおしゃべりを続けていた。
不思議と、最初に屋上に来た目的を忘れてしまっていた。
また授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「じゃ、さすがに最後のショートホームルームはでないとね」
私が言った。
「わ、吉岡さん、真面目!」
佐々木さんがふざけて笑った。
そんな佐々木さんの手を、私も笑いながら引っ張って、階段への扉を開けて 彼女を押し込む。
私も続いてそこに入って振り返る。
屋上は、日の光を浴びて明るく、暖かかった。
扉を閉めても、私の周りには屋上の空気が残っているみたいだった。