許すことはできないが……
休み時間。
今日も教室で独り。
自分以外に人がいないわけではない。
だから、「独り」。1人ではなく、「独り」。
自分に話しかけるクラスメイトは1人もいない。
その原因は、自分にあるともいえる。
別に、いじめられているわけでもない。
自分の中にある2つの意思のせめぎ合いから、そうするしかない状況になったとしか言えない。
その2つの思いとは、ある人物を拒絶する意思と、誰にでも今ある幸せを奪われない権利がありそれを侵害しまいとする意思。
つまり、本能と理性のせめぎ合いである。
これがなぜ自分の「独り」の原因となっているのか、説明したとして誰かにわかってもらえるだろうか。
別にわかってもらいたいという気持ちはない。
自分が勝手でやっていることでもあるし。
しかし、誰かに聞いてもらいたいという気持ちがある。
人の意見を聞きたいという気持ちがある。
やはり、「独り」は辛い。本当に。
自分には、許すことができない人物がいる。
自分と同じクラスに。
なぜ許すことができないのか。
細かいことを述べるのは避けるが、要するに、その人物が他人を傷つける言葉を平気な顔でヘラヘラ笑いながら発する人間だからだ。
自分は、それを許すことができない。
1か月前、その人物の言葉の刃が自分の胸に突き刺さった。
そこには、すでに傷があった。
その上からさらに刺された。
前からの傷は、その人物によるものではない。
実の姉によって、日々えぐられ続けている傷だ。
その人物は、そのことは知らずに、自分の胸に刃を突き立てたのだろう。
ただ、軽く自分が傷つけばいい、それで優越感でも得たいという軽い気持ちで。
自分は、許すことができない。
他人を傷つけるとわかっていながら刃を振りかざし、平気な顔で他人を傷つけることができる人間を。
クラスメイトであるその人物も、姉も、許すことができない。
しかし、その人物は、「人」である。
その人物にも、その人物なりの幸せがあり、その幸せを享受する権利がある。
もし仮に、自分がその人物に復讐をしてその幸せを奪ったとしたら、その人物を傷つけることになる。
自分は、その人物と同じにはなりたくない。
何があっても。
かと言って、今後、その人物と関係を結びたくはない。
その人物が許せないという気持ちとともに、いつ同じ刃が自分に向くのかわからない恐怖という気持ちもある。
もっとも、学校のクラスという狭い社会の中で、特定の人間だけとの関係を完全に断つということは困難だ。
どうしても不自然になる。
自分のその人物に対する態度の不自然さから、周囲のクラスメイトに何らかのことを感づかれ、その人物に不利益が生じる可能性は避けられないだろう。
そうである以上、自分に考えられる方法は1つだけ。
クラスメイトの誰とも関係を結ばない。
だから、自分は「独り」。
たしかに、許すことはできない。
しかし、忘れることはできるかもしれない。
ただ、「許すこと」と「忘れること」は別物だ。
忘れることで、自分は救われることはあるだろうか。
作品名:許すことはできないが…… 作家名:山本久和