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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 奇妙な啼き声が遠くから聞こえてくる。
 赤子が泣くような、狂人がわめくような、不協和音のごとき声。遥か遠く、窓硝子越しに漏れ聞こえる程度なのに、胸の奥をざらりとなでられているような気分になる。広い客室の柔らかいソファに腰かけたシリル・クロウは、その不気味な感覚に震えながら、縮こまるように身を固くした。
「・・・・・・魔物があんなにやってくるなんて」
 先程窓から外を眺めた時、谷の細長い空を半分以上覆うほどの魔物が飛来してきているのが見えた。少し前に谷底の方で大きな爆発音があって、ゼノとキーネスが様子を見に出て行った後に今度は魔物の襲来。あの爆発と魔物の襲来には何か関係があるのかなと思いつつも、シリルはある疑惑を拭えなかった。
 それは、魔物の襲来は自分のせいではないかということ。
 ある特殊な体質であるために、シリルは魔物を呼び寄せやすい性質を持っている。ここ数週間に限っても、二度も魔物の大群を呼び寄せてしまっている。悪魔除けになるというお守りを貰ってはいるのだけど、不安は消えない。自分が皆を危険にさらしているのではないかと――
「さっきの爆発は神殿を狙ったものみたいだね。そのせいでフロンダリアの結界が揺らいでいる。魔物はその隙をついて侵入したみたい。フロンダリアは人口が多いし、魔物にとっては餌場みたいなもの。結界が緩んだら、腹を空かせた獣みたく群がってきてもおかしくないよ」
 はっとして顔を上げると、向かいのソファに腰かけたオリヴィア・セロンが優しげな瞳でこちらを見つめていた。深い緑の眼差しは、言葉に出していないシリルの不安を見透かしているようだ。
「誰のせいかと言えば間違いなく神殿を爆破した奴だね! 一体誰なんだい? あんな罰当たりなことをするなんて、普通なら有り得ないよ」
 シリルを安心させようとしているのか、彼女は見知らぬ爆破犯にひとしきり文句を言ってから、やはり魔物のことが気になるのか窓の方へ視線を送る。つられてシリルも窓の方を見ると、遠くの方に黒い点が飛び交っているのが見えた。魔物だ。
「あたしも行きたいところだけどねえ」
 ソファの背に頭を預けたオリヴィアが、不満げにそう呟いた。仲間であるゼノとキーネスが戦いに向かったのに、自分はじっと待っていなければいけないのが全く不本意なのだろう。しかし、半年間人喰いの森の“神”を名乗るもの・フリディスに身体を乗っ取られ、つい最近自身の肉体を取り戻したばかりの彼女は、長期間肉体と精神が分離していた影響で身体をうまく動かせないのだった。安静にして、普通に生活していれば何の問題もないが、下手に身体を動かすとすぐに動けなくなってしまう。少しずつ快方に向かっているようだが、まだ魔物退治は無理だ。
「お二人なら大丈夫ですよ。お強いですもん」
「まーねー。ゼノとキーネスの実力は良く知ってるけど・・・・・・」
 そう言って、オリヴィアは頭の後ろで腕を組む。思えば何年もの間、彼らと仕事をしていたオリヴィアにとって、二人の力量など言うまでもないことだ。余計なことだったかな、とシリルが考えていると、オリヴィア何故かは酷く難しい顔をしてから、ぽつりと呟いた。
「あいつら頼りないからねえ。ゼノは馬鹿だし脳筋だし、キーネスは本職が情報屋だから取り立てて強い訳じゃないし。普段は冷静な分ゼノよりマシだけど」
 仲間に対する辛辣な評価に、シリルは驚いて目を瞬いた。ゼノとキーネスが頼りない? 魔物に襲われた時、何度も何度も守ってくれたのはゼノだし、キーネスの方も、幾度かその鮮やかな剣捌きで魔物を屠るところを見ている。シリルにとっては、あの二人が頼りないなんて言われても信じられない。だが別に冗談というわけではなく、オリヴィアはいたって真剣である。
「そんなに頼りないんですか・・・・・・?」
「頼りないよ。ゼノは馬鹿だしキーネスはあれで結構抜けてるところがあるから。あいつらと初めて会った時なんて傑作だった。洞窟の中でのことだったんだけど、魔物と戦っていたら近くまであの二人が来ていたらしくて、あたしがぶっぱなした魔術に驚いてゼノがコンパス落として壊しちまったんだよ。コンパスがないと洞窟から出られなくなるのにね。コンパスが壊れたのも、仕事で失敗して借金作って、その返済で文無しになってたせいで古いものを使い続けてたからだって言うし、仕事で失敗したのは二人して重要なことを確認し忘れてたせいだとかいう話だし、全くあの二人は頼りない。ダメダメだよ。――ま、その分すっごく良い奴らだし、退治屋として十分に有能だけどね」
 そう言って、オリヴィアはにやりと笑った。その笑顔は面白がっているような色もあるけれど、大切なものを語る時の優しげな雰囲気もある。今の話は冗談ではなく本当らしい。あの二人が案外と抜けているのも本当らしい。けれど、そんな二人のことをオリヴィアは大好きで、信頼する仲間なのだ。なんだかおかしくなって、シリルはくすくすと笑った。
 つい最近会ったばかりだけど、一時身体を貸したことがあるせいか、オリヴィアとは話しやすい。ひょっとするとゼノの次、いやそれ以上かもしれない。リゼとアルベルトはあまり話す機会がなく、ティリーは話しているとなんとなく気疲れしてしまい、キーネスはそもそも会話が続かないししたがらないとなると、当然の結果なのかもしれないが。
(姉上がいたらこんな感じなんでしょうか)
 シリルには兄が一人いる。お茶目で面白くて仲の良い、大好きな兄だけど、たまに姉がいたらどんな感じだろうと考えることがある。もしオリヴィアが姉だったら、すごく楽しそうだ。
 そんな和やかなことを考えていた時、突然、さっきよりも近い所から魔物の啼き声が聞こえてきた。驚いて立ち上がり窓の外を見ると、思いのほか近い場所に成人男性ほどの大きさの黒い怪鳥が飛んでいる。黄色く濁った眼が獲物を探しているのか左右別々に動いていた。その不気味さに窓から離れるのも忘れて立ちすくんでいると、魔物の濁った眼がぐるりと動いてこちらを向いた。獲物を見つけて歓喜するかのように、魔物がぎゃあと啼いた。
 と、その時、下方から飛来した炎の塊が怪鳥を捕え、黒い身体を瞬く間に燃え上がらせた。深紅の炎に焼き尽くされ、魔物は錐もみしながら落下していく。
「こんなところにまで魔物が入り込んでるんだ。まあ空飛ぶ奴ならしょうがないか」
 すぐそこまで魔物が迫っていたというのにオリヴィアはのんびりとした様子で窓の外を見ている。彼女は驚いて立ちすくんだままのシリルを見て、にっと笑った。
「ああ驚いた? 大丈夫だよ。結界のない街じゃ討ち漏らした魔物が街中まで入ってくることがよくあるし、退治屋はそういう時の対処に慣れてる。ここには結界があるけど、さっすがフロンダリアの退治屋同業者組合(ギルド)。不測の事態の対処法もばっちりみたいだね」
 そう言って、オリヴィアは窓の方へ視線を移す。魔物から抜け落ちた黒い羽根が数枚、まだ宙を舞っていたが、本体が近付いてくる様子はない。啼き声も遠くからしか聞こえない。