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パパ、タバコ。

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 パパも、彼も、一緒だった。私の中に住むタバコの匂いも、その二人にはよく重なって、娘が家に帰った後、私は彼の写真の前で随分と久しぶりに涙を流した。
 パパが死んだ時だって流れる事のなかった涙なのに、彼の写真を見ていると、止めどなく涙は溢れて、私は彼の写真を抱きながら静かに床に就いた。
 そんな事ある訳ないのに、彼の遺影からはほんのりとタバコの匂いがしていたような気がする。
 ......そんな事ある訳ないのに。
 
 私ももう先が永くはない。そう感じさせるのは、この病院の空気と私の回りにいる医者の態度、それと私の身の回りにいたパパや彼から感じ取った雰囲気、そしてまだ一度も吸った事のないタバコの匂いが私に纏わり付いているという事実だった。
 病院のベッドは思っていたよりも随分と寝心地が悪い。もうすぐ死ぬのであれば、もっと快適な睡眠を与えてくれてもいいように感じる。
 私は屋上に行き、生まれて初めてのタバコを吸っていた。見慣れた煙が青空目掛けてゆらゆらと浮かんで、その内風に流され消えてしまった。
「また、ここにいた」
娘は右手に小さい子を連れて、私の所まで来た。「随分と探しちゃったじゃない」と付け加える。
 可愛らしい女の子。ママである私の娘の手をしっかりと握って、私の今までの思い出を全て見透かしているかのような、純粋で真っ直ぐな視線が私に向けられていた。
 私は癌だと、先ほど医者から聞かされた。しかも肺癌だった。
「タバコはもう吸っちゃいけません」
医者は私が入院する時にそう告げた。私は生まれてから一度もタバコを吸った事がない。これは紛れもない事実であって、吸いたいという興味すら湧く事がなかった。あれだけ、生活の中に当たり前のようにタバコは存在していたのにも関わらず、自分がタバコを吸う姿など全く想像できなかった。
「吸っていません。今まで一度も吸った事がないのですが......」
医者はポリポリと頭を掻き、少し考えてから
「ご主人は吸っていましたか?ヘビースモーカーではなかったですか?」
”ああ、そうか。”私はそう感じたのだ。パパが肺癌で死んでから、いつもタバコを吸っている彼を見ていてきっとこの人は病気になるんだと思っていた。そしてその通りになって、私は彼を失った。でも、それは私がタバコを吸っている姿を想像できないそれと似ていて、私が肺癌になるという事など想像もできていなかった。
 ”ああ、そうか”
 私はもう一度心でそう呟いた。想像もできていなかった事なのに、妙に納得している自分がいる事もまた事実だった。
「ええ。そうです。父もヘビースモーカーでした」
私はパパを想い、そして彼を想った。

 全然おいしくない。それが私が初めてタバコを吸った時の感想だ。ただ、もうこの世にはいないパパと彼を思い出す事ができた。まだ随分と長さのあるタバコを屋上にある灰皿に押し付けて日を消した。
「おばあちゃんはどうしてタバコを吸っているの?」
ママと手を繋いだ可愛らしい女の子は私に聞いた。くりんと丸いその目が私に向けられ、自分の不思議に感じた事を噓偽りなく聞いているという純粋な質問だった。私もいつかそんな事をパパに聞いた事があるような気がする。でも、もう全く覚えてなんていない。その時にパパがどう答えたのかも思い出す事はできなかった。
 なんだか、ふいに笑みがこぼれた。
「ひいおじいちゃんとおじいちゃんが吸っていたからだよ」
青い空の下で、私は女の子にそう答えた。私の吐いた白い煙は、今では完全に姿を失ってしまっていて、タバコの匂いだけが、まだじんわりと口に残っている。
 女の子は私の答えに不思議な顔を向けていたけど、それ以上何かを言う事はなかった。
”私もあともうちょっと。”
目を閉じて、残りの生と口に残ったタバコの匂いを静かに感じている。
作品名:パパ、タバコ。 作家名:浜川 悠