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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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●9.The Sacrifice (勝利のために)


 佐佑は目を開けた。
 自分が気を失っていたことを認識するまでには、時間は要らなかった。
 ヤニで黄ばんだ天井に吊るされた電灯が、申し訳程度の光で室内を照らしている。
 お世辞にも柔らかいとは言えないベッドは、僅かな妥協さえ見せることなく、佐佑の背中を押し返していた。
 佐佑は天井とベッドのどちらにも覚えはなかった。
 ―― とりあえず生きているらしい。
 佐佑は肺の空気をすべて吐き出し、そして、肺を空気で満たした。生きていることを最初に実感するのは、呼吸をしたときだ。
 佐佑はベッドに寝たままで室内の様子を窺った。
 部屋の対角に窓があり、カーテン越しに陽光を感じられる。昼と夜の分割であれば、今は昼の時間帯だということだ。
 部屋の入口は、足の先にあった。扉の蝶番が内側にある。
 ―― 監禁されているわけではないのか。
 決してVIP待遇ではないが、何者かによる良心的行動の結果として、ここに寝かされているのだろう。
 佐佑はそう結論付けると、ゆっくりと目を閉じた。
 最後の記憶はナットウエスト・タワーの屋上だった。
 そこで気を失ったのであれば、その場にいたイグニスが佐佑をここまで運んだと考えるのが妥当だ。となれば、ここは武装集団『フレイム・アート』の隠れ家の一つである可能性が高い。
 ミラビリスの件で協力したとはいえ、それは一時的なこと。本来ならば、テロリストが軍部の人間である佐佑に力を貸すなど、ありえないことだ。ましてや、隠れ家に連れ帰るなど、言語道断とも言える。
 そのため、佐佑はあらゆる詮索を止めた。それが義理であり、通すべき筋だからだ。
 しばらくして、扉の更に向こうにある扉が開いた。
 買い物に行っていたのだろう。両手で抱えていたのであろう大きな紙袋を、乱雑にテーブルに置き、そこから缶詰や瓶、雑誌などを次々と放り出していた。
 音を出している主は、随分とがさつで大雑把な人物らしい。
 詮索する気はなくとも、音が聞こえてしまうの仕方ない。佐佑は誰に言い訳するでもなく苦笑した。
 やがて、佐佑が寝ている部屋の扉が無造作に開かれた。
「まだ寝てんのかい?」
 やや掠れた女の声は、物音から推察した性格に反しておらず、突き放すような冷たく堅い口調だ。
「少し前に目が覚めた。俺はどれぐらい寝ていた?」
「丸一日と半分」
「そんなに寝ていたのか……」
 目を開けた佐佑は、天井から視線を動かさなかった。
「詮索は無しだよ」
「分は弁えているつもりだ」
「一応、言っとくけど、あんたが出てったらすぐ引き払うからね」
「心配は要らない。申し訳ないが、友人と訪れたい場所は他にある」
「噂に聞いた通りだね」
 女は扉を離れ、瓶を手に取って再び同じ場所に戻った。
「飲むかい?」
 女が栓を開けると、酒の匂いが流れ出した。モルトウイスキーではあるが、安くて強い、酔うためだけに飲む酒が持つ匂いだ。味も香りも低級だが、ただ酔うことにおいては、これ以上のコストパフォーマンスは無い。
 佐佑には、女が酔ってしまう前に確認しておきたいことがあった。
「質問が二つある」
「詮索は無しだって」
 女の素性に興味など無い。テロ組織の摘発にも興味は無い。サンライズホテルでの一件のように、その場に居合わせたのならば別だが、テロの防止も鎮圧も佐佑の仕事ではない。
 佐佑は構うことなく続けた。
「ソフィアという少女の状態を知りたい」
「教えてもいいけどさ? あの夜のことを聞かせてくれるのかい?」
「話すと約束した本人が目の前にいるなら、時間の許す限り説明するさ」
 女は大きくため息を吐いて、酒をひと呷りした。この男が自分に何かを話すことはないと悟ったのだ。
「ここに連れて来たかったみたいだけど、あたしら信用ないでしょ? 問答無用で拉致する手もあったけど、あのコってば強いじゃない?」
「どこにいる?」
「教えらんないね。あんたのことを探し回ってたから、“安全なところ”にいるってだけ伝えてあるよ。ま、動けるようになったら自分で探しな」
「ソフィアの状況次第では、勝利が消えてしまう」
「どういうこと?」
 タワー屋上で対峙したミラビリスは、本体ではなかった。
 本体に酷似した能力と本体とは別の意思を持って、自律的に行動する霧の魔性が存在していたという事実。それが分身か分体かは、どちらであっても構いはしない。問題なのは、本体が消滅したとはいえ、新たに誕生する可能性と、既に他にも存在している可能性がゼロではないことだ。従って、リンダの“孫娘(ソフィア)の身体を乗っ取る計画”が完全に潰えたわけではないのだ。
 リンダとは直接対峙する必要がある。
 それには、佐佑自身の都合もある。
 佐佑の脳裏には、リンダが口にした“目を背けてきた事実”という言葉がくすぶり続けているのだ。
「戦いはまだ終わっていないと分かっているからこそ、俺をあの場から連れ出したのだろうに」
「そうだろうけどさ」
 しばしの沈黙が流れる。
「……なるほど」
 囁くように発せられた佐佑の声が、重く響いた。
 佐佑は続ける。
「知れば安静にしていられない状況、ということか」
 女が傾けていた瓶の酒が、ちゃぽん、と波打つ。
「確かに、彼女は身を寄せる場所を持たない。行くとすればCMU本部ぐらいだが、CMUの内部には相当数の敵がいる」
「敵…ね……」
「お前たちが送り込んだスパイのことではない、とだけ言っておく」
「それはどうも」
 女は悪びれた様子もなく言い放った。
 霧魔ミラビリスの本体は、ソフィアと共に行動していた。
 霧魔によって人間が霧に喰われるという事件が発生した以上、CMUが原因究明に動き出すことになる。ソフィアが騒動を起こした容疑者とされるのは時間の問題だ。
 国内の諜報機関は、他国から訪れた能力者を警戒している。そのため、この手の事件が発生すると、あれこれと難癖をつけて追い出そうと画策する。
 両国の合意の上で訪英している佐佑も例外とはならず、容疑者リストに名を連ねることになる。
 容疑者で済めばまだいい。
 CMUの前身組織を作り上げた“the witch”ことリンダ・クロウは、CMU上層部に大きな影響力を持っている。CMU上層部にとっては目の上のたんこぶだが、どれだけ疎まれていようともその発言力は変わらない。
 リンダがその気になれば、ソフィアと佐佑を“容疑者”ではなく“首謀者”として拘束させることができる。リンダが個人的に拘束することと、調査機関が組織として拘束することとは、結果は同じであっても、対外的な意味が変わる。ましてや、佐佑は組織の一員。出頭命令を無視すれば、命令違反・命令不服従、そして反逆罪。大義名分は立つ。
 佐佑を煙たがっていた者たちは、渡りに船とばかりに協力するだろう。
 それは英国内に留まらない。
「あんた、まだ戦う気?」
「安心してくれ。動かない身体で乗り込むほど楽観主義ではないさ」