二輪くんのはなし
は、と二輪は呼ばれた自分の名前に反応して顔を上げる。人でごった返すカフェテラスに見覚えの薄い一人の人間が立っていた。
二人掛けの小さなテーブルを一人で陣取っていた二輪は瞬間的に周囲を見回す。自分以外をシャットダウンしてしまう癖を持つ二輪は、こうして時折、自分の周りを確認しなければならなかった。視線の先ではどこもかしこも席が埋まっている。カフェテラスといっても所詮は大学内にある少しこじゃれた学食だ。席の争奪戦はここでも勃発する。二輪は自分が座っていた椅子の正面、もう一つの椅子に置いてあった荷物を自分の足元に移動させた。それから小さい声で「どうぞ」と告げた。
君島はありがとうと軽く礼を告げ、二輪が空けた椅子に腰を下ろした。君島の指には太くてメタリックなショッキングピンクの指輪がつけられていた。玩具の指輪を連想させるそれは、君島がつけると途端にしっくりくるから不思議だ。二輪は居心地の悪さと共に口の中にへばりついていた竜田揚げの衣を飲み込んだ。
ランチセットの和風パスタに添えられていた竜田揚げは学食にしては良い味だと評判で、いつも十二時半には完売してしまう。今日は二時限目が無いからこそ、売切れると予想される一時間前にこうして口に入れていられるのだが。
目の前に座った君島は冷麺に稲荷寿司、それから小さく白い箱をテーブルの上に乗せて行儀よく手を合わせた。横森も静かな食べ方をするが、君島も音を立てない綺麗な食べ方をする、と二輪は思った。
「(でも、音を立てないことと、美味く食べることは別だ……)」
二輪は自分に言い聞かせるようにして脳内で呟く。
二輪が君島について知っていることといえば、横森の友人で、たまに何処かへ旅立っていくということだけだ。君島は学内でもそこそこ噂になるバックパッカーで、蛍光イエローとピンクの混じったスニーカーがよく目立っていた。横森と比べる必要もないくらい、君島は活動的な人間で、室内に籠りきった色をしているあの肌とは正反対だった。
君島は無言で食事を続けている。箸が止まってしまったのは二輪の方で、不躾にならない程度に気を付けながら君島の手元を見やる。綺麗に握られた箸と、するすると飲むように消えていく細麺がアンバランスだ。
「あの」
「何?」
声をかけてから、二輪は後悔する。何を話そうとしていたのか、もう自分でも分からなくなった。横森の周囲に居る人間はいつもそうだ。二輪はこれでも同級生や下級生、教師たちとはつつがなく会話することができるし、コミュニケーション能力が最低レベルであるとも思っていない。けれど、横森の影を見ると、途端に二輪の口は乾き、喉がはりつき、手先が冷たくなるのだ。亡霊のように佇んでいる女は、二輪の中で死んでくれない。
「そんなに肩肘張らなくてもいいと思うけど」
「え」
「キミが思うよりも世界はキミに優しい」
言うが早いか、ポン、と君島は今まで手元にあった小さい箱をテーブルの中央に置く。その箱と君島を見比べると、もう既に君島は食事を終えるところだった。最後の一口の稲荷寿司を飲み下し、君島は悠々と席を立とうとする。
「それ、横森から」
呆気にとられる二輪などおかまいなしに君島は食べ終わったトレイを持って歩き出す。恐る恐る開いてみた白い箱からは、プレートのついたミニケーキが入っていた。しかもきちんとしたホール型の。掌ほどの大きさもない小さなバースデーケーキに、二輪は思い切り顔をしかめた。
やっぱりあの女は、好きになれない。
2014/08/16
遅れましたがななおちゃん誕生日おめでとう