世紀の大傑作
<それは世界を揺るがすくらい偉大な詩なんだ>
視界の上に青があって、下には色合いの異なる青がある。
空と海が馬鹿馬鹿しいほど青い、小さな島に僕はいる。
ここは、調布空港からセスナに乗って、たった四十分で辿り着くアメリカの委任統治領だ。二十世紀半ばまで奇跡的に文明国に発見されることなく、島民がつい最近まで原初的な生活を続けていたことで知られている。空港までの交通アクセスと内臓を叩き揺らすエンジン音さえ気にしなければ、東京ディズニーリゾートへ行くより手軽に来ることができる。
東京都下からの観光客が多いので、日本語に不自由はしない。かといって、勘を取り戻すため数回個人授業を受けた英会話が無駄になるわけでもなく、日常的なやりとりを英語で交わすだけで、島民はとても親しげに接してくれる。
バカンスも三日目に入り、青が青いことに飽きてきた僕は、ホテルのカフェのテーブルに立て肘をついていた。薄すぎて本当に琥珀色に透けているアメリカンコーヒーのカップを持ち上げると、ダイビング・インストラクターのジョンが、聞き逃すことのできない大ニュースを持ってきた。
「ナオ! 君は詩が好きだって言ってたよな」
「ああ、薄いコーヒーをガブ飲みするのと同じくらいには」
「この島には、偉大な詩人がいたんだ」
唐突に何を言い出すのだろうと聞いてみると、人間の真理を的確につかむ詩を書いた老人がいるのだという。その老人の詩は、人類が何千年もかけて真理を追究し続けた、その偉大な結論を示しているというのだ。俺はこれから仕事だけど、良かったら老人の家に行くといい、歓迎してくれるだろうと、ジョンは簡単な地図を書いて渡してくれた。
半信半疑で老人の家へ向かう道すがら、サトウキビ農家のヘレンが話しかけてきた。
「ナオ、もしかして、あの人の詩を読みに行くの」
「ああ。ジョンが人類の真理に辿り着いた偉大な詩だっていうから」
「そう。人類の真理でもあるけれど、切ない恋心を描いた詩でもあるわ」
ヘレンに道のりを確認し、礼を言ってから歩調を早める。単純な好奇心が僕を急かした。
老人の家は小高い丘の上にあり、太陽に晒されたテラスで数人の男たちが騒いでいた。
「これは人類の崇高な義務を思い出させようとしているんだ」
「義務? 違うな。これは癒しを与えてくれる詩だよ」
人ごみに近づいた僕が声をかけるより早く、太っちょの白人男性が周囲の人を押しのけて一冊の小さなノートを奪い取った。男は眉間にしわを寄せ、こめかみに血管を浮かべながら震える声で言った。
「あいつ、俺のアイデアを盗みやがった」
疑惑に満ちた剣呑が、一瞬にして周囲の人々を飲み込んだように見えた。
「あの、僕にも見せてもらえませんか」
僕がそう言い終わるより早く、やせ細った黒人の老紳士がメモ帳を手にした。
「いや、あんたはそう言うが、私は文学を勉強していたことがあってな。これは十九世紀イギリスの、えー、あー、とにかく、その詩人の詩を踏まえておる」
僕にも見せてください、と手を伸ばし、僕はようやく小さなノートを手にする。前半のページには脈絡のない英単語が並んでいたが、老紳士が最後のページを開いてくれた。頼りない筆跡で、
LOVE
とだけ、書かれていた。
やあ、という声があちこちで聞こえたので振り向くと、白人でも黒人でもない、先住民の老人が恥ずかしそうに立っていた。
「ヘレンにラブレターを書きたくて、字を練習していたんだよ」