電話の中
3 宮(みや)
「もしもし」
「はい。室崎ですが」
「あれ、いるんだ。仕事は?」
「もうどうでもいいんだよ。そんなこと」
「どうしたの? 辞めたの? たいへんなの?」
「分からない。辞めたいとは、いつも思っているんだけどね」
「うそ? 私のせい? ごめんね」
耳が熱くむず痒い。ほんとうに霜焼けのようだ。受話器の押し付けすぎで、血行が悪くなっているのだろう。
「全然関係ない。三日ほど休暇をとったんだよ。まあ、なりゆきで」
「なりゆき? 室崎君らしくないな」
「エロでずぼらだからね」
「誰が? 私? 室崎君が? 前はそんな風じゃなかったのに」
「いつまでも学生じゃないさ」
「それはそう。私だって変わるもの。前より話しやすくなって、親近感が湧く感じ」
「うれしいね。親近感。近親相姦みたいで」
「それは、ちょっと引く。それより、今日、ちょっと、行ってもいいかな?」
「かまわないよ」
「何か買っていこうか?」
「アイスノンの小さいの」
「へ?」
「冗談だよ。気をつけて」
「うん。ありがと。ごめんね。昼過ぎには着けると思うから」
「了解」
時計を見ると十時だった。平日の午前十時。町はサラリーマンを排出し終えて、一息ついていることだろう。室崎は、宮がこの部屋にやってくるのだと考え、それからは、ただぼんやりとしていた。
はっ、と時計を見る。十時五分だった。
「掃除でもしようか」
と室崎は考えた。途端に掃除なんてしたくないのだと気がついた。だが、一度掃除しようと考えてしまった室崎は、必ず掃除をせずにはいられなくなるのだという事を、半ば諦めとともに自覚していた。
座らなくなったソファーや、ゴキブリが蠢く気配を閉じ込めた冷蔵庫、かつては本が満載だったカラーボックスなどを、ダストボックス周辺に運んだ。
部屋に戻ると、部屋はまるで落ちつかず、窓からみえるダストボックスの周辺こそ、自分の部屋であるような錯覚がした。
「猫の気持ちがよく分かるよ」
室崎は、廃棄物置場に置かれたソファーの上で寛いでいる姿を想像した。それは巨大な猫のようだった。