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神獣パロ

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その1


人間と妖精の国があった。その二国はそもそもお互いを名前で呼ぶような間柄ではなかったように記録されている。しかしそれも人間の単位でいえば二百年ほど、人間が六代は入れ替わる程度のものだ。それに人間は何かと物事に名前をつけて整頓したがる生き物だ。だから自国を、箱根と呼んだ。
対する妖精の国、妖精といっても人間のように一律の姿をしているのではなく、あるものはドワーフという地下を好むものであったし、ある者は蛇の名を冠して地を総べていた。そこを便宜上、人間は総北と名付けた。なにしろ、その国と国は互いに不干渉を暗黙の了解としていたが、あまりに近かったのだ。もちろん境界の領土ははっきりしていた。けれども空を飛べる妖精たち、中でも大樹を登った先、雲を突き抜けた先にある世界に居る空の民たちに境界などは関係ない。
小さな身体に不釣り合いな翼を持った、空の生き物。アキという名前の少女もまた、空に生きる存在だった。
母親によく似たふわりとした巻き毛に、父親譲りの丸い瞳。木々の深緑を写し取った様な母親の髪色よりも幾分か空の色を混ぜた髪の毛を遊ばせながら、くるりと空中で一回転。それから自前の翼を広げてぐんぐんとスピードを上げていく。

「(今日もおはなをつみにいくノ!)」

箱根の領土には近付かないように、と父親の坂道に口酸っぱく言われてはいたが、アキにはそもそも境界という概念がよく分かっていない。けれども、くり、と大きな瞳を回転させてから「うん!」と大きく頷けば父親は良かったと胸をなでおろす。アキはそれですっかり全部丸く収まったと思ってしまって、今日も知らず知らずのうちに妖精の国を飛び出していた。
アキの力でぐんと飛んだ先、切り立った崖の上にはいつも一面の黄色い花が咲いている。そこで草木に身体をうずめて跳びまわるのが最近のアキのお気に入りだった。この日も、花々の香りに身を包んで過ごそう思っていた。
けれども、ぽつり、とアキの鼻先に突然冷たいものが降ってきた。空から落ちてきた水。あめだ、と思う間も無くどんどんと視界は暗くなっていく。咄嗟に今まで来た方を振り返ると、妖精の国の周囲は爛々とした太陽の光に包まれている。アキが雨雲がある方へ飛び込んできてしまったのだ。
はっとして急ブレーキをかけようとするが、幼い翼は上手くコントロールできずにゆっくりとしか減速できない。方向を変えようとする前に、ごう、と強い風がアキの体を包み込む。次いで雨水がアキの翼をぴしゃりと打った。
急に霧揉みになった体が激突しないようにどうにかバランスを保とうとするが、濡れた身体では上手くいかない。アキはぐるりと空中に放り投げられた後にざぶりと川の中へと沈み込んでしまった。雨に濡れた翼はアキの重石となって川底へ小さな体を引きずり込もうとする。何度も水面に顔を出し、むせ込みながらも川岸の岩へと両手を伸ばして身体を引き止めようとする。けほけほと水を吐きながら、身体を地面へと持ち上げようと躍起になるも、空を飛ぶのとは勝手が違う。
冷えていく指先が力を無くしそうになったその時、ぐい、とアキの小さな身体が宙に浮く。未だ雨水は頬を打ち、アキの身体をひたひたと濡らしていく。
ぱちぱちとアキは何度も瞬きをし、雨粒に濡れた瞳が正面を捉える。雨雲によって薄暗くなった視界の中で、鋭い視線とかち合った。

「……鳥かァ?」

思ったよりも高い声がアキの耳に届く。しかしその言葉はアキの脳内には届かない。国と国とが境界を持っている昨今では、それぞれ扱う言葉が違うのだ。もちろんアキはそのことを知らない。ただ、ぼんやりと相手の口が動いているのを見て、おおきなくち、と思っただけだ。アキの母親である巻島の口も大きいが、それよりももっとだ。空の生き物とは全く違う。
今更ながら、相手に右腕を掴まれていることをアキは自覚した。手首から肘までを相手の掌がすっぽりと覆い、アキの肌にざらついた感触を伝えてくる。姉の持つ羽根とも、父の持つ鱗とも、母の持つ脚とも違う。

「……?」
「ここに鳥が居るっつーこたァ……仕事サボってんじゃネーヨあの野郎」

福チャンの仕事増えんじゃネェか、とぼやく姿に見覚えは無い。足先は地面から浮いていたし、翼は重く垂れ下がっている。パパ、と小さく呟いたのを知ってか知らずか、相手は舌打ちをしてアキを放り投げようとした。
作品名:神獣パロ 作家名:こうじ