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私の読む「枕の草子」 258段-277段

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 人が破り捨てた手紙を見付けて、貼り合わせて継いで読むと、文意の続く箇所を何行も見ることができた。

なんという夢を見たものだと恐ろしくて胸がどきどきするのを、占い師に話すと、何でもないことですよ、と言われて嬉しかった。
 
 お仕えする中宮の前に大勢女房が集また時に、昔のことであっても中宮は今お聞きになって、世間の人は知っているようなことであれ、私の目を見て話される、大変に嬉しい。

自分の大切な人の住まいが田舎であり、また都であっても離れているときは、病気だと聞いて、一体どのような病状であるのか気懸かりで心配しているところに、便りがあって病は快癒したとの文面である、大変に嬉しい。

自分の愛する人が他人から褒められたり、高貴な方などがその人を何不足ない者として思い言いなさる。何かの折、もしくは人といい交した歌が評判になって、逸話を耳に聞いたまま記しておく「打聞(うちぎき)」などに書き込まれる。自分としてはまだ経験のないことだけれど、それでも十分推量できる。

あまり親しくない人が言った古詩歌の,分らないのを聞き知った場合もうれしい。後になって何かの本の中などで見つけた折はただもう面白く、ああこれだったのだと、その言った人に感心してしまう。

 奥州に産する、みちのく紙(檀紙)でも、
またただの紙でも、よいのを手に入れた。

気になる人が和歌の上の句を、または下の句を尋ねたときに、咄嗟に答えられたとき、
我ながら嬉しい。普段記憶していることでも、改まって人から尋ねられると、ど忘れして思い出さずに終わることが多い。

急な用で、探し回ると見つかった。
香合・絵合・貝合・根合など。左右に分れて何やかやと勝負事をするのに、勝つことが
何でうれしくないわけがあろう。
また、我こそはと思って得意顔な人をだまし得た。女同志よりも相手が男の時は一層嬉しい。

この仕返しは必ずしようと思うだろうと、
始終気遣いされるのも面白いのに、相手が一向平気で、何げない風で油断させ通すのも興味がある。憎らしい人がひどい目にあうのも、仏罰を蒙るとは思いながら、これも嬉しい。

何かの機会に衣を艶出しにやって、どんな具合だろうと思うのに、綺麗にし上ってきた。
装飾用に額にさす刺櫛を作らせたところ綺麗に出来たのも嬉しい。まだまだある。

 畿日も、また幾月も大病で病み続けた人が、快癒したのも嬉しい。思う人であれば自分の身であるよりも嬉しい。

 中宮の御前に女房達が隙間もなく坐ってい
る時、遅れて、今参上した人は少し離れた柱のそばなどに座る。私も遅れて坐っていると中宮が早速見つけられて「此方へ」と仰せられるので、女房達が通路をあけて、すぐ近くに召し人れられた、それは実にうれしいものだ。

【二七七】
中宮の御前で女房達と話す時でも、また中
宮が何か仰せられて言上するついでなどでも。
「世の中が腹立たしく煩わしく、片時も生き
ていられそうにもなく、ただもうどこでもよいから行ってしまいたいと思う時。普通の紙の真白で綺麗なのに、よい筆、白い色紙、みちのく紙など手にすれば、この上もなく心が慰められて、ああやっぱりこのままもう暫く生きていた方がよさそうだ、とそんな風に思います。また、白地に雲形の高麗模様畳縁(たたみべり)で、畳表が青々として編み目がこまかで厚みのあるのが、縁の色を黒く白く輝かせながら敷き詰められいるのを見ると、なんとなく、やはりこの世は全然思い捨てられそうにないと、命まで惜しくなります」
 と、申し上げると、中宮は、

「ひどくまあちょっとしたことで気がまぎれそうですね。
 わが心なぐさめかねっ更級や
   嬢捨山に照る月を見て
(私の心をどうしても慰めることが出来ないでいる。更級のその名も姥捨て山の月を見ていると)(古今集878)
 姨捨(うばすて)山の月は一体どんな人が見たのかしら」
と言われてお笑いなされた。御前にいる女房達も、
「ひどく簡単な息災のおまじないなのでしょう」
仏力により衆生の災(わざわい)を息(とど)める、息災、という言葉を使って笑う。

 この日から少し経って、心が落ち着かないことがあって里に下がっていた頃、中宮から立派な紙二十枚を包んで下賜された。
 そして御伝言の言葉は、「早く帰参しなさい」と言う出仕を促すお言葉ではなくて、伝言の女房は、
「この紙は、宮が、前に聞きおかれたことがあったので贈られるのです。良い紙ではないから、寿命経は筆写できないでしょうが」
 と、お言葉でした。聞いて大変おかしかった。私がとうに忘れた事をお心にとめおかれたとは、やはり普通の人でも結構なことだろう。まして中宮とあっては、真に疎かに思うべきことではないのだ。

 ありがたくて、胸がどきどきしてお礼の申しあげようもないので、

 かけまくもかしこき神のしるしには
       鶴のよはひとなりぬべきかな
(口にかけて申すのも勿体ない拝領の紙のおかげ様で、私は鶴の齢の干年も長生きできそうでございます)

 それではあまり長すぎましょぅか、とそう言上なさって下さいませ」
 と、使いの女房に伝えた。台盤所の下役の女が使いとして来訪していた。禄として青い綾織の単など与えて、実際に戴いた紙で草子を作ろうと一騒ぎすると、心のもやもやも消えて、楽しみが心の中に湧いてきた。

それから二日ばかりして、褪紅色に染めた狩衣を着た雑役の男が畳(ござ)を持ってきて「これを」という。
「あれは誰、無遠慮でずよ」
無愛想にいうと、そこにおいて帰ってしまった。
「どこからの届け物か」
と聞かせたが、
「帰ってしまいました」
 というので、運ばれた物を見ると、貴人の御座所に用いる畳(今の茣蓙のような物)で、
高麗緑など大層きれいだ。

私の心の中では中宮からの賜わり物かしら、など思うが、それでも確かめようと再度人に追わせたが使いの男は見えなくなっていた。
 
 変な物が送られてきたとお互い家人と言い合うが使いの者がいなくてはどうしようもないので、もし場所違いなどなら自然また言ってくるだろう、御所へ問い合わせに参りたいが、もしそうでなかったら妙な具合だろう。
などと思うが、それでも誰が意味もなくこんなまねをしよう、中宮の仰せであろう、とひどく面白い。

 二日ばかり音沙汰がないので、疑いなくこれは中宮からの贈り物だと確信して、女房の右京の君の許に、
「実はこれこれのことがあるのですが。そんな風な様子を御覧になりましたか。お知りの事情をこっそりと教えてくださいませ。もしそのようなことが無ければ、私がこのように申していたことは、人に言いふらしなさらないでください」
 と、人をやって問い合わせる文を送ると、
「宮さまがひどく内密にしておられた事です。決して私が申したとは口先にもお出しにならないで下さい」
との返事であるので、案の定、予想通りと面白く、手紙を書いてまたそっとおそばに近い勾欄に置かせたのが大失敗、まごまごしているうちに、そのまま置き損ねて階段の下に落ちてしまった。