私の読む「紫式部日記」後半」
「中宮さま、今のこの女房の歌と私の歌をお聴きになりましたか。立派な歌を詠みましたよ」
と自慢なさる。そして
「中宮さまのお父さまとして私は見劣りするようなことはありませんし、私の娘として中宮さまはご遜色なくていらっしゃいます。お母さまもまた幸せだと思って、にこにこしていらっしゃるようです。さぞかしよい夫を持ったものだ、と感じていらっしゃるでありましょう」
とご冗談を仰るのも大変お酔いになっていらっしゃることからだと思う。とはいえそれほどのご酔態でもないので、落ち着かない気持ちはしながらも、中宮さまはご機嫌よく聞いていらっしゃる。殿の北の方は、聞きづらいと思われたのか、退出なさろうとするご様子なので殿は、
「お見送りをしないといって、お母さまはお恨みなさるでしょう」
と仰って急いで御帳の中を通り抜けられた。
「中宮さまはこんなに酔いしれてさぞかし無礼なこととお思いでありましよう。しかし親がいればこそ子も安泰なのです。」
と、独り言を、女房達笑顔で見送る。
源氏物語書写冊子作り
中宮さまが宮中にお帰りになる日も近づき、女房たちは行事が次から次へと続いて気も休まらないのに、中宮さまには、御冊子をお作りになられるというので、ご指示を受けた私は夜が明けると、先ず御前に参上して書写する紙を選び、物語の原本を添えてあちこち書写の巧みな人に依頼の手紙を書いて配る。その一方で私は書写されてきたものを綴じ集めて整理する仕事を毎日進めていた。殿が、
「一体どうして子を持たれた方が、この寒い時分にこんなことをなさるのか」
と、中宮さまに仰るのであるが、上等の薄様(うすよう)の紙や筆、墨などを持参なさり、さらにお硯(すずり)までも持って来られた。中宮さまがその硯を女房たちに下されたのを、殿は大袈裟に惜しがつて、
「中宮さまのところにお仕えして、こんな仕事を始めるとは」
と私を責めなさる。そう言いながらも殿は私に上等な墨挟(すみばさみ)みや墨、筆などを下さった。
自分の部屋に、作成中の源氏物語などを、里へ取りにやって持って来て隠しておいたところ、私が中宮さまの御前にいる間に、殿がこっそ私の部屋にお入りになって、お探しになり、物語を二番目の娘妍子内侍さまに差し上げてしまわれた。まずまずという程度に書き直しておいた本は、みな紛失してしまったし、手直ししていない本が妍子さまに渡ってしまいきっとよくない評判が広がることになってしまつたことであろう。
若宮は、片言のお話しなどをなさる。帝におかれては宮中にお帰りになる日を待ち遠しく思いになられる、もっともなことである。
お庭の池に水鳥の飛来が日に日に多くなってくるのを見ながら、中宮さまが宮中へ還御なさる前に雪が降って欲しい、この庭の雪の様子は、どんなにか美しいことだろうと思っていて、ついちょっと里下がりした二日ほどの間に雪が降った。狭くて見栄えのしない実家の庭の木立を見るにつけても、気がふさぎ心が乱れる。ここ何年もの間、所在ないままにぼんやりとしていた日を振り返る。花の色、鳥の声、春秋に移り変わる空、月の光、霜、雪を見ても、ただ季節が回って来たのだな、と意識する程度で、わが身の行く末だけを考えて、先行きの心細さは晴らしようもない。
それでも、ちょっとした物語などに関して話合う人の中から、気持ちの通じ合う人とは、しみじみと手紙をやりとりする。少し疎遠な人には、あらたに手づるを探してまでも文通したものだが、ただこの私の物語「源氏物語」を話題として応答をし、とりとめない言葉のやりとりで無聊を慰めながら、自分などこの世に生きながらえる価値のある人間とは思わないものの、当面は、恥ずかしいとか、つらいとかと実感することなく何とか免れてきた。
ところが宮仕えをする身となってこんなにまで恥ずかしさ、辛さを思い切り味わわねばならない情けない私となった。
その情けない気持ちを慰められるか、とためしに私の物語を取り出して目をやってみても、かつてのようには感興が湧いてこない。そんな自分に呆れている。共感してくれた人でともに言い交わした人も、私をどんなに厚かましく考えのない者として軽蔑しているだろうと、余計なことを心配して、手紙を出すこともできない。
奥ゆかしく人から思われようと心がけている人、つまり俗人とちがって自分は高遠な心を持っていようと思っている人が、私に手紙を送ったら、どうせ簡単に読んで放ってしまい、送った文が散らばって他人に読まれことになるとつい疑う。そのように私を見ていてどうして私の心の中を察してくれることが出来るだろうか。それが当たり前のことだと、とても情けない気持ちでいる。そのようなわけで、交際を断ったというのではないけれども、自然に消息が断えてしまっている人もある。また私が、内裏や道長邸や里やとあちこち住処が定まらないものだから、手紙が着くかどうか分からないと推測して、文も更に訪れる人も次第に少なくなり、問題にするような事ではないにしても、今は別世界に生活しているんだという気持が、この実家に帰ると特に思いが昂じてきて、わけもなく悲しい気持になるのである。
今はただ、宮仕え先でいつも親しく話を交わし、多少なりとも心にとまる人とか、懇意に言葉を交わす人とか、自然と親密に言葉を交わせる人だけを、ほんの少し懐かしく思われるのがいかにも頼りないことである。
北の方倫子さまの姪である大納言の君が、毎夜、中宮さまのお側近くにお休みになっては、物語を語って宮にお聞かせするその声が漏れてくる気配が、里にいると恋しく思われるのも、宮の御前の勤めに慣れて、やはり俗世に順応してしまった、自主性のないわが心であるよ。歌を送ることにした。歌を贈る、
浮き寝せし水の上のみ恋しくて
鴨の上毛にさへぞ劣らぬ
(あなたとご一緒に仮寝をした中宮さまの御前ばかりが無性に恋しく思われて、ひとり寝する里の夜の冷たさは、霜の置く鴨の上毛のそれにも劣りません)
大納言の君からの返歌、
うちはらふ友なきころの寝覚めには
つがひし鴛鴦ぞ夜半に恋しき
(上毛に置く霜を互いに払う友も居なくて、ふと覚めた夜中、鴛鴦(おし)の様にいつも一緒であったあなたが、恋しいです)
その書体が実に素晴らしい、本当に申し分のないお方だなあと文を見つめる。
「中宮さまが雪をご覧になられて、あなたが、よりによってこんな美しい雪景色のときに里下りしたことをひどくお咎(とが)めでいらつしやいますよ」
と、同僚女房たちも手紙で知らせてきた。 北の方倫子さまからもお手紙を頂戴した。
「私がひきとめた里下がり、『すぐに帰参いたします』と言ったのも嘘で、いつまで里下がりをしているのでしょ」
と、文面にあったので、たとえご冗談にせよ、私も確かに早く帰参すると申したことでもあるし、何よりもこうしてお手紙を直々くださったことでもあるので、恐れ多いことと思い、予定を繰り上げて帰参しお目通りをした。
作品名:私の読む「紫式部日記」後半」 作家名:陽高慈雨