悲しい世界
僕が死んで君が死んで、それでも見て見ぬふりをする
たとえば、
僕や家族や、友達が不幸のどん底に落とされたとして
それでも他の人たちはやっぱり、――電車内でおろおろしている御高齢のように――僕たちを見て見ぬふりするだろう。
たとえ僕たちが目の前で死んだりしても、
きっと見て見ぬふりをするだろう。
それを身内が――その人の大切な人が――死んだりしたら、
そのほかの人々は悲しむにきまってるのに。
なぜ他人が死んでも――身内が死んだら泣くのに――顔をそらし続けるのか、
悲しいことが悲しくない世界なんて。
これほど悲しいこともないはずなのに、
それすらもそらし続ける。
意味が分からない。