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霧雨堂の女中(ウェイトレス)

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そしてマスターはそう言った。
「でも、だとするとさっきの飲み比べは『大人の格好』ではなかったと思いますよ?
 顔色も変わらないし、マスターがどれだけお酒に強いかは知りませんけど、救急車でも呼ぶような事になれば絶対に迷惑です」
私はだから、男が消えた窓の外を眺めながら、マスターをそう軽く咎めた。
そして、少しだけ気になった事を尋ねようかと、つかの間自分の中で思いを巡らせた。

――『あのとき』

詮索はいつだって大抵、良くない事だ。
でも、私が似ているって言う誰かって――誰なんだろう?

「マスター――」
そして私がカウンターの方を振り返ると、そこにマスターの姿は無かった。
頭の中にクエスチョンマークがぽこんと浮かぶ。
ついさっきまで、そこに立っていたのに。
それで私はそっとカウンター側に歩いて向かった。
すると、

「・・・ううん」

なんと、床の上にマスターがだらしなく横たわっていた。
「マスター」
「済まない・・・やっぱりちょっと飲み過ぎたみたいだ」
辛うじて開いた口から絞り出されたのはそんな泣き言だった。
そのくせ、顔色だけは少し青白いかなという程度で全く変わる様子がない。
「マスターって、もしかして――」
「そうなんだ・・・全く顔に出ないからいくらでも飲めると勘違いされがちなんだよ・・・少し・・・少しこうしていれば大丈夫だから・・・」
ふう、と私はため息をついた。
酔い潰れた大人の男性を運ぶなんてことは私には出来ない芸当だ。
だから、私は2階の自室に歩いて行き、クッションと毛布を一枚持って降りた。
たったそれだけの間に、マスターはもうすうすうと軽い寝息を立てている。
私はその頭を軽く持ち上げてその下にクッションを敷き込み、身体の上に毛布をそっとかけた。

――私に出来る事は、今はこれが精一杯。

お店の暖房は切らずにおいて、鍵だけはしっかりかけておいた。
レコードプレイヤーの電源を落とすと店内はひそやかな静寂に包まれた。
ここはカウンターのこちら側なので、外からこの体たらくが見える事はないだろう。
明かりを落として真っ暗な店内を階段から一瞥した。

お店の中には僅かなコーヒーの残り香。
今ではそれにウイスキーの香りが混じっているような気がした。