ゴッホのようにね。
顔を上げて振り向くとそこには後輩が、無邪気な顔で私の絵を覗き込んでいました。あっこれ私が言ったんじゃないですよぉー、みんながそう話してるの聞いちゃってぇ、と一人喋り続けながらジッと絵を凝視するその顔は、さながら怖い絵本の地獄絵図を必死に睨む子供のようです。
この後輩というのは私の所属する部活動、美術部の一年下の後輩です。運動部の方が圧倒的に盛んな我が校で、万年部員不足に喘ぐ美術部にただ一人入部してくれた貴重な貴重な一年生。それを本人も自覚した上で足元を見た傍若無人な態度が目立つ嫌な子……というのが部員共通の評価なのですが、私が思うに彼女は単に空気が読めないのでしょう。それはもう絶望的に。
「色合いに関して陰で言われてるのは知ってるわよ。でも私は人に評価されたくて絵を描いてるんじゃないの、描きたいから描いてるの」これは本当のことです。
「ええでもぉ、いっつも普通はここにこの色は選ばんでしょって色ばっか入れてるじゃないですかぁ!それって、自分が特異的でセンスあるっていう勘違いアピールなんじゃないですかぁ?」って○○先輩がぁ、と彼女は付け足します。ある意味誰よりも正直な彼女ですからこれも本当のことでしょう。
私の色選びが酷く特徴的なのは幼い頃からでした。幼稚園児の時などは、あまりの色使いに親が呼び出されたことすらあります。心が病んでいる象徴、虐待のサイン……無論、そんな事実はなかったのですが。それはもう、両親には酷く心配をかけさせたものです。
「えー、じゃあ逆に、どうやったらこんな異常な色選び出来るんですかあ?」
「……もう六時ね。いい加減に帰りましょう、もう私達しか残ってないわよ」
「無視しないでくださぁい」
「別に、特別なことを心掛けているわけじゃあないわよ。見えるものを見たまま描くだけ。それだけ」帰り支度を全て済ませて私達は美術室を出ます。沈みかけの太陽の光がひどく眩しくて、私と後輩は同じように目を細めました。
「えー、わけわかんないです。あれが先輩の見てる世界だなんて、それってマジで病んじゃってるってか、なんていうか中二病じゃないですかぁ?」後輩は無邪気に笑います。
「それともぉ、もしかして先輩って」そこまで言いかけて後輩ははたと立ち止まりました。振り向くと顔が真っ白です。
「どうしたの」
「先輩ヤバイです、古文の、宿題提出忘れてましたぁ」聞くと学校一の鬼教師担当の課題とのことでした。ヤバイよぅヤバイよぅと連呼する後輩は、高価なお皿を割ってうろたえる小さな子供を彷彿とさせます。
「今ならまだ、先生もいらっしゃるでしょう。急いで職員室まで走ってみたら?」職員室は六時半まで空いていました。
「そうしますぅ、それじゃあ先輩また明日ぁ」そう叫んで後輩は駆け出しました。夕陽が後輩に長い影を作り、校庭を灰色に照らし出します。
灰色に。
(ゴッホは生前ほぼ誰からも評価されなかった)
(酷く独特な色遣いがその一因とも言われている)
(彼もまた、色覚異常を患っていたという……)
西向きに設置された校門をくぐると、斜陽が私を照らします。次に描く絵はこの夕陽をモチーフにしよう。私はこの美しい、美しい景色を目に焼き付けて、そう思いました。