ないものねだりが死ぬその日まで
スーパーから家までの間に、駅があって、踏切がある。ちなみに彼女はここから電車に乗らない。騒がしい。人ごみにうんざりする。
俺は何も知りません。放っておいて下さい。
人が死んだって。これはもう無理だ。
俺には何もできません。俺の興味の範疇外です。すみません。すみません。
女の子がいる。ショックも大きかろうに。でも、すみません。すみません。
「…………」
ハッキリ聞こえた声が、何故だか何だったか、どんな言葉だったか思い出せない。
夕食を作ろう。卵は冷蔵庫。
「お前なんで生きてるの」
知りません。
「今日も、死ねなかったね。お前さん」
私はあなたを知りません。
「ねぇ。ねぇ。オジサン」
女の子。踏切の、女の子。何て、言ったの。
「どうして、生きてるの」
ぐしゃりっ。卵が落ちた。見てみたら、卵を支えていたはずの紅いネットが切れていた。
白身が飛び散るその中に、黄身が混じってる。血が、流れてら。まるで、血だ。血管が切れました。中の大事なモノが落ちました。砕けました。知りません。俺は何も知りません。
ズボンが濡れてる。靴下を通り越して、ズボンの裾が濡れていら。また、無駄に命が四、五個散った。あ、いや、踏み切りにもう一つ。
「何で俺、生きてんだっけ」
時計を見たら、帰ってきて一時間経ってた。特別驚くことはなかった。
夜ご飯は肉じゃがと卵スープ。白ご飯。おいしい。おいしい。おいしかった。
ハンズフリーでの会話がデフォルトのケータイを開いて電話をかける。仕事は終わってるだろう。帰ってきてるだろう。プルルル、プルル。ほらね、繋がった。
こんばんは。お前さん。
こんばんは。お前さん。
こうしてこの時間にお前さんから電話が掛かってくるのも、定番ね。
そうだね。
また、死ねなかったのね。
うん。そうだね。
アタシは良かったと思ってる。
どうして。
だってそうでしょ。お前さんと話をするのは、楽しいのよ。
……ありがとう。
どういたしまして。
俺はどうしたら死ねる。
部屋を掃除したら。
意味わかんねぇ。
お前さんはまだ生きてる。
あぁ。お前さんもまだ生きてる。
それはどうだか。
意味わかんないんだけど。
お前さんは死んでない。
あぁ。お前さんだって死んでない。
そうだね。死んでない。
死んでない。
そう。死んでない。
生きてたくない。
でも生きてる。
それはどうだか。
お前さん、意味不明だね。
どうすれば良い。
どうしようもない。
お前さんと生きてる。
そうだね。お前さんと、生きてる。
望むものが何でも手に入るなら。
入るなら。
無、が欲しい。何も、いらない。
でも、何もかもが欲しい。
違うさ。無なんだ。無が、欲しい。
それはつまり何もかもが欲しいって、ことじゃないのかい。お前さん。
あぁ。わからない。わからないよ。お前さん。
そうかい。
あぁ、そうさ。
でも今、気持ち良い。
どうして。
聞こえない。何も。お前さんを真似るあの声が不快で不快で。でも、今何も、聞こえない。お前さんの 声だけ聞こえて、幸せさ。
お前さんの声が聞こえるから、幸せだ。
あぁそうさ。幸せさ。幸せだ。
おやすみなさい。おやすみなさい。
でも電話は切らないで。
どうかいつまでだって繋いでいて。
おやすみなさい。おやすみなさい。
でもどうかいつまでだって繋いでて。
生きてる。
生きてる。
まだ、生きてる。
生きていく。生きていく。
ないものねだりが死ぬ、その日まで。
――了――
作品名:ないものねだりが死ぬその日まで 作家名:常磐龍