冷やし中華始めません
大将の店に着くと、
「冷やし中華始めません」
と書いてある大きな張り紙が目に入る。
「なんだぁ? こりゃあ?」
何やら店の中が騒がしい。
「なぁ、大将、機嫌直してくれよ」
「おらぁ、別に、気なんざ悪くしちゃいねぇ!」
「じゃあ、冷やし中華作ってくれよ」
「それとこれとは関係ねぇ。ただ、今年は、冷やし中華は、やらねぇことにしただけだ!」
店の中に入ると、懐かしい常連客の面々が、大将を取り囲んでいた。
「どうしたんだい、一体?」
「おぅ、三芳の坊主、帰ってきたのか」
「もう、坊主はやめてくれよ。それより、何の騒ぎなのさ」
「いや、この、ヤスの馬鹿たれが……」
「馬鹿ってなんだよ」
「テメェが、そうやって、反省の色が足らねぇから……」
「まぁまぁ、……で?」
「いや、大将が、今年、冷やし中華を始めるときに、張り紙に、『冷やし中崋始めました』って、『華』の字を、草かんむりと間違えて、山かんむりを書いちまったんだ」
「それを、ヤスのアホゥが大笑いするもんだから、大将、へそ曲げちまって……」
「おらぁ、別に、へそなんぞ、曲げてねぇ!」
「馬鹿の次は、アホゥかよ」
「君には、全ての罵詈雑言を捧げたいよ」
やれやれ、といった感じだな。
「それで、ヤスさんは、ちゃんと大将に謝ったんだね?」
一瞬、座がどよめく。
「ちゃんと、差し向かいで」
常連客皆が、ヤスさんの方を向く。
「いゃ、それは、そのぅ、どうだったか、なぁ?」
ヤスさんは、しどろもどろだ。
「謝って」
「いゃ、今更、謝っても……」
「けっ、今更、謝られても……」
ヤスさんと大将が、同時に言ったもんだから、2人は気まずげに黙った。
「ヤスさん、こういうのは、損得とか、無駄だから謝らないとかいうものじゃないでしょ」
ヤスさんは、チラチラとみんなの顔を見ていたが、大将に向き直ると、居住まいを正した。
「あー、ごほん、大将、あの、大将の間違い、大笑いして、ごめんなさい。間違いは誰にでもあるっていうのに、いけないことをしたと思います。本当に、ごめんなさい」
「ねぇ、大将、ヤスさんも謝ってるし……」
大将に、とりなすように、言ってみる。大将は、少しの間、居心地悪そうにもじもじしていたが、
「う、うるせぇ。それとこれとは関係ねぇつってんだろ! 今年は、冷やし中華は、作らねぇったら、作らねぇんだ!」
と言って、みんなを店から追い出してしまった。
翌日、僕らは、一計を案じた。
大将の奥さんに頼んで、夜中にこっそり店を開けてもらい、作戦に及んだ。
大将が、仕込みに店に降りてくる30分前には、準備は終わっていた。
「なんでぃ、なんでぃ。サンディ、マンディ、チューズディ。おめぇら、他人の店で勝手に何やってやがる?」
「冷やし中華を作ってました」
「なにぃ?」
「大将が作らないなら、我々常連で味を再現しようかと思いまして」
「けっ、馬鹿言うんじゃねぇ。作ると食べるじゃ大違いょ。できるわけねぇ」
「そう思うなら、これを食べてみてください」
そう言って、我々常連客の作り上げた冷やし中華を、差し出した。
「ふんっ! なんだか、見た目はきれいじゃねぇか」
「まぁまぁ、食べてみてくださいよ」
椅子を勧め、箸を差し出す。
「ふんっ、どうせろくなもんじゃあ……。このチャーシュー、妙に粒々感があるんだけど」
「あぁ、それスパムです」
「……最近、パソコンによく届く、って、それとは、違うんだよな。この錦糸卵、やたらと歯ごたえあるな」
「あぁ、それ、たくあんです」
「……長屋の花見じゃあるまいし。麺の歯ごたえも、おかしくねえか?」
「あぁ、それ、こんにゃく麺です。カロリー控えめで」
「……控えりゃいいってもんじゃ、ねぇだろう。このキュウリ変わった模様してるな」
「あぁ、それ、スイカの皮です」
「……キリギリスだって、そんなもん食わねぇぞ。この椎茸、なんでこんなに粘っこいんだ?」
「あぁ、それは、チューインガムを煮たもので……」
「いい加減にしろーーーーーっ!」
大将は、箸をテーブルに叩き付けた。
「お前ら、冷やし中華を何だと思ってるんだ?」
「では、そんな僕たちに、冷やし中華の神髄を教えてください」
ここを先途と、常連客一同、深々と礼をして、声を合わせて、
「お願いします」
と言う。
大将は、といえば、
「お、ぉ、お、ぉぉ、お、ぉ、お、おう。わ、判った。そこまで、言うならしょうがねえ。作ってやる」
しどろもどろになりながらも承諾した。
その日から、大将の店に、「冷やし中華始めました」の張り紙が張られた。
作品名:冷やし中華始めません 作家名:でんでろ3