二進数の三次元
.No Title
世の中で本当に幸せな人間はどれくらいいるだろうか。幸せを感じたことがないわけじゃない。しかし、それはあまりに微量だ。お金持ち? イケメン? 才能?彼らの生活には、僕が必死に努力しても届かない幸せがあふれている。
「………」
分かっている。そんなわけがない。皆に与えられる幸せはそれぞれ少ない。その質は違うだろうけれど、勝手に比較して自分を不幸にしているだけだ。
「はぁ」
吐いた息が白い。もうそんな季節だ。夕方は暖かかったのに、深夜は別世界だ。いつもより薄着してしまった不幸が、僕を小さく震わせる。幸せとか、幸せじゃないとか、世界にはどうだってよくって、ただ地球を回しては時間を進めていく。
僕が就職できないのも、バイトをしなくちゃいけないのも、世界さんは同情どころか関心すら示さない。世界様には責任はない。吐いた息が言っている。全てお前のせいだと。
部屋には誰もいない。電気はついていない。
「帰ったときにつけっぱなしにしてると怖いんですよー」
いつの日だったか、バイト先の女が言っていた。それって男がいることを暗に言いたいのか、ただ単にそういう癖なのか。どちらにしたって僕は共感できない。
あんな女のことははどうだっていい。週に一回の楽しみが今日だ。忘れるわけがない。テレビの電源を入れて、最高画質に設定したビデオレコーダーの電源も入れる。さぁ、いよいよ始まる。おなじみのソーカイでダークなオープニングでバイト先の女なんか切っ裂いてくれよ。今日のアーシェはどう暴れるんだろう。
「今日の作画さぼってたなー」
「だんだん話面白くなってきたじゃん?」
「ただの製作者側のオナニーアニメ。見る価値なし。お前らセンスねーな」
「フェリオは俺の嫁。もふもふふにふにすんだ! 異論は認めない」
思いのままに身勝手なことを書き込んでいる。どうせリアルでのお前らなんて、のべつまくなしに語ることなど恥ずかしくて出来ないくせに。相手もいないくせに。いつも自己完結に心酔しているくせに。だからここに書き込んでいるんだろ。僕もそうだから分かる。
「アーシェは理屈抜きに理屈をぶっこわしてくれる。その姿を見ているのが気持ちいい。今までの魔法少女モノにはなかった、爽快感を提供してくれている。その分萌えやキャラのアピールが排他されているけれど、それがまた魔法少女モノの概念を打ち破るスパイスになってもいる」
こいつは話が分かる。まるで僕なんじゃないかと疑うほどだ。顔も知らない同族に親近感を覚える。
その後も、スレッドは有象無象の書き込みで埋められていく。やがて飽きてくればパソコンの電源を落とす。訪れる暗闇。これが居心地のいい空間だ。アニメは暗くしてみるのが当たり前。そして『ルーイン・サーガ』が終わったその後は、毎回掲示板を覗くのを日課にしている。ぼうっと光るテレビに目線を移せば、つけっ放しになっていたテレビからは誰も見ないような安っぽい通販番組がやっていた。毎晩の通販番組がバカのひとつ覚えのように放送されている。昨日も見た商品が同じように紹介され、寸分の狂いもなく同じタイミング、同じリアクションをとるおっさんとお姉さん。
毎日同じことの繰り返し。こんなこと思うのも繰り返しのうち。テレビを消すのもいつものこと。そしてまた明日にはつける。ベッドに入るのも。
(こんな日常を、アーシェはぶっ壊してくれないだろうか)
フリーターで定職ナシ、顔面偏差値底辺組の僕のことを必要としてくれる世界はここじゃない。こんな幻想を抱いているうちに周囲は結婚やら子供やら成功やらを―――。
布団にもぐって携帯でスレッドのリンク集を開く。ネットの世界も僕のための世界じゃない。クソの掃きだまりという意味では正しい。アニメの話でなくとも、あぶれもののいうことは限られている。
『十一月十一日は満月。ついに世界滅亡キタコレ!』
そんなスレッドタイトルを見つけた。どうせ世界滅亡など興味のないアーシェはこないけど見ることにしよう。そういえば、昔は天体望遠鏡を持っている父と一緒に観測につれていかれた―――。もうやめよう、思い出すのは。今、思い出とか、父のこととか、回想したら深手の自傷を負いかねない。
「やべぇ、マジでくるんじゃね?」
「ついに粛清キター! 三十まで童貞貫いた甲斐あったわ。中古どもは濁流に流されろ!」
「海割れたり、世界が核の炎につつまれるんですね!」
「リア充が消え去る日の、歴史の立会人になれるなんて……」
「生産性のないおまいらのほうが消されるって(笑)」
僕と同じことを思っている人間がこんなところにもいるのか。空しいシンパシーにやりきれなくなった。結局、僕は特別じゃない。有象無象の凡庸の一部、社会のベンチウォーマーを痛感させられる。今日もこの世界に僕の活躍できるステージがないことを確認して、特別を呪った。
特別なだけで特別を占有できると思い込んでいる自分も、ついでに。
起きたら起きたで、昨日の絶望から醒めていた。僕の悲しみや苦しみなど、一日で忘れられるほど都合がいい。
恒例の自己嫌悪から始まる朝。今日は昼からバイトだ。もうこのままフリーターでいいや、と心底思っているが、親はそうさせてくれるはずもない。世代や経済が違えば就職の常識や傾向など、言うほど簡単なものじゃないことくらい親は分かりそうなものだ。ただ、正しいのは親だ。していない自分がいくら吼えた所でただの駄犬の喚きにしかならない。
若干遅いブランチを採ってバイトまでの時間、ゲームを始めようとした時だった。インターホンが鳴った。ネット通販で頼んだ覚えはないし、騒がしくした覚えがないから大家さんでも隣の人でもなかろう。もしかしたら実家からの仕送りかもしれない。玄関に向かう。玄関のドアを開けるとそこには誰も居なかった。悪戯なのかと悪態をつきながらドアを閉めようとするが、視線の片隅に何か映る。箱、だった。ただただ無機質な、ベージュ色をしたちょっと大きい、目のないサイコロのようだった。拾い上げて振ってみても音はしない。箱のくせに開けられるような箇所は見つからないし……。本当に悪戯なんじゃないか。箱を放ると、ころころと乾いた音を立てて転がり、止まる。なんとなしに興味が沸いた。『ルーイン・サーガ』の主人公、統治だって、こういうところから特異な日々が始まった。くだらないことかもしれないが、気まぐれに重ねてみたい。
部屋に入って開けようか開けまいか考えた。よくよく見ると、開封出来るところが見あたらない。箱、というよりはただの立方体、目のないサイコロ。明らかに怪しいこの箱をどうしたものか。ふとよぎるのは十一月十一日、今日という日。昨日あんなことを知った次の日に、変化が転がりこんでくるなんて思わなかった。好奇心が勝ってこんな箱を拾ったけれど、特に変化はないようだ。
(もしかしたら、危険なモン……?)
世の中で本当に幸せな人間はどれくらいいるだろうか。幸せを感じたことがないわけじゃない。しかし、それはあまりに微量だ。お金持ち? イケメン? 才能?彼らの生活には、僕が必死に努力しても届かない幸せがあふれている。
「………」
分かっている。そんなわけがない。皆に与えられる幸せはそれぞれ少ない。その質は違うだろうけれど、勝手に比較して自分を不幸にしているだけだ。
「はぁ」
吐いた息が白い。もうそんな季節だ。夕方は暖かかったのに、深夜は別世界だ。いつもより薄着してしまった不幸が、僕を小さく震わせる。幸せとか、幸せじゃないとか、世界にはどうだってよくって、ただ地球を回しては時間を進めていく。
僕が就職できないのも、バイトをしなくちゃいけないのも、世界さんは同情どころか関心すら示さない。世界様には責任はない。吐いた息が言っている。全てお前のせいだと。
部屋には誰もいない。電気はついていない。
「帰ったときにつけっぱなしにしてると怖いんですよー」
いつの日だったか、バイト先の女が言っていた。それって男がいることを暗に言いたいのか、ただ単にそういう癖なのか。どちらにしたって僕は共感できない。
あんな女のことははどうだっていい。週に一回の楽しみが今日だ。忘れるわけがない。テレビの電源を入れて、最高画質に設定したビデオレコーダーの電源も入れる。さぁ、いよいよ始まる。おなじみのソーカイでダークなオープニングでバイト先の女なんか切っ裂いてくれよ。今日のアーシェはどう暴れるんだろう。
「今日の作画さぼってたなー」
「だんだん話面白くなってきたじゃん?」
「ただの製作者側のオナニーアニメ。見る価値なし。お前らセンスねーな」
「フェリオは俺の嫁。もふもふふにふにすんだ! 異論は認めない」
思いのままに身勝手なことを書き込んでいる。どうせリアルでのお前らなんて、のべつまくなしに語ることなど恥ずかしくて出来ないくせに。相手もいないくせに。いつも自己完結に心酔しているくせに。だからここに書き込んでいるんだろ。僕もそうだから分かる。
「アーシェは理屈抜きに理屈をぶっこわしてくれる。その姿を見ているのが気持ちいい。今までの魔法少女モノにはなかった、爽快感を提供してくれている。その分萌えやキャラのアピールが排他されているけれど、それがまた魔法少女モノの概念を打ち破るスパイスになってもいる」
こいつは話が分かる。まるで僕なんじゃないかと疑うほどだ。顔も知らない同族に親近感を覚える。
その後も、スレッドは有象無象の書き込みで埋められていく。やがて飽きてくればパソコンの電源を落とす。訪れる暗闇。これが居心地のいい空間だ。アニメは暗くしてみるのが当たり前。そして『ルーイン・サーガ』が終わったその後は、毎回掲示板を覗くのを日課にしている。ぼうっと光るテレビに目線を移せば、つけっ放しになっていたテレビからは誰も見ないような安っぽい通販番組がやっていた。毎晩の通販番組がバカのひとつ覚えのように放送されている。昨日も見た商品が同じように紹介され、寸分の狂いもなく同じタイミング、同じリアクションをとるおっさんとお姉さん。
毎日同じことの繰り返し。こんなこと思うのも繰り返しのうち。テレビを消すのもいつものこと。そしてまた明日にはつける。ベッドに入るのも。
(こんな日常を、アーシェはぶっ壊してくれないだろうか)
フリーターで定職ナシ、顔面偏差値底辺組の僕のことを必要としてくれる世界はここじゃない。こんな幻想を抱いているうちに周囲は結婚やら子供やら成功やらを―――。
布団にもぐって携帯でスレッドのリンク集を開く。ネットの世界も僕のための世界じゃない。クソの掃きだまりという意味では正しい。アニメの話でなくとも、あぶれもののいうことは限られている。
『十一月十一日は満月。ついに世界滅亡キタコレ!』
そんなスレッドタイトルを見つけた。どうせ世界滅亡など興味のないアーシェはこないけど見ることにしよう。そういえば、昔は天体望遠鏡を持っている父と一緒に観測につれていかれた―――。もうやめよう、思い出すのは。今、思い出とか、父のこととか、回想したら深手の自傷を負いかねない。
「やべぇ、マジでくるんじゃね?」
「ついに粛清キター! 三十まで童貞貫いた甲斐あったわ。中古どもは濁流に流されろ!」
「海割れたり、世界が核の炎につつまれるんですね!」
「リア充が消え去る日の、歴史の立会人になれるなんて……」
「生産性のないおまいらのほうが消されるって(笑)」
僕と同じことを思っている人間がこんなところにもいるのか。空しいシンパシーにやりきれなくなった。結局、僕は特別じゃない。有象無象の凡庸の一部、社会のベンチウォーマーを痛感させられる。今日もこの世界に僕の活躍できるステージがないことを確認して、特別を呪った。
特別なだけで特別を占有できると思い込んでいる自分も、ついでに。
起きたら起きたで、昨日の絶望から醒めていた。僕の悲しみや苦しみなど、一日で忘れられるほど都合がいい。
恒例の自己嫌悪から始まる朝。今日は昼からバイトだ。もうこのままフリーターでいいや、と心底思っているが、親はそうさせてくれるはずもない。世代や経済が違えば就職の常識や傾向など、言うほど簡単なものじゃないことくらい親は分かりそうなものだ。ただ、正しいのは親だ。していない自分がいくら吼えた所でただの駄犬の喚きにしかならない。
若干遅いブランチを採ってバイトまでの時間、ゲームを始めようとした時だった。インターホンが鳴った。ネット通販で頼んだ覚えはないし、騒がしくした覚えがないから大家さんでも隣の人でもなかろう。もしかしたら実家からの仕送りかもしれない。玄関に向かう。玄関のドアを開けるとそこには誰も居なかった。悪戯なのかと悪態をつきながらドアを閉めようとするが、視線の片隅に何か映る。箱、だった。ただただ無機質な、ベージュ色をしたちょっと大きい、目のないサイコロのようだった。拾い上げて振ってみても音はしない。箱のくせに開けられるような箇所は見つからないし……。本当に悪戯なんじゃないか。箱を放ると、ころころと乾いた音を立てて転がり、止まる。なんとなしに興味が沸いた。『ルーイン・サーガ』の主人公、統治だって、こういうところから特異な日々が始まった。くだらないことかもしれないが、気まぐれに重ねてみたい。
部屋に入って開けようか開けまいか考えた。よくよく見ると、開封出来るところが見あたらない。箱、というよりはただの立方体、目のないサイコロ。明らかに怪しいこの箱をどうしたものか。ふとよぎるのは十一月十一日、今日という日。昨日あんなことを知った次の日に、変化が転がりこんでくるなんて思わなかった。好奇心が勝ってこんな箱を拾ったけれど、特に変化はないようだ。
(もしかしたら、危険なモン……?)