ダイニング・バー「セルミンテ」
俺は、情報誌を美穂に放って返した。
「竜ちゃん、声、大きいよぉ」
美穂は、いつもの口癖を言った。
「ミュ~、セルミンテ。ご注文は、お決まりですか?」
妙な装束に身を固めたウェイトレスが、水を置きながら言った。
「なに? 今の挨拶?」
俺は思わず尋ねた。
「竜ちゃん、空気読みなよぉ」
「さいで、ございます」
「じゃあ、シェフの気まぐれサラダ、持ってきて」
「合点承知の助左衛門」
ウェイトレスはそういうとムーンウォークで引っ込んでいった。
「なんだ? この店は?」
「竜ちゃん、声、大きいよぉ」
「ヘイ、お待ち。シェフの気まぐれサラダでございます」
出されたものを見て、俺は一瞬、我が目を疑った。
パーティー用の紙皿に千切りキャベツがチョモリと盛られ、とんかつソースがかけられていた。
「おぃ、ちょっと、待て、これが、800円の『シェフの気まぐれサラダ』なのか?」
「はい、これが当店の『シェフの気まぐれサラダ』でございます」
その言い方が、あまりにもきっぱりと、はっきりとしていたので、俺は一瞬、止まってしまった。
「竜ちゃん、やめなよー。ごめんなさい。気にしないで下さい」
美穂に、口を挟まれ、何とはなしに収まってしまった。
「絶対おかしいって!」
「だってー」
と、言い合っていると、隣のテーブルの若いカップルが、シェフの気まぐれサラダを頼んだ。
「あいつらだって、絶対、文句言うぜ」
しかし、いざ、シェフの気まぐれサラダが来てみると、それは、大きな木製のボールに入っていて、明らかに、さっきと別物だった。
隣のカップルたちも、
「うゎっ、エビやホタテやスモークサーモン……」
「キャビアまで入ってるよー」
「これで、本当に800円かなぁ?」
などと、言っている。
俺は、すぐさま、さっきのウェイトレスを呼んで、詰問した。
「どういうことだっ!? 同じ800円のシェフの気まぐれサラダなのに、これと、あれは、なんで、こんなに、違うんだ!?」
「は? なぜって、『シェフの気まぐれサラダ』ですから、シェフのその時の気まぐれで、いかようにも変わります」
「はぁ? ぃゃぃゃ、ちょっと、待て。いくら、『気まぐれサラダ』だっていっても、本当に『気まぐれ』で作ってんの?」
「そうですよ。でなければ『気まぐれサラダ』にならないでしょう」
「ぃゃぃゃ、1億光年くらい譲って、そうだったとしても、お宅のシェフ、どんだけ感情の起伏激しいんだよ。グランドキャニオンか? 厨房で何起きてんの? どんだけドラマチックなら気が済むの?」
「追加のご注文はございませんか?」
「えっ? 話題、変わっちゃうの? 話、終わり?」
正直、俺は、訳もなく傷ついたが、気を取り直して、注文することにした。
「じゃあ、『お刺身おまかせ5点盛り』下さい」
すると、隣のカップルも、
「じゃあ、私たちも」
と、同じものを頼んだ。
果たして『お刺身おまかせ5点盛り』が来てみると……。
俺のは、マグロの赤身、マダコ、イカ、サーモン、ブリ。しかも、色悪し。
隣のカップルのは、マグロの大トロ、真鯛、ウニ、伊勢海老、アワビ。鮮度良し。
「……これは、気まぐれじゃないよな」
俺は、ウェイトレスに確認した。
「でも、『おまかせ5点盛り』です」
「……だから?」
「任せた以上、文句は言わない!」
俺は、二の句が継げなくなった。
「竜ちゃん、おなかにたまるもの食べて帰ろう」
美穂が、言った。
「そうだな。じゃあ、この、『漁師風魚介のパスタ』下さい」
俺は、力なく椅子に崩れ落ちた。
「ふふっ」
「どうした? 美穂」
「んー? 『漁師風』でしょう? 本当の漁師料理みたいに、小さな焚火の上に鍋を吊って持ってきたりしてね」
「まっさかぁー、さすがに、そこまでしねーだろ」
「お待たせしました。『漁師風魚介のパスタ』でございます」
見ると、皿の上に、ゴム長はいて、鉢巻まいた、1人の漁師の姿が、パスタで立体造形されていた。
作品名:ダイニング・バー「セルミンテ」 作家名:でんでろ3