彼女の恋が実りますように
「どうしよう」
……本当にどうしよう、と何度も繰り返す幼なじみを見つめ、美桜(みお)はもう一人の幼なじみの沙耶へと視線を移す。
目が合うと、彼女は仕方ないわね、とでもいうように肩を竦めてみせる。
いつものように幼なじみである陽菜(ひな)の家にきてから、ずっとこの様子だった。
今日返されたばかりのテスト用紙を握り締め、陽菜は真っ青な顔でいるうな垂れている。
こんな彼女の姿は珍しい。
いつも笑顔で何があっても、けして挫けたりしない子だ。
元々、陽菜は勉強が苦手だし、平均点ぎりぎりという事も珍しくない。
そんな時だって、彼女がここまで落ち込む事はなかった。
「……そんなに悪かったの?」
「……うん」
沙耶(さや)の問いに答える声も元気がない。
しゅんとうなだれたまま頷く陽菜の手を見つめながら、美桜は口を開いた。
「でも、陽菜ちゃん、最近、家庭教師に勉強を教えてもらっているんでしょう?」
「そうよ。だったら、今回のテストでわからなかったところも教えてもらえばいいじゃない」
「それが問題なんだってば!!」
沙耶の声に陽菜は声を荒げて、反論する。
だが、すぐに俯き、ぽつりと呟いた。
「……こんなテスト見せられないよ」
しゅんとうな垂れる陽菜の姿に美桜は眉を顰める。
そんなに厳しい家庭教師なのだろうか。
普段大らかで、何かを失敗したとしても笑みを絶やさない彼女がここまで落ち込んでいるのだ。
それほどまでに怖い家庭教師なら、陽菜が落ち込むのもわかると、美桜は思った。
「……そんなに怖いの? あんたの家庭教師って」
美桜と同じ事を考えたらしい沙耶が問えば、陽菜はふるふると首を横に振る。
「……そうじゃないけど、でも……」
俯いたまま口ごもる陽菜の背後でドアのノックする音がして、彼女は慌てて振り返った。
そして、ゆっくりとドアを開け、その場に立ち尽くす。
「……藤井…先生」
身体を強張らせる幼なじみの声に、美桜と沙耶は目の前に立つ青年が陽菜の家庭教師であるのだと理解した。
きつい眼差しや彼の醸し出す雰囲気で、彼女たちは自分の幼なじみが何に脅えていたのかを確信する。
確かにこの人物が家庭教師なら、テスト用紙を見せる事はできないだろう。
それぐらい怖そうな家庭教師だった。
彼に怒られ、泣きじゃくる陽菜の姿が容易に想像できる。
一瞬、どうしようかと悩む美桜と沙耶に構わず、藤井と呼ばれた青年は陽菜に近づいた。
だが、自分の名を呼んだまま立ち尽くす教え子に、藤井は首を傾げる。
いつもなら藤井先生と笑顔でまとわりつく少女が何の反応も示さない。
怪訝に思いながらも、ふと陽菜が手にしたものが目につき、彼は手を伸ばした。
「あ、それは……っ!!」
見ないで下さい、と叫ぶ少女に構わず、藤井は丸めてあった紙を開く。
「……43点」
「……すみません!!」
小さく呟かれた声に、陽菜は慌てて頭を下げた。
「先生がせっかく教えてくれたのに」
本当にすみません、と繰り返す陽菜の頭を藤井はポンと手をのせる。
「でも、以前と同じ間違いはしてないね」
君がちゃんと復習してるからだろう、と言われ、陽菜は顔を上げた。
その顔は真っ赤で、そんな親友の顔は今まで一度だって見た事ない、と美桜は思う。
そして、理解してしまった。
陽菜があれほどまでに落ち込んでいた理由を。
「帰ろう、沙耶」
立ち上がり、鞄を持って、美桜は歩き出す。
「……そうね」
美桜と同じように何かを悟ったらしい沙耶も素直に、それに従う。
「じゃあ、またね。陽菜」
「陽菜ちゃん、勉強頑張ってね」
自分と藤井の横をすり抜け、帰ろうとする二人に気づき、陽菜は慌てた。
「う、うん。ごめんね、二人とも」
「いいわよ」
それより先生を待たせちゃ悪いわ、と沙耶が言えば、陽菜は照れたように頷く。
「またね」
と言って、手を振る彼女の笑顔を多分、二人はずっと忘れない、と思った。
「……いつの間にか、あの子もあんな顔をするようになったのね」
子供だなって思ってたけど、と言う沙耶に美桜は笑った。
「可愛かったね、陽菜ちゃん」
「うん」
「……先生も怖そうだなぁって、最初は思ったけど……でも」
陽菜ちゃんの好きになった人だもん、という言葉を飲み込んで、美桜は真っすぐに前を見た。
願わくば、大切な幼なじみの恋が実る事を。
幸せになる事を、祈らずにはいられなかった。
END
作品名:彼女の恋が実りますように 作家名:*梨々*