剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
「室長、入ります」
ドアをノックをしても、声を掛けても、部屋主からの返事はない。だがこれは、いつものことだ。
室長は大のチェス好きであり、平時は一日中インターネットやコンピュータとの対戦をしている。そんなときに幾ら声を掛けても、返ってくるのは生返事だけだ。当然、ドアをノックする音にも反応はない。
佐佑は構わずにノブを掴み、遠慮なくドアを開け放つ。
室内には、想像通りチェス盤に向かい頭を捻る室長の姿があった。
「ダメだ! 負けた!」
勝敗が決したところだったようで、室長は盤上の駒を綺麗に並べ始めた。
インターネットによる対人戦では、多くの場合は対局後に互いの戦法を評価する時間が取られる。ディスプレイから視線を外したままでキーボードを打つ気配がないことから、コンピュータとの対戦だったのだろう。
そう判断した佐佑は、良いタイミングだったな、と思った。もう少し遅ければ、次の対局が始まっていたところだ。
すべての駒を並べ終えた室長は、ようやく佐佑の存在に気が付いた。
「おぉ、グラディウスか。良いところに来た、一局どうかね?」
佐佑は、対局を求める室長を爽やかに無視し、本題に入った。
「昨夜の件についての報告ですが」
室長は、名残惜しそうにチェス盤から視線を外すと、そのまま佐佑に向けた。
「フレイム・アートとやりあった、というのは本当かね?」
室長の目は、身じろぎの一つも見逃さない、といった鋭い眼光を放っている。
「名前までは分かりませんが、顔には見覚えがありました。相手は上手く誤魔化していたつもりだったでしょうが、あれはイングウェイの炎術です。間違いありません」
室長は、ふむ、と一言だけ唸った。
傍から見ればチェス好きの昼行灯なのだが、その頭の回転には佐佑も一目置いている。佐佑が敬意を込めた敬語で話しをする数少ない相手だ。
元情報部エージェントであり、現役時代には数々のインポッシブルミッションをこなしてきた。負傷により片腕が不自由になってからは、参謀室に入ってその頭脳を活かしてきた。作戦に合った人員を選ぶ、というよりも、人員に合った作戦を立てるタイプの参謀であったため、現場のエージェントからの信望が厚く、それを妬んだ参謀室幹部によってCMU作戦参謀長官という役職に回されている。
周囲は閑職への左遷だとして哀れんだが、本人には栄転であった。常識を超えた存在を相手にする上に、手足となって行動するエージェントもまた、特異な能力を備えた者たちなのだ。
「顔を見られたのか?」
「はい。ですが、私は奪った銃を使いましたから、問題はないかと」
「一応、ロンドンにいる間は身辺に気を配っておくことだな。報復があるかもしれん」
「分かりました」
佐佑が英国に訪れてから一年。その間、気の休まる日など無かった。東洋人への偏見、特別扱いへの妬み、そして、否応なしに認めざるを得ないその実力への羨望が転じた逆怨み。勿論、それだけがすべてではない。
佐佑の周囲を取り巻く様々な状況は、本来ならば味方であるはずの人間を敵に変えてしまった。
初めて顔を合わせたときの、誰も信用するな、という一言で、佐佑はこの男、英国CMU本部作戦参謀長官を信用に足る人物だと判断した。
英国に訪れたばかりの頃の佐佑は、一日中この部屋で室長とチェス盤を挟んでいた。その対戦成績は、佐佑が負け越している状態だ。
「それはそうと、グラディウス」
「はい?」
デスクに両肘をついた姿勢で口の前に指を組んだ室長は、オホン、と一つ咳払いをして、再び鋭い眼光を佐佑に向けた。
「一局やっていかんかね?」
佐佑は、笑顔と共に辞退する旨を告げた。
「室長、入ります」
ドアをノックをしても、声を掛けても、部屋主からの返事はない。だがこれは、いつものことだ。
室長は大のチェス好きであり、平時は一日中インターネットやコンピュータとの対戦をしている。そんなときに幾ら声を掛けても、返ってくるのは生返事だけだ。当然、ドアをノックする音にも反応はない。
佐佑は構わずにノブを掴み、遠慮なくドアを開け放つ。
室内には、想像通りチェス盤に向かい頭を捻る室長の姿があった。
「ダメだ! 負けた!」
勝敗が決したところだったようで、室長は盤上の駒を綺麗に並べ始めた。
インターネットによる対人戦では、多くの場合は対局後に互いの戦法を評価する時間が取られる。ディスプレイから視線を外したままでキーボードを打つ気配がないことから、コンピュータとの対戦だったのだろう。
そう判断した佐佑は、良いタイミングだったな、と思った。もう少し遅ければ、次の対局が始まっていたところだ。
すべての駒を並べ終えた室長は、ようやく佐佑の存在に気が付いた。
「おぉ、グラディウスか。良いところに来た、一局どうかね?」
佐佑は、対局を求める室長を爽やかに無視し、本題に入った。
「昨夜の件についての報告ですが」
室長は、名残惜しそうにチェス盤から視線を外すと、そのまま佐佑に向けた。
「フレイム・アートとやりあった、というのは本当かね?」
室長の目は、身じろぎの一つも見逃さない、といった鋭い眼光を放っている。
「名前までは分かりませんが、顔には見覚えがありました。相手は上手く誤魔化していたつもりだったでしょうが、あれはイングウェイの炎術です。間違いありません」
室長は、ふむ、と一言だけ唸った。
傍から見ればチェス好きの昼行灯なのだが、その頭の回転には佐佑も一目置いている。佐佑が敬意を込めた敬語で話しをする数少ない相手だ。
元情報部エージェントであり、現役時代には数々のインポッシブルミッションをこなしてきた。負傷により片腕が不自由になってからは、参謀室に入ってその頭脳を活かしてきた。作戦に合った人員を選ぶ、というよりも、人員に合った作戦を立てるタイプの参謀であったため、現場のエージェントからの信望が厚く、それを妬んだ参謀室幹部によってCMU作戦参謀長官という役職に回されている。
周囲は閑職への左遷だとして哀れんだが、本人には栄転であった。常識を超えた存在を相手にする上に、手足となって行動するエージェントもまた、特異な能力を備えた者たちなのだ。
「顔を見られたのか?」
「はい。ですが、私は奪った銃を使いましたから、問題はないかと」
「一応、ロンドンにいる間は身辺に気を配っておくことだな。報復があるかもしれん」
「分かりました」
佐佑が英国に訪れてから一年。その間、気の休まる日など無かった。東洋人への偏見、特別扱いへの妬み、そして、否応なしに認めざるを得ないその実力への羨望が転じた逆怨み。勿論、それだけがすべてではない。
佐佑の周囲を取り巻く様々な状況は、本来ならば味方であるはずの人間を敵に変えてしまった。
初めて顔を合わせたときの、誰も信用するな、という一言で、佐佑はこの男、英国CMU本部作戦参謀長官を信用に足る人物だと判断した。
英国に訪れたばかりの頃の佐佑は、一日中この部屋で室長とチェス盤を挟んでいた。その対戦成績は、佐佑が負け越している状態だ。
「それはそうと、グラディウス」
「はい?」
デスクに両肘をついた姿勢で口の前に指を組んだ室長は、オホン、と一つ咳払いをして、再び鋭い眼光を佐佑に向けた。
「一局やっていかんかね?」
佐佑は、笑顔と共に辞退する旨を告げた。
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近