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ショウルーム

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「お父さんの会社にいってみたい」
 娘には、ものごころついたときからこう言われ続けてきた。わたしが勤めている会社は大手の広告代理店で、世間一般的には華やかな仕事に類すると思われている。確かに、誰もが知っている有名タレントを使った、テレビCMや販売を喚起するためのプロモーションを企画し、多くの人びとが参加する巨大なイベントを取り仕切っている。
 広告代理店は企業を取引相手とするいわゆるBtoB業態であるが、その仕事内容を一般消費者も含めた広い世間に知ってもらうための、巨大でしかも瀟洒なショールームが本社にはある。娘をここに連れてくれば、父親の会社を理解するだけでなく、こういう華やかな会社に勤めているわたしを、憧憬のまなざしで見てくれるようになるかもしれない。
 しかしわたしは、ここに娘を連れてきたことはないし、これからも連れてくることはないだろう。

 わたしの父親は、あるサッシメーカーに勤めていた。父は営業職として、朝早く出勤し、夜遅く帰ってくる「企業戦士」だった。わたしがまだ小学校の低学年だったときのことである。ベッドにはいって、うつ伏せでマンガ本を読んでいると、父が部屋に入ってきた。ひどく酔っており、酒臭かった。ろれつの回らぬ調子で、わたしに何ごとか大声で話かけてきた。いまでもそうだが、わたしは酔っぱらいが嫌いだった。この夜、ことのほかわたしは、人格が入れ替わったような父が恐ろしかった。わたしは急いで目の前に垂れ下がっていた電灯のひもを引いて灯りを消し、無言で布団をかぶった。
 この振る舞いが、父の激しい怒りを買った。父は布団をひき剥がすと、両肩をつかんでわたしを起こし、つかんだまま体を激しく揺さぶりながら、
「なんなんだよ、親に向かってその態度は!ええっ!」
と大声をあげた。このときほど、大人の腕力のすごさと恐ろしさを思い知ったことはない。わたしはまるで鋼鉄のロボットアームに捕まったように、なすすべもなく揺さぶられた。真っ暗な部屋は、父の怒声と酒臭い息で充満していた。

 小学校の高学年になってから、社会見学で父の勤めるサッシメーカーの工場にいったことがある。定められたコースを歩く見学者たちがガラスごしに眺める中を、たんたんと働く工場の人々は、まるで動物園の獣たちのようだった。
 見学コースが終点を迎えると、その次にショウルームに案内された。ショウルームに足を踏み入れた小学生たちは、いっせいに歓声を上げた。まるでモデルルームのように家屋の一室を完璧に再現し、そこで自社のつくるサッシがいかに重要な役割を果たしているか、を噛んで含めるように説明したパネルが並んでいる。その素材がいかに強靱であるかを実証した動画が、大きなモニターからエンドレスで流れている。
 友人の一人が近づいてきて、感に堪えない、といったような声で「ここ、おまえのお父さんの会社だろ。すげえな」といった。
 しかし、そのときわたしは、あの夜のようなすさんだ腕力をふるう父が勤める会社がすばらしいわけがない、と頭のどこかで考えていた。もうすこし正確にいうと、あの父を、あのような振る舞いをさせるような原因はこの会社にあり、そんな会社が良い会社であるわけがないのだ、と考えたのだった。このショウルームでは、何かが狡く隠されている。ようするにこの場所は「子供だまし」なのだ、と思った。

 今のわたしには、企業が、その体面を美しい建前で飾り立てることを責められるいわれはどこにも無いことがわかっている。しかし、四十を過ぎた今になってもこの頭にこびりついた一つの偏見をぬぐい取るには至っていない。 
 父は今年で七十二歳になる。往年の気力は失せ、すっかり好々爺然としている。あの夜の出来事など、頭の片隅にもないだろう。しかしわたしにとっては、心の中に芽ばえていた人間としての誇りが、大人の腕力と怒声で蹂躙された記憶として、忘れようとも忘れられないものになっている。そして、その記憶が父が勤めていた会社のきらびやかなショウルームの光景とつながっている限り、わたしは娘を自分の会社のショウルームに連れて行くことはできないだろう、と思っている。
作品名:ショウルーム 作家名:DeerHunter