ヤマト航海日誌
2015.11.1 のび太の大東亜戦争
一流大学の入学試験に全科目百点満点で合格した者がいて、そいつが、「いやあ、前の晩ちょっと勉強しただけですよ」と言ったとしたら、そいつは不正を働いてるに決まってる。未来の世界に〈アンキパン〉というものがあり、四次元ポケットから出たそれに答案をペタンと押して食べて試験を受けたのだろう。そうして手にした成功にはしっぺ返しが来るもので、あの堀江なんとかみたいに刑務所行きになったりする。
「ドラえも〜ん! ボクはしずちゃんと結婚すると決まってるんだろ! タイムマシンで見てきたんだからそのはずじゃないか!」
のび太がこう言ったからって、君は頷いてはいけない。あのネコ型ロボットはやはり子供のためにならん。「キミはジャイ子と結婚するの! ホントはそう決まっていたの!」そう言い捨ててサッサと未来へ帰ってしまい、それでのび太が首を吊ろうと「まあ、それもアリなんじゃないの」と言っておしまいにするべきなのだ。
〈アンキパン〉の力によって〈零〉を操る主人公。調子に乗って飛ばしてるうち、便意が! 便意が! 〈アンキパン〉が○○になって尻の穴からもれちゃうよう! こんな空の上なのにい! ああ! ダメだあ! うおおおおおっ!
「それが真相だったのか!」と叫んでしまうセワシ君。「なんという感動的な結末だろう! おじいさんの結婚相手はやっぱり静香で良かったんだ! ドラえもんは歴史を正しく変えていってくれたんですね!」
だから、なんで、そういう結論になるんだつーの。そういうもんを〈大人が泣ける作品〉だとか言ってるから、出渕裕みたいなのが勘違いをするんだろうに。
『永遠の0』の原作本が百田尚樹という男の未来人への叫びなのはちょっと見ればわかることだ。「ドラえも〜ん! なんで日本が敗けるんだよお。真珠湾とミッドウェイとガダルカナルでヘマしなければあの戦争は勝ってんじゃないかあ! 歴史を〈正しく〉変えてくれよお!」つーわけだ。歴史の本を読めばどれにも、あの戦争をやらかしたのも敗けたのも、辻政信という男ひとりのせいみたいなもんだと書いてある。辻はジャイアンみたいなやつと。だから〈どくさいスイッチ〉で、辻を消してやればいい……。
というわけで話はまた辻政信だ。おれが辻という男を語るのは古代進を語ることであるのはおわかりいただけると思う。今までしてきた〈十九歳〉の話は実は全部が古代を語ってきたのだから、『ヤマト』と関係なくはないのだ。
あの戦争の〈主役〉と呼ぶべき存在なのにあまり人には知られていない辻政信。歴史の本にはどれにもみんな『ジャイアンみたいなやつだった』と書いてある。自分勝手で、横暴で……こいつはただの〈脇役〉です。日本人の男はみんな、源静香との結婚が約束されているのです。だから決してこの男に妹がいてはなりません。藤子・F・不二雄の原作マンガのうち、ジャイ子の出てくる部分は断じてアニメにしてはいけません。そんなものは、日本の未来をしょって立つ子供が見てはならないのですから……。
というわけで、のび太はもともと最初からしずかと結婚するはずだったことになり、辻政信は怪物くんで魔太郎だということになるのである。日本人の歴史家なんて、日本の歴史を日本人の都合のいいようネジ曲げているもんなのだ。本の記述をまるごと鵜呑みにしてはならず、ましてやテレビやネットで見てわかったつもりになってはいけない。
だってのび太がしずちゃんと結婚なんてどう考えてもおかしいじゃん。誰かが不正をしなければそんなことになるわけねえよ。おれは絶対、これには〈ウソ800(エイトオーオー)〉が使われていると睨んでいる。誰かがあの薬を飲んで、「静香はのび太と結婚しない」と言ったに違いないのである。
〈十九歳〉でのび太は確かに〈成長〉する。〈アンキパン〉で大学に入り、〈どくさいスイッチ〉で出木杉を消し、〈ウソ800〉でしずかと結婚。それこそ、まさしく、『2199』の〈ぶっちゃん古代〉。出渕裕が古代を描けばそうなるのは当然だった。
辻政信は悪魔だと歴史の本に書いてある。こいつは日本人じゃない。日本人とは藤子・F・不二雄のマンガに描かれるような人間らしい人間であり、藤子不二雄Aが描くのは断じて日本人じゃない。だからあの戦争で辻政信がしたことは日本となんの関係もないと……んなこと言って歴史をごまかしてる限りこの国はダメだとおれは思うが、誰も読まないこんなところで言ってもしょうがないだろうな。
おれの眼で見る辻政信はあの戦争の〈主役〉だった。あの戦争で日本は敗けた。しかしそれは国対国の話であって、ルーズベルトとチャーチルには勝ったんじゃないかとおれは考えている。日本は試合に敗けたけれども勝負に勝った。誰が勝ったかと言えば辻が勝ったのだ。だってこいつが主役だったのだから、と……ジャイ子を否定し、なんにもしないで静香と結婚できると思う野郎にはそれがわからないのだ、と。
オリジナルの『イスカンダル編』の古代はマレーとフィリピン戦における辻政信。『さらば』の古代はニューギニアとガダルカナルの辻政信だ。歴史を見れば見事なくらいそのまんま。西崎義展が言った〈愛〉とは石原莞爾が言った〈和〉であり、古代進が〈愛の戦士〉であるように辻政信は〈和の戦士〉だった。
それが狂気の思想でも、デスラーのごときルーズベルトやズウォーダーのごときチャーチルから国を護って戦うにはやはり必要なものだった。辻が〈勝って〉くれたから今の日本はこうしてあるのだ。誰がなんと言おうとそうだ。たとえジャイアンそのもので、関わりあった人間がみんな『ボエ〜』というような地獄を見た者であっても。
のび太はジャイ子と結婚するのが、たとえのび太には地獄でも、しずちゃんの幸せというものですよ。どっちが大事か大人ならわかりそうなもんでしょう。と結論が出たところで、この日誌もとりあえず書くべきことは書いたようだな。これでしばらくお休みすることにします。小説の方も今日やっと、古代と森の絡みまで来て、キリもいいとこなんじゃねえかな。どうせ読者もいねえわけだし、また当分休もうかと思ってるんだが、どうですか?