コーヒー豆~彼女の香り~
新聞を片手に飲むコーヒーは格別だ。
いや。それは嘘だ。
私はコーヒーが嫌いなのだ。あの匂いを嗅ぐだけで食欲が失せるのだ。
そんなことを知らない女房は毎日のようにコーヒーを入れた。
ずっと、うんざりしていた。
まさかこんな喧嘩になるなんて思わなかった。
だけどもう、そのコーヒーを入れてくれる女房はいない。
そして何の因果か私はコーヒーを淹れ続けている。
コーヒー豆をミルでガリガリと挽き、ペーパーフィルターを引き、お湯を注ぎ漉す。
こんなめんどうくさいことを女房はやっていたのだ。
毎日。そして、そのカスを捨てる・・・。
私はそんなコーヒーを嫌々飲んでいたのだ。
部屋の中は今やコーヒーの香りと女房の残り香だけがする。
「じゃあいってくるよ」と朝食を済ませ、誰もいない部屋に言っていた。
仕事を済ませ、帰宅すると、女房の匂いが何故か増しているように思えてならない。私はさっそくやかんでお湯を沸かしコーヒー豆を挽く。
コーヒー豆を挽いている時だけが、いつしか、心の安らぎへと変わっていく。あれだけ嫌いだったコーヒーの香りが私を勇気づけてくれるのだ。
しかし、女房の入れるコーヒーとはどこが違うのだろう。どこか違うことに気付く。
それまでコーヒーなんてどれも同じだと思っていたが・・・・。
私は女房が居た時には気づかないコーヒーの奥深い味がわかるようになっていたのだ。
美味いコーヒーが飲みたい。
女房の入れたコーヒーと私の入れたコーヒーの違いはどこなのだろう。
あれこれ試行錯誤を重ねた末、ようやく女房の入れたコーヒーの味に近づいたのだ。
そう・・・・2か月の月日を費やして・・・・
季節は夏に近づき、女房の残り香がより一層際立ってくる。
しかし、この残り香もこれで消える。
朝からお湯を沸かし、それを80度から70度まで冷ましていた。
その間に、コーヒー豆を挽く。タダ挽くだけでは駄目だ。
豆に余計な熱が加わると酸化してしまう。だから私は豆をゆっくりと熱が加わらないように優しく豆を挽いた。そしてコーヒーカップをあらかじめ温め、コーヒーフィルタに轢いたばかりの豆を入れる。その頃にはお湯も適温になりそれを注ぎいれる。いや、お湯は垂らすようにゆっくり豆の成分がカップに落ちるかのように注ぎいれる。
ようやく、コーヒーがカップ一杯に注ぎ込まれると、私はため息を吐いた。
コーヒーの香りが部屋中を漂う。コーヒーの香りを嗅ぎながら味を確かめる。
女房の入れたあの味だ。
私はこの味を好きになっていた。
なんであの時、気づかなかったのだろう。
女房はこんなに美味い物を入れてくれたのに・・・・・・
だけど、女房は帰ってこない。
私は飲んだあとのコーヒー豆のカスを彼女の死体の入った袋に入れた。了?
作品名:コーヒー豆~彼女の香り~ 作家名:夏経院萌華