悠里17歳
1 長い一日
3月24日、神戸の街は日中こそは陽が照れば暖かくなるがまだまだ肌寒い。桜の花も開花に向けて着々と準備をしているように見えるが本当に咲くのかもどかしい季節だ。高校二年の終業式を終えた私はほとんどその足で電車に飛び乗った。先に待っててくれている兄と合流して、私はある冒険に出るのだ。
目的地はアメリカ合衆国、カリフォルニア。そう、私こと倉泉悠里(くらいずみ ゆうり)のルーツのひとつである「もうひとつの故郷」へ旅立つのだ。最後に行ったのが7歳の誕生日の時だから、かれこれ10年が経過している。あの時からもうすぐ17歳になる今までを振り返ると、確かに行く機会も縁もついでに言うと金銭的な余裕もなかったような気がする。それだけ我が家には大小色んな波が押し寄せていた。それも過去の話だ。自分が自分であるために、今、自らの意思で自分の内側を探る旅を外側に向けて発つのだ。
私は生まれも育ちも神戸のどこにでもいる高校生だ。ただ、私には二つの国籍と生粋の日本人とは違うDNAを持っている。祖母はアイルランド系のアメリカ人で、父は日系二世だ。しかし両親は五年前に離婚し以後お父さんとは会っていないけど、私は母や年の離れた姉に育てられ、大きく道を踏み外すことなくここまで来れた。
今年の頭に、祖母の容態がよろしくないようで、あと半年くらいという知らせを受け、私はこれから来ることが予想される怒濤の一年を前に今一度「自分」という存在についてのこれまでとそこから導かれるこれからを現地で確かめたかった。
チケットの段取りをしてくれたお母さん、私のためにわざわざ予定を合わせてくれたお兄ちゃん、滞在先の都合を付けてくれたお姉ちゃん、そして私の計画に理解と協力をしてくれた家族始めみんなにはとても感謝だ。
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計画の最初は空港で5つ年上の兄、倉泉陽人(はると)と会うことから始まる。ここまではほぼ時間通りだ、前日に忘れ物がないかは何度もチェックした。
お兄ちゃんと合流出来ると私は兄の背中について行くだけで空港の出国ゲートまでたどり着ける。お兄ちゃんは学生時代から「NAUGHT」という名前のバンドで活動を続けるお兄ちゃんはこれまでに何度か渡米していて、現在の事情に詳しい。ちょうど似たような時期にアメリカでライブをすることになっていたところに私の計画をお姉ちゃんから聞いて「一人では厳しいだろう」と言って、メンバーの了解を得て私と同行するために旅行会社を営むお母さんに頼んで、一人だけ遅れて私と同じ便を用意してもらったみたいだ。