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雨と休日

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「それでも私は寝ていたいのよ。あなたの言う外に繰り出すって事が私にとっては寝ていると言う事なの。だから今私はあなたに付き合ってあげてるのよ?分かるかな?」

「ああ……」

 年寄りの女性は変わらず本に目を傾けていた。

「これでも僕は分かっているつもりだよ。わざわざこんな雨の中出て来てくれた君に感謝してる」

「分かってるならいいのよ」

 陽子は少し笑ってからメニューを開いた。もう、昼食時間なんてとっくに過ぎている。

「お腹空いたわ。朝から何も食べていないから」

「君に日曜日の朝なんてないだろう?」

「確かにそうね。……何食べようかしら」

 陽子の視線がメニューの上で踊った。そう言えば、僕もホットコーヒーを頼んだきり何も頼んでいない。陽子と同じようにテーブルの上でメニューを広げた。
 
 若い女性はタバコを吸っていた。ペンはテーブルの上に置かれ、分厚い本はいつの間にか閉じられている。

「最近、ダイエットしてるのよ。だからサラダにするわ」

「君は全然太っていないじゃないか」

「太っているとか太っていないではないのよ。ダイエットする事と、ダイエットという言葉を人に言う事に意味があるの」

「よく分からないな」

「分からなくていいのよ。あなたには」

「分かりたいけどな」

「いいの、分からなくて。大体、分かったって何の意味もないんだもの」

「意味のない事柄なんてあるのかい?」

「ごくたまにあるのよ」

「……まあいい。僕はハンバーグを食べるよ。君と違ってダイエットをしていないから」

「ええ、あなたは好きなものを食べたらいいわ」
ボタンを押すと、店員がやってきて僕たちから注文を取った。僕はハンバーグとライスを注文して、陽子は小さなサラダとホットコーヒーを注文した。

  地味な色のウインドパーカーを着た男性はもういなかった。変わりにその席に座っていたのは老夫婦で、向かい合って何かを喋っている。

「雨、止まないわね」

 椅子の背に掛けられたド派手なピンク色の雨合羽はまだ、十分に水分を保っている。

「そうだね、今日は一日雨だって言ってたよ」

「誰が?」

「テレビが」

「あなた、テレビなんて見ない人じゃなかった?」

「見たんだ。今日はね」

「なんで?」

「別にいいじゃないか。たまにテレビを見るくらい」

「ええ、別にいいんだけど、普段見ない人だから」

「天気予報が見たかったんだ。それだけ見てすぐに消してしまったよ」

「あなたの部屋にある三十二インチのテレビが泣いてるわね。たまにつけて貰えたと思ったら、すぐに消されちゃうなんて」

「たくさん、休ませてあげてるんだよ」

「なんとでも言えるわよ。……ねえ、それよりもうすぐあなたの誕生日じゃない?」

「そうだよ」

「何か欲しいもの、ある?」

「そうだな。……今すぐには思い付きそうにない」

「何かあるはずよ。考えてみて」

「もし何か欲しい物が見つかったら、君が買ってくれるの?」

「お財布と相談しながらね」

 そう言う陽子の首元には、先月僕が彼女の誕生日に贈ったネックレスが輝いていた。

「欲しいもの……というより、行きたい所がある」

「行きたい所?」

 会話の途中で、サラダが運ばれて来た。僕のハンバーグもその後すぐにテーブルの上に並ぶ。

「……で、どこに行きたいの?」

「京都に行きたいんだ」

「京都?なんでまた」

「宇治に行きたいんだ」

「宇治?」

「抹茶のおいしいところだよ」

「あ、宇治抹茶!」

 陽子は目を大きくして、一回だけ瞬きをした。

 「でも、なんでまた宇治なの?」

「昔、一度だけ行った事があってね。すごくよかったんだ」

「何がよかったの?」

「なんだろう……静かだった」

「静か?それだけ?」

「それだけ。あと抹茶アイスは美味しかったよ」

「そう。じゃあその宇治に行く?誕生日は平日だから無理だけど、その次の週末とかに」

「連れてってくれるの?」

「いいわよ」

 皿はすっからかんになって、その内に下げられた。

 若い女性はコートを着ている最中で、席を立つ所だった。ペンもノートも分厚い本もバッグに身を隠しているようだ。

「どうせ京都に行くなら、他の所も回りたいわね」

「そうだね」

「京都って何があるのかしら?」

「お寺じゃないかな?」

「そんな事は知ってるわよ」

「後は、お店もあるよ」

「どんなお店?」

「ここら辺にもあるようなお店」

「そんなの、京都に行く意味ないじゃない。あなたが以前行った時はどこに行ったの?」

「随分と昔だからな。もう覚えていないよ」

「しっかり調べてから行かないとだめね」

「これから、本屋でも行って見てみようか?」

「この雨の中、本屋まで歩くの?」

「いや、きっともうすぐ止むよ」

「そんな事、なんであなたに分かるのよ?」

「テレビがそう言っていたんだよ」

 僕たちは会計を済ますために、席を立った。陽子は雨合羽と傘を手に持ち、僕は傘を手に持った。
 
 年寄りの女性はまだ、本を読んでいる。

  外は、まだ雲が大きく広がっているままだけど雨は止んでいた。

「本当に雨止んだわね」

「そうだね。傘が邪魔になっちゃうな」

「私なんて合羽もあるのよ」

「しかし、なんでまたその合羽はそんなに派手なんだ?」

「知らないわよ。合羽に聞いてよ」

 僕が合羽に向かって「なんで?」と聞くと、「知らない」と陽子が答えた。
 
 僕たちは手を繋いで、近くの書店まで歩いた。大きな水たまりをよけながら、ちょっとずつ歩いた。

「京都楽しみね」

「たぶん、君よりも僕の方が楽しみだ」

「ふーん、そう言ってくれると連れてく甲斐があるわ」

 雨に濡れた冷たい空気が僕たちを包んでいたけど、繋がれた手はとても暖かかった。

「言っておくけど、京都に行ったら、日曜日は君を朝に起こすから」

「えー」

「その日くらいしっかり起きてくれよ」

「えー」

「誕生日プレゼント。それにしよう」

「それ?」

「陽子が僕のために早起きをするんだ」

「えー。まあでもそれならしょうがないわね。久しぶりの日曜日の朝だわ」

 大きな水たまりの上を陽子が飛んだ。僕もそれに続いて飛んでみる。

「それにしても、あなたは誕生日プレゼントを二つもねだるなんて。なんて欲張りな人間なんだろう」
そう言って、陽子が笑う。

「そう、僕は欲張りなんだ。その点で君と僕はよく似ている」

「そうね」

 僕たちの休日が静かに終わっていくのを、陽子と一緒に眺めている。
作品名:雨と休日 作家名:浜川 悠