マネジメントノート
詰められるだけ詰める必要がある。
詰めれば詰めるほど容量は空く。
理工の容量は重く重要だ。
これを詰めればおそらく容量は空く。
柔拳であるということは、例えば、走れる距離が長い、打つ文章が長いと言ったことだ。
ピアノと理工学・ランニングで構成されているのが、『理性の保存力』である。
剛拳は、自分に厳しく人に優しい側面を持つ。
うんちくだけじゃなく、実践することが大切だ。
人の非難をするくらなら自分の非難をした方が良い。
確かに私は、瞬間的に賢くはなれるが、それは本当に瞬間だけ賢い。
だがそれ以外の瞬間はバカなのだ。
君は自然体でいるとき芸術家で自然体でなく、意図としているとき研究家のようだ。
君が本気でいるのは一瞬だけだ。
その一瞬に天才的な知能を発揮するのだ。
君の美術の才を見ればわかるものだ。
君の描く美術にはその根底に愛がある。
そしてそれは君が大きくなって情熱を燃やしてピアノに向かって青春の炎をもやしたらからおそらく人生で一生消えることのない炎となって金言とでも言おうものになったのだ。
君の炎は情熱の炎であり、青春の炎なのだ。
君はもう少し一人で黙々と何か懸命にこなした方がいい。
あまり説明を多くし過ぎだからだ。
本当は、黙くすることが、信じた結果なんだ。
信じて待つことは、本当に大切であらゆることの価値を高めてくれる。
信じることに何も強い力はいらないんだ。
ただ信じることだけが必要なんだ。
もし強く信じるならば、それは信じていることにはならない。
ともかく信じる人は、沈黙する。
愛し想うときは、情熱的で、信じるときは、黙している。
それが信仰の本来のありか方だ。
君は座って、1日その日々の義務、つまりその日その日の要求に応えていかねばならない。
理工学は、その日その日の偉大な義務を教えてくれる。
貧しいことの意味も教えてくれる。
文系は豊かなようで贅沢だ。
金がかかりやすい。
しかし理工学は、少ない教材と紙それとペンだけで1日過ごすことができる。
もしも賢い人と差があるとするなら、何をしないということが大切なんだ。
わかっている人なら、何をしないかということが自ずとわかっているものだから。
たしかに何をするべきかも大切だが、何をしないかも大切だ。
ピアノは少々リスクが高いものだ。
自分が難しい曲を弾けるようになって偉そうになることが多々あるからだ。
やり抜け!差し出せ!本気だせ!
評価なんて当てにするな。
自分がどこにたっていてもぐらつくな。
他人を頼りにするな。
これを利用しろ。
別に相手に損はないように得するようにしてやればいいのだから。
放埓な精神では何もできないといことを人は知らない。
だいたい言葉を使うとき、雰囲気を問う場合があるものだ。
想像力も必要なものになる。
塗り重ねられた雰囲気が大切なんだ。
天才になろうとするな。
秀才か努力家にであれ。
天才を追っても何もない。
あるのは虚しさだけだ。
世界で活躍するためには高い技術が必要だ。
盗まれることなきアイデアと技術を売り出すのだ。
つまり、能力に秀でるだけじゃなて、アイデア・能率・技術・ノウハウ諸々を売り出すのだ。
対立するものには、常に理性的に目をやるものだが、『冷静な観察』の美術、『情熱の演奏』の音楽がある。
互いに排反事象である対立・対義するもののそうした価値は連続した経験的価値を見出すならば、おそらく両方の作用による相乗効果が狙えるだろう。
対義・対立するそれぞれが互いに影響し、価値を高めている。
連続した経験が価値を高めている。
無限の戦いは、文系に適している。
有限の戦いは、理工系に適している。
この実践と論理の交点にその価値ある部分は存在するので、二元性を示す。
これを例えてnew moonとする。
意味のあることは何かとたずねられたとき、興味のあることと答えたい。
勉学とは何かとたずねられたとき、興味のないことをシステムによって確実にすることと答えたい。
音楽とは何かとたずねられたとき、
あらゆる束縛から抜け出そうとする精神的活動と答えたい。
快活な精神は、太陽の下で活動することによって身につく、できるだけ長く太陽に仕えその下で活動せよ。
太陽の光は内部の光。
倫理的卓越性で表側のコイン。
月の闇は外部の闇。
知的卓越性で裏側のコイン。
太陽の光は、『内接している』・『交わっている』・『内部にある』もので《√3》。
月の闇は、『外接している』・『離れている』もので《√2》。
制限の中にこそ豊かさがある。
言葉とは、私の命の泉だ。
私は毎日その泉から水をくんでくる。
大切なのは、愛することそれ自体だ。
正しきものは、固く立つ。
私の道は、平坦で単調だ。
救われるのは、忍耐する者・目指す者・想う者。
世の中は荒れるに任せよ。
自分のすべきことを
こなすのがすべてだ。