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捧ぐ光

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「ここが私の、本当の意味での原点。取り壊しが決まってからも、実は何度もここに戻って来て、眺めてた。何でだか不思議と涙は出なかったけど、取り壊しが完全に終わった時、何だか堪らなく切ない気分になって、それで、貴女にまた会いたい。そう思うようになったの」
 その横顔から、伝わってくる、その時の先輩の思い、寂しさ。
 私の中に、流れ込んで来る。
 先輩は、滲んだ微笑みを浮かべながら、こちらを向く。
「あの日泣けなかった私の代わりに、貴女が今日、泣いてくれるのね」
 そう言って、先輩は私の頬に手を触れる。
「先輩の手、冷たいです。冷え冷えです」
 私も空いている方の手を、先輩の手の上に重ねる。
「ごめんね、私は体温、そんなに高い方じゃないの。貴女の手は、暖かいね。貴女の心がそこに表れているみたい」
 貴女の心を暖めるのは、私です。私がいつでも貴女に寄り添っていること、忘れないで下さい。
 私は瞳を閉じて、その滴を流れるがままに任せた。

 先輩と共に歩く、光溢れる道。私達の原点へと、辿る道。
 照り付ける太陽。少しだけ、雲間に隠れる機会を増す。
 細く、曲がりくねった、住宅街の間を通り抜ける。
 どの道にも満たされている、白きかけら。
「うわっと」
 珍しく足を滑らせる先輩。でも繋がれた手が離れない限り、私が先輩を支える。
 私の腕にしがみつきながら、先輩は私を見上げる。
「今日初めて足を滑らせた」
 恥ずかしそうに笑う。
「大丈夫です、先輩が足を滑らせたなら私が支えます」
 先輩は、更に恥ずかしそうにしている。先輩の傍らに、これからもずっと、寄り添い続ける自分で、ありたいと思う。
 先輩と共に歩く日々は、いつだって今日のように、光に溢れているに違いない。
 何度目かの細い路地を通り抜けると、それまでとは雰囲気がまるで違う、広くて大きな道路に出る。駅から海へと繋がっている、一本の大きな道路。
 この道路の周りだけ、他の場所と雰囲気と色彩が違う。この道路の周辺だけは、緑と今日を埋め尽くす白きかけらの色とはまた違う白達でも、彩られている。
 白い道路、空の白、海の白、砂の白。そして、信仰の白。
 その最も純粋な白を、今日は白きかけらで埋め尽くす。私達の、心の在処。
 常に全ての人に対して開かれている、私達の背にも届くことのない、石質の門を抜け、純白に染められ、白きかけらに埋もれた階段を、一段一段、二人その感触を確かめ、踏み締める。
 そして私達は、そのこちら側とあちら側を隔てる、無垢なる木目を晒す扉に、二人手をかける。

 その身を私達は晒す、その心の大元を、純然たる想いの欠片を、その方の照らす場所へと。
 天井の六角形から、今日の柔らかな陽射しが差し込んで、この空間はいつも以上に優しい。
 私以上にこの場所を特別な場所としている先輩が、その陽射しの中に、一人その身を晒す。
 解かれた右手に残る、温もりの、残り香。いま、この瞬間においてのみは、先輩は私の手よりも、空間の温度に沈み込む。
 そこに今いるのは、私が、この私ですら入り込むことが未だ出来ていないであろう、純血の信心を抱えた、祈り人。
 私が今も、その手に届かせようと、もがき苦しむ、切なさの輝石。
 今私の頬を伝う滴は、何故にこの神々しさの中で、その意味を問うのか。
 今の私が出せうる答え如きでは、何も掬い取れない、全て零れ落ちる。
 そのことにこそ、今の私はその意味を聞こうとしている。
 先輩の、その真実の口から、漏れる呟きの祈り。
「ああ、マリア様。永遠の愛を捧げし我が女神。我が愛、全てを受け取り給え。我が身に、その光を授け給え。我が心、捧げし想い、赦しを与え給え」
 先輩の祈り、そこに、私は居ない。この瞬間のみ、先輩は私に背中を向ける。私が唯一つ、手に入れることの出來ない、その白さ。
 先輩が捧げる相手は、私ではない、この空間の主でもない。
 この世界に唯一人の、先輩の女神。私の女神を奪う、この世で唯一人の、私の越えられない嘆き。その崇高なる壁面に、今私は遮られている。
 その白さは、私の心に、想いに強く、深く突き刺さり、抜けずにここにある。
 長い、長い時の中、先輩は合わせられた両手と共に、その純白を捧げていた。

「告白します」
 そして、その時の終わりを、先輩が自らの、私の予測の外にある、言葉で告げる。
 私の、思考の外にしか無かった言葉を、先輩は続ける。
 今の私に、その予測はつかない。
「ああ、マリア様、マリア様。私は真の信仰の下僕でありましょうか。もしくは、マリア様とイエズス様の教えを、自らの心のために利用する、罪深き背教者でありましょうか」
 先輩の心は、本来捧げるべき方ではなく、ただ女神のみに捧げられている。
 それが、彼女の信心においては、罪。
「そして、その貴方様への背教の信心すら、私にとって、真実の愛を手に入れるための手段でしかありませんでした」
 そして、先輩は頬に滴の流れるままに、こちらを振り返る。重ねられた両手は下げられ、そのまま腰の辺りへと置かれる。
 光を従え、女神に背を向ける、我が女神。
「私の全ての愛は、今や私だけの、唯一人の女神に、捧げられています。私は永遠の咎を背負うべき、罪人です」
 その白さは、余りにも美しく、尊い。
「私は、赦されるでしょうか」
 その瞳は、真っ直ぐに私に向けられている。私は、先輩の信仰が、こんなにも深き白であることを、私は知らずにいた。知り得る場所にいながら、私はそれに想いが至らずにいたのだ。
 私は、壁を踏み越える。先輩のその白さを、受け止めるべきは私なのだ。それを、先輩は女神にすら背信しながら、捧げてくれたのだ。
 それに答えることの出来ない私など、この世界に必要ない、踏み越えて、不安定な彼女の心を抱きとめることが、これからの、私の義務なのだ。
 私は、先輩を、その信仰ごと抱き留める。
「赦されます、貴女の女神が、貴女の全ての信仰を抱きしめましょう。それが、私の貴女への永遠の誓いであり、愛です」
 先輩が、合わせていた両手を、私の背中へと結ぶ。
 その涙に濡れた瞳を、頬とともに私の胸へと捧げてくれる。
「ありがとう。私の涙は、マリア様へと、そして私の笑顔は全て貴女に」
 そう言って、顔を上げた先輩は、その一点の曇りもない瞳で、私を見つめる。私はその言葉に、生涯最後の否定をする。
「違います」
「えっ」
 先輩の瞳は、驚きと戸惑いと、思いも寄らなかったであろう言葉への、空白の心を私の瞳に届ける。
「貴女の涙も笑顔も、怒りも哀しみも喜びも、全てを私が受け止めましょう。貴女が捧げるものの全ては、私が残すこと無く受け取りましょう。この先、生き続ける限り、いえ例え死してこの世界と別れようと、私は、貴女と解れません。死しても尚、私と貴女は永遠です」
 そして、先輩の笑顔は、瞳の滴と交わる。
「それならば、私はもう何も恐れない。私の信仰は、全てが貴女に捧げられましょう。永遠に」
 今日と言う日の全ては、マリア様ではなく、唯一人、我が女神のために。

「ああ、また今日も雪が降るのね」
作品名:捧ぐ光 作家名:雨泉洋悠