奇譚回路
「賭けは常に真剣勝負に平等たれ。我の信条は如何なる者とて侵すのは許さぬ。我自身も、だ」
つまり、少年自身の失敗以外は対象外だ、と彼は言う。続けて本題の問に答えを返した。
「そうだな。先程は『帰り道』を賭けさせた。次は…」
ちらり、少年に目を向けて意地の悪い笑みを浮かべた賭け神は彼の心の臓を指す。途端、そこはびくりと跳ね上がった。
「次は寿命を貰おうか」
目標回数を上げれば上げるほど対価は大きくなる。負けても勝っても、だ。
だが怖気づいたのだろう少年がそれを聞き首を縦に振ることはなかった。彼はずりずりと後退り、塞がれた洞窟の入り口へ辿り着くと不自然な形をした岩戸を叩く。
その背後からゆっくりと近付く人影。恐る恐る振り返った先には先程同様に笑みを浮かべた神主の姿。声一つ上げることも出来ず、少年はただ震えた。
「なあに、勝てば何も失うものはない」
必要なのは己の度胸だけ。たったそれだけで、この洞窟を出る頃には生涯を遊んで暮らすことのできる大金が手に入るのかもしれないのだ。
「それに我が賭けろと言ったのは寿命だ。命ではない。最悪、負けても生きる予定の時間が少し削れるだけ」
ぽんと毬を少年に放り投げた賭け神は仰々しく両手を広げた。
「さぁ、伸るか反るか」
人生を賭けた大博打、此処に極まれり。
話を終え、最後の苺を口に含んでハガクレが箸を置く。
彼は「ご馳走様」と新良へ一礼をし、手早く荷物をまとめ始めた。
「えっ…話は今ので終わり!?」
落ちが見えないまま締められた奇譚に新良が非難の声を上げる。だがハガクレは彼を一瞥しただけで、止まること無く椅子から立ち上がり露天を後にした。
幸いこの店は先払い制で、先程のすとろべりい盛りも含め料金は支払済みだ。新良も慌ててハガクレの後を追う。
「ハガクレ、てめぇ! モヤモヤするだろうが。ちゃんと落ちを聞かせろよ!」
新良の方がハガクレよりも背が高く歩幅も大きい。少し駆け足になればあっという間に追いついた。それをハガクレが舌打ちをしながら尻目に見遣る。
「ああもう、五月蝿い。苺も尽きたならばこれ以上の会話は私に利得がないだろう」
彼は容赦なく吐き捨てる。それを聞いた新良は慌てて近くの菓子屋看板を掲げた店に駆け込み、一分もしない内に飛び出してきた。その背は未だ見える距離にあり、彼は全力疾走で駆け寄る。何とか追いついたのは朱塗りにされた太鼓橋の上だった。
「ほれ、きな粉餅!」
変哲のない焼いた丸い餅を少しだけ湯に潜らせ、きな粉と少量の砂糖をまぶしたもの。
新良のその声にハガクレはぴたりと足を止めた。ゆっくりと振り返り、油紙に包んで手軽に持ち歩けるようにしてあるそれを注視する。そこからはほろほろときな粉が舞うった。
「んん、仕方ないね」
差し出された餅を手に取ったハガクレは溜息を吐き、闌干にもたれながら餅に口を付ける。
「まあ。落ちなんて大したものじゃないよ」
そう前置いて、彼は先の話を続けた。
結果として言えば、少年は生きて帰ってきた。当然寿命も減っていない。
ならば千金を手に入れ億万長者になったのか?と問えばそうでもない。彼は洞窟に迷い込んだ時同様、何も持たずに出てきたのだ。
神社の先、神を崇めた洞窟に異様な空気を感じ取ったのだろう、近隣の山を巡っていた修験僧が駆けつければ既に少年は洞窟の出口でへたり込んでいた。
修験僧は何が遭ったのか少年に問う。彼は一部始終を語った。賭け神の遊び相手にされたこと、勝手に帰り道を賭けさせられたことや寿命を賭けろと言われたこと。
寿命を賭けろと言われた少年だったが、彼は拒否をした。すると賭け神は「ならば我は金子を止めて、ぬしの帰り道を賭けよう」言った。賭け神はこの不本意で理不尽な遊戯からただで帰す気が無かったらしい。当然、賭けさえ断れば何も失わず帰ることができると思っていた少年は青褪めた。
さあさあと言わんばかりに詰め寄る賭け神。彼の手中から少年が「何も失わず」逃れられる手はたった一つだった。
「洞窟に入るときには何も持っていなかった。だから、そこで手に入れた物を対価に払えば失わずに帰ることができると少年は考えた」
この世が正負の法則でできているならば、得たものを手放せばいい。少年は懐から先程手に入れた小判を取り出して「これを賭ける」と声を上げた。
賭け神は一瞬目を丸くして頭に疑問符を浮かべたが、少しだけ苦々しい面持ちで「成る程」と答えて了承をする。元々無理矢理帰り道を賭けさせて得た黄金。対価として十分だ。そして賭け神は「賭ける」と言われた物を拒否することは出来ず、理(ことわり)により常にその対価を支払う立場。今度は賭け神にとって不本意な勝負が成り立った。
目的回数はこれまた先程同様の五回。精神的な重圧はあったが絶望よりマシだ、と少年はあっさりと目的を達成する。
かくして得るものも失うものもなく、少年は無事に解放されたのだった。
「過ぎたるを求めば失うのが道理。欲張らなかった人の子が神に勝ったというお話さ」
餅を頬張りながらハガクレはそう言った。
成る程、と頷きその話を聴き込んでいた新良だったが「おや」と小首を傾げる。今の話、登場人物は賭け神と少年、最後に修験僧の三人だけ。そこにハガクレの姿は無い。
「作り話じゃあるめえな」
新良は訝しみ、鬼の碧色の片目を覗きこむ。対してハガクレは顰めっ面を浮かべてその瞳を真っ直ぐに睨み返した。
「私が君に対してわざわざ作り話をすると思うのかい。作り話をするぐらいなら初めから本当にネタが無いと断言するよ」
それもそうか、と新良はそこに関しては納得したが、ハガクレがどうしてその話を知ったのか依然腑に落ちない。
「言っただろう。私は顔が広いと」
「又聞きってこと?」
「さあね」
とん、と闌干から背を放し、ハガクレは再度歩き始める。そこから数歩進んだ所でふと思い出したように立ち止まった彼は、肩越しに新良へと目を向けた。
「あの鱗、大事にしてね」
香炉と交換に渡した龍の鱗。
漸く手に入った珍品なのだ。新良は当然だと言わんばかりに頷く。しかし、ハガクレの方からそう言ってくるのは珍しい。何故かと聞き返せば鬼は苦笑しながら手に持っていた番傘を開いた。途端傘に遮られてハガクレの顔が見えなくなる。ただ、そこから出された手だけがひらひらと振られた。
「危うくこの傘やお気に入りの収集品を失う処だったんだよ。まあ、そのおかげで『あの神様』からは面白い話も聞くことが出来たけれど」
慣れない賭け事なんてするもんじゃないね。その言葉を残し、舞うようにして傘を回した鬼は立ち去っていく。
今度こそその背を黙って見送った新良は懐紙に包まれた鱗を取り出し、薄暗い陽に透かして空を見上げた。
「成る程、本物なわけだ」
これを何処で手に入れたのか、無粋なことはもう聞くまい。ただ、意外と度胸のある友人に苦笑を浮かべずにはいられなかった。