レコード
最近昔買ったレコードを聴いている。
長年ほって置いたのでカビが生えているのやら、ほこりが乗っているのやらあるからまずは全て水洗いを行った。現代は便利なもので昔は高かった高級なブラシも歯ブラシで代用でき、洗剤をスプレーし極細の歯ブラシでクリーニングを行い、水ぶき、その後これまた昔なら考えられないようなマイクロファイバーで吹くと見違えるような音に成る。
昔使っていたオーディオは処分したが自分の部屋が出来たらまたいい音で聞いてみたくなり近頃オークションを利用して昔高級だったオーディオを購入した。
当時高くて買えなかったアンプもジャンク品は数千円で買える、トランジスタやらコンデンサーを交換すると温かみのある深い音質が蘇る。当時ローンで買ったレコードプレーヤーも1万も出せば購入でき、一台は近所の人から貰った。
唯一使っていた自作のスピーカーはユニットだけ買い替えると極安くて一揃えできた。
おまけにレコードも安く購入できるのは実にありがたく、若い頃のドミンゴのレコードなど500円出せば買えここ一月で10枚ほど購入した。
クリーニングしたレコードを我が家には新しいしかし旧式のターンテーブルに置き、軽くほこりを払いスタートボタンを押すとネオン管に浮き出たドットが60HZ示し安定する。アームをエッジにもって行きアンプのミュートスイッチを入れそろっと針を下ろし、一呼吸してミュートを切ると少しのノイズの後あの音が聞こえる。この一手間が実に良い。
CDが出始めた頃クラシック、特に室内楽を聞いていた私はノイズが気にならない新しいメディアCDを気に入り直ぐに買った。キラキラ光る小さなディスクはレコードのように傷やほこりを気にすることなく、一旦プレイすると両面切り替えることもなく長時間最後までいい音質のまま聞くことが出来る、これは画期的だなとその後毎月何枚もディスクを購入した。そのCDも今やレコード店からレコードが追いやられたようにCDを売る店がダウンロードや通販にやられ姿を消し、直ぐに購入することもジャケット買いを行うことも出来なくなった。
そういえばと出したレコードは永井龍雲の『暖寒』
ジャケットはCDと違い存在感がありライナーノーツも写真や情報が趣向を凝らししっかり載っている。ふと裏を返せば販売の日にちがある、1979年10月 定価2500円
現在の貨幣価値に換算すると5000円ほどか、なんとも高かったものでそれだけに大切に扱い擦り切れるほど聞いたはずだ。それからすると今のダウンロードやCDは確かに安くいつでも聞け手間も掛らない代わりに、データーとして全て消える可能性はあり、おまけに思い出となって残ることがないのではないだろうかと感じてしまう。そういえばこのレコードも給料が出るとそれを持って買いに行ったものだと思い出した。
A面最後の曲は「道標のない旅」
コマーシャルで気に入ってこのレコードを買ったのだった。
CDに変えた当時クリヤーでいい音だなと感じたあの音は歳をとったせいか知らぬ間にキンキンと耳につくようでレコードだと暖かく高音低音のバランスも心地よく聞こえる。
ここ何日か聞いていると別にレコードで良いのではないかと近頃感じ出した。
当時のレコーディングエンジニアやプロデューサーの苦労や趣味が感じられ、好みに合わせてカートリッジを換えては音質の変化を楽しむ、CDやデジタル録音にはそれがない。
先日娘にレコードを聞かせると新鮮な音に感じたようで「レコードってバリバリいう物かと思った」が感想だった。
20分も楽しめば片面が終わり、また音を落としては針を上げ、クリーニングしてはB面を掛ける。この手間をかけることもまた気持ちの余裕となる。
今度はハイレゾブームとやらで一段とアナログに近づく高音質という、しかしどんなものでも最後はアナログ化してスピーカーから出さなければ音とならないのだからいい変換装置といいアンプが必要ということになるのだから小さな端末にヘッドフォンで聞いたところでハイレゾもなにもあったものではないと思うが。
なぜにそれほど急いでレコードをなくしたのだろう
なぜそれほど急いで新しいものを購入したがったのだろう。
明日は休みだ、今夜はテレビの電源は切り手元にあるレコードを片っ端から聞いていくことにしよう。