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僕が憶う人

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 一言、言ってみた。俺の本心はこうだと、言ってからまた自分の中で納得するような気持ちになった。親父は、どういう姿でも怖くて、凄くて、とんでもない存在で。
「嘘だろー」
 くっく、と親父は笑う。
「俺は本気で言ってるんだよ」
 俺の上手に伝わるはずのない本心を聞いた親父は、
「こんなジジイが天下の横綱に敵う? バカいえ。バカを」
 コップを置いて、少しだけ寂しそうに言った。
 お前は、もう超えたさ。

 実際、二十歳どころか十八の時、椿や勝が高校を卒業するタイミングで一遍勝負して僕は負けている訳だ。大関の息子との腕相撲。勿論素面のガチンコで、だ。
 二十歳前のガキには負けんぞ、と気合い入れて臨んだってのに右も左も関係なしに完敗させられ僕は凹み、勇邁は驚いていた。
「ぜってー親父泣かす!」
 と泣き叫んでばかりいたガキだったのに、こんなに強くなるなんてなぁ。その光景を少しでも予想できたかい。梓。
 三つ子を産んで、抱いて、笑って……それからすぐにお別れだなんて、酷すぎるよな。君は、子供達の声も聞いた事が無いし、立って歩く姿だって見た事が無い。
 幸せ、だっただろうか。子供達が成人して、それでも、思い続ける。
 勝は大学で心理学を専攻する事に決めた。人に優しくできるかもわからない。それでも臨床心理士を目指そうと思う、と言っていた。君に似て優しい子だから、本人がどれだけ悩んでいようと僕は悩まないさ。
 椿はまた卓球選手権日本一を取った。オリンピックでも次は金を、と周囲からのプレッシャーも凄い事だろう。よく頑張っている。君に似て厳しい子だから、ちゃんと見守ってあげたい。唯一の娘だから、かな。余計にそう思う。きっと言ったら煙たがられることだろうけどな。
 勇邁は見ての通り。これからも頑張り続けるさ。君に似て強い子だから、何が起こっても大丈夫。立派に綱を守り続ける。
 三人とも、もう僕が必要かどうかわからない。
 そっちに行きたいっていう訳じゃないんだ。
 花びらが舞う。いつだって僕はこの花びらを掴むのが下手で、それでいつも力任せに腕をぶんぶん振り回しては君が呆れるのを待っていた。君が何か喋ってくれるのを待っていた。君の声が聞きたかった。
「お前はしょうがない奴だ」
 と言って笑う君に、僕は安心していた。
 梓の色をした髪の毛に四季とりどりの花びらが乗っかっているのを見ていると、自分でも不思議なんだけれど、僕はいつも笑ってしまっていた。

「梓は、花びらを乗っけるのがうまかったんだ」
 親父がお袋の写真を手に取り笑って言った。お袋の写真に、梅の花びらが一枚だけくっ付いていた。
「まぁ、乗っけるって言っても、自分から進んで乗っけるんじゃなくて、勝手に花びらの方から乗っかってくるんだけどな」
 写真にくっ付いていた花びらを、親父は太い指でつまみ上げてそのまま自分の頭に乗せる。その瞬間に、
 ぴゅう。
 と風が吹いて、すぐさま花びらは飛んでいってしまった。
「ところがどっこい、僕はいつもこんなんだ。羨ましいと言われたけどな。梓には」
 親父が俺の髷の辺りを見ている。
「なんだよ」
「お前の髷に引っかかったりしないのかなって思ってな。……やっぱ引っかからないもんなんだな。僕に似たんだな」
 最後の言葉の時だけ、むやみやたらに笑顔がまばゆ過ぎて少しだけイラっとする。
「どうせ俺はお袋には似てねぇよ」
 お袋の写真を見られればそのあまりの似ていなさに驚かれ、最悪悲鳴をあげられる。今まで経験してきた周囲の反応が面白いくらいに頭に蘇ってくる。
「冗談。お前は梓にもきちんと似ているさ」
 親父が最後の一口を呷ってしまうのと、
「ただいま。まだいたんだ。勇邁」
 という椿の声がほぼ同時だった。
「思うより早いお帰りで……ぷっ」
 椿に視線を向けた親父がいきなり吹き出してしまうものだから、俺は親父がいきなり吐くんじゃないかと思ってしまったが、
「外で呑んで話してさぞや楽しかったんだろうな。ねぇ。なんで私だけがこうなるのか教えてもらえる?」
 というちょっとした怒りを込めた言葉の主を見てみる。するとその答えは簡単なものだったとすぐわかる。
「この花びら、私の頭とか肩とかに降り掛かりまくってウザいんだけど。どうして二人は平気な訳?」
 赤みがかった髪とお袋のお古の振り袖の肩にたくさんのピンクを乗せて、しかめっ面をした椿は必死に花びらを叩き落としていた。叩き落とせば叩き落とす程、また新たにぴゅうぴゅう吹く風に煽られた花びら達が俺達三人を包んでは、ご丁寧に椿だけに引っ付くのだ。笑いが止まらなかった。
 はっはっはっは! 親父と一緒に笑っていたら蹴りを入れられた。
「答えって言ったら、なぁ?」
「そうだよな。親父」

 この話は椿にはまだ一度も話していなかっただろうか。それでも良いかもしれない。いつか話してやろうと思う。でも、それは今じゃないなぁ。遺伝する訳ないだろバカ、とけなされるような話でも、君以上にずっと強烈じゃないか、椿は。
 君に、伝えたい事がある。
 母親って言うのは、本当に強くて大きな存在だと思う。だってそうだろう。君を失う事だけを恐れ続けた僕と違って、君は君自身をも失った後に残り続ける命の輝きを知っていた。
 君を失ってからの僕に、こんなに素敵な世界をくれた。
 君が僕にくれたもの。くれた心。思い。全部が愛おしい。僕は君に会えて、君と別れたこの世界で、今とても幸せだから。
 君にとても、伝えたい。
 君に会えて、君と別れてしまったけれど、君達に会えて、本当に、良かった。
 ありがとう。

 笑い泣き一筋、それを横から拭う様に舞った花びらが僕の肩に乗った様に見えて。その一瞬後に離れていって。
 ――それで十二分だと、思った。
作品名:僕が憶う人 作家名:常磐龍