終戦記念日を前に思う
僕にはそのことと、原子力発電の事が重なってしまう事がある。安全神話に守られ、その恩恵を当たり前のように感じていた。余り原子力発電の知識も無く、伝えられるままに信じて来た。戦前の国民の多くも、日本は戦争に勝ち、アジアの植民地を開放すると信じていただろう。日本が勝利していたら?時々まだ戦争をしていたかも知れない。竹島や尖閣問題などでは強硬に出るだろう。
僕が子供の頃、喧嘩をする子は力自慢の子であった。弱い子は逃げたり謝ってしまう。メンツやプライドより自分の身体を大切にした。怪我をすれば親に叱られた。
僕は小さいながら工場の経営をしているから、電気料金の値上げは困る。火力発電では値上げはこれからも必至であると思う。しかし長い目で観れば、既存の施設の稼働はしかたないがと考えていた。しかし、1つ稼働すれば次々と稼働し、原発事故は忘れられるかもしれない。
集団的自衛権が今後日本の国を豊かにしてくれるのか、それとも、衰退させてしまうのか?
悪人であっても自分に良ければ憎めないように、原発は経営的に言うなら仕方ないといった消極的賛成だが、それでは本当に利己的かもしれない。しかし、その事は経営努力で補えないからだ。従業員の幸せを考えると倒産は出来ない。
原発が稼働し、事故が起こらなければ、事故の事は記憶から忘れられ、新しい原発もできるだろう。事故が起これば今度こそ原発反対の声は大きくなると思う。
戦争も原発も自国民の幸せを願ってのことなのだろうが、判断の責任は大きい。
作品名:終戦記念日を前に思う 作家名:吉葉ひろし