その人なら……
先輩は、仲間内から、「ザク」と呼ばれている。
「あー? 俺ぁ、今、腹、減ってねぇ」
先輩は、気前は悪くない。マジ、腹、減ってないんだろう。
「えー? じゃあ、先輩は、ドリンクバーで……」
「ゼニーズにドリンクバーはない」
先輩は、こちらを見ようともせずにピシャリと言った。
しかし、先輩は、急に、にんまりと笑うと、読んでいた雑誌から顔を上げて言った。
「良いことを思いついた」
たぶん、ろくな事じゃない。
「俺たちは役者の卵だな」
そら来た。
「俺は君に憑りついている霊のふりをして入店する。もちろん、何も食わなければ、飲みもしないし、話もしない。余計な動きもしない。極力動かない。そして、君は、あくまで、1人客として飲み食いし、完遂することができたら、この5千円札で支払い、おつりも自分のものにしたまえ」
ほら、ろくな事じゃない。
ゼニーズの前に来てしまった。
「本当にやるんすか?」
「怖気づいたか?」
「恐怖を感じる種類のものではないかと……」
「ならば行けっ!」
俺は、仕方なくゼニーズのドアを開けた。
「いらっしゃいませ、ゼニーズへようこそ。お客様は、2名様ですか?」
「……いえ? 見ての通り1名ですが?」
「? 失礼いたしました。おタバコはお吸いになられますか?」
「いいえ」
「では、こちらへ、どうぞ」
ウエイトレスさんが先に立って歩き出す。その後に私が続き、その死角に入るように、先輩が続いた。
「こちらの席でいかがでしょう?」
案内された4人席に、不自然でないように、素早く座る。先輩が座るのをとがめだてする余裕はなかったはずだ。
「え? あれ?」
「なにか?」
「あ、いえ、お水をお持ちします」
当然、先輩の前にも、水を置くウエイトレスさん。いよいよ、か。
「あ、あれ? いやだなぁ、ウエイトレスさん。そこに誰かいるみたいじゃないですか」
「は?」
「いや、だから、そんな、誰もいないところに、水を置かないで下さいよ」
先輩は、うつむき、身体をこわばらせ、じっと空中を見つめている。
「誰も? いない? ぃゃぃゃ、お客様、ふざけないで下さい。こちらは、お客様のお連れ様でしょう?」
ウエイトレスさんは、ちょっと頬をこわばらせた。
「ぃゃ、ウエイトレスさんこそ、気味の悪いこと言わないで下さいよ。そこに、誰か、見えるんですか?」
「いやっ、たちの悪い冗談は、もうっ、やめてっ」
そういうと、ウエイトレスさんは、あろうことか、手にしたステンレス製のお盆で先輩の頭を引っぱたいた。
「えぇーーー? やるか普通?」
思わず、ウエイトレスさんの名札を確認。「田中さん」か。
「え、ぁ、え、す、すみません。ぇ、え、ぇと、て、店長呼んできます」
田中さんは、そそくさと引っ込んでしまった。
「や、やばいんじゃ。逃げますか? 先輩」
「俺は、殴られたんだぞ。『大丈夫ですか』とか言えねえのか?」
「それより、オモクソ悪戯ばれてますよ」
「だからって、殴らなくてもいいだろう」
俺たちがもめてると、偉そうな人が声をかけて来た。
「お客様、どうかなさいましたか?」
「あんた、誰?」
「私は、この店の店長でございます」
「田中って、ウエイトレス、呼んで来い!」
「田中が、何か?」
「田中さんから、事情を聴いていませんか?」
俺は、正直に事の顛末を店長に話した。店長はなぜか、困惑した表情を浮かべながら聞いていた。
「確かに、もし、田中が、まだ、生きていて、そんなことをされたら、きっと、そうしたでしょうね」
店長は確かにそう言った。
「えっ? それって、どういう……?」
「はん! しらじらしい。 ストーカーに刺されて亡くなった彼女の死を悼むどころか、こんな悪戯をしに来るとは。あなた方には、人間の心がないんですか? いますぐ、お帰り下さい」
「えっ? ま、まさか、田中さん、亡くなってるんですか?」
「警察を呼びますよ! お帰り下さい!」
俺たちは、店を追い出された。
先輩の車で、夜の山道を走ると、やがて、小さな村のコンビニに着いた。文武玖村店と書いてあった。
「いやー、先輩、酷い目にあいましたね」
「しかし、あれ、本当なのかね」
「う~ん、あ、そうだ。店員さん」
「なんでしょう?」
「この先に、あるゼニーズのウエイトレスの田中さんが最近、ストーカーに刺されて死んだって本当?」
「ははっ? 何の話だい? そりゃ? そんなのウソに決まってるだろ」
「えっ? ウソなの?」
「だって、そのゼニーズなら、4か月前に大火事出して何人も死んで、それっきり営業してないもん」
「えぇーーーっ?」
俺たちは車に飛び乗ると、全速力でゼニーズに戻った。
果たしてゼニーズの建物は黒焦げで闇夜に溶け込み営業などしていなかった。
「ど、どういうことだ、一体」
近くを通りかかった人に聞くと、やはり火事があったらしい。
「やっぱり文武玖村のコンビニの店員の言ったとおりだったのか」
「文武玖村?」
それを聞いた通りすがりの人が怪訝な顔をした。
「そりゃ変だ。文武玖村なら、先月、ダムの底に、沈んだばかりだろう」
再び、車に飛び乗り、カーナビ頼りにコンビニ目指すも、どう頑張っても、巨大なダムに行く手を阻まれるだけであった。
「もう帰ろう」
「そう、すね」
車の中で2人は無言だった。先輩の家に着いた。車庫に車を置き、先輩に挨拶をして、表に回ると、なんだか騒がしい。黒い服を着た
仲間や先輩たちがいる。
「どうしたんですか?」
「わっ! どうしたじゃねぇ」
「なんだ? 今ごろ」
「まったく、ザクが、亡くなったって言うのに……、ちょっと着替えてこい」
信じられなかった。そんなことってあるか? いくら考えても変だ。考えながら、歩いて、家に帰った。
家に帰ると、なぜか、線香の香りのつつまれていた。祭壇には遺影。俺が笑っていた。
なーんだ。そっか。