花は咲いたか
第四章 その二
夜、宿舎に戻ったうめ花の部屋に何か見慣れないものが置いてある。
女性用のズボンとリボンのついた白いブラウス、そして丈の短いつめ衿の上着が衣紋掛けにかけられていた。真新しいこの一揃いが決して安価なものでないことをうめ花は知っている。
いったい誰が、と思いながら手に取り考えていると、
Γ気に入ったか?」
土方陸軍奉行が、部屋の間の扉を開けて立っている。
Γ奉行...」
うめ花も臨時とはいえ旧幕軍の人間となった。なったからには役職名で土方を呼ぼうとした。
Γその奉行ってのはやめてくれ、だいいち並がつくんだ俺には」
Γでも榎本さんが、並はついても奉行格だからって」
Γ土方でいいよ。それよりどうだ?洋服の方が動きやすいだろうと思ってな」
Γこんな高価なものを、いいんですか?」
Γ俺には宵越しの金なんて必要ないさ、今活きる金を使わなくてどうする」
宵越しって、先のことは考えていないということなのか。
Γありがとうございます、でも...」
Γ明日から着てこいよ、隊士どもがおまえの襟元を見なくてすむようにな」
それだけ言うとや土方は扉を閉めて自室へ戻って行った。すると急に今、土方に言われた襟元が気になり手を広げてみたり、ぐるぐると回してみる。
すると確かに襟元が少しゆるむ気がした。
考えてみると、その襟元を隊士だけでなく土方も見ていたということか。
Γん、もうっ!」
急に洋服がありがたいのかありがたくないのかわからなくなってきた。
銃の訓練はだんだんと厳しくなっていく。うめ花も声を張り上げ、隊士らにも厳しくあたる。一緒に地面に腹這いになり銃を構えたり、撃った反動を覚えさせようと屈強な隊士に体当たりしたりする日々だ。弾に限りがあるために調練に実弾を使うことはできない。それでも仕上げには実弾を使う事で大鳥と土方の許可を得ていた。実弾を撃ってこその射撃訓練だからだ。
大鳥は常に伝習隊の調練に顔を出したが、土方は時々だった。
朝からいない事が多く、夕方調練を見に来ればマシな方でいつも帰りは夜だった。
うめ花が寝台に入った頃、隣の部屋で物音がするので帰って来たことを知る。そうして土方が立てる物音を聞きながらうめ花はいつも眠りに落ちるのだった。
それが今夜は違った。かすかにたてる物音が止むと土方の深いため息が聞こえて来た。そしてそれっきりシンと静まりかえってしまった。でも、土方が眠っている感じとは違う、起きているのだ。
それが気になりだすと、もう眠れない。
肩に羽織をのせると、部屋の間の扉に近づいた。そっと扉に耳をつける、音はしない。時々ストーブの薪がパチンとはじけているだけだった。男の部屋の様子を伺うなど、嫁入り前の娘がする事ではない。それはわかっていた、頭ではわかっているが一度目を覚ました好奇心を止める事ができない。
思い切って扉を叩いてみようと右手を上げた。
Γそこにいるんだろう?入って来いよ」
急にかけられた土方の声に死ぬほど驚いた。左手は扉の取っ手にかけられていたから、驚いた拍子に扉が開いてつんのめった。たたらを踏んであやうく転ぶところだった。
Γ何をやってんだお前は、以外におっちょこちょいだな」
土方は窓辺に立ってあきれ顔でこちらを見ている。
Γあ、すみません...その」
Γ俺が泣いているとでも思ったか?」
Γそんな!ただいつもと違って静かで、目が覚めてしまって...」
土方はうめ花を窓辺へ手招きした。
Γ俺だって泣くさ、人間だからな」
Γいえ、土方さんはいつも毅然としています」
いいやと土方は首を振る。
Γ人は、なぜ生まれてくるのだと思う?必ず死ぬのにな...」
Γ私はそんな難しいことを考えたことはないです。でも止まったら駄目なんだと思います」
俺にも、と土方が話し始めた。
人の命にも限りがある、だから人は何らかの役目を持ってこの世に生を受ける。人によってその役目は違う、だが己れの役目に気づく時なぜか人生の終わりも近いような気がする。今さらながら、近藤も沖田もそうだったのかもしれないと思う。
Γこの頃、ここを留守にしているだろう?毎日、陣を築く場所や敵をどこで迎え撃つか色々と見て回ってる。勝てると信じてな」
五稜郭にいなかった理由が、勝てると信じて戦に臨むことが土方の役目だと言われたような気がした。
Γそんな偉そうなこと言ってみても、時には泣きたいくらい心細くなる。それでこの枝の蕾を見ていた」
Γつぼみ?」
うめ花は窓ガラスの外を見た。
暗い窓の外には、夜の風に揺れる木の枝がかすかに見える。
Γこれは梅だ。梅が冬を越して一番に咲くだろう?それを見ると希望が湧いて来る。俺は何故かわからんが...梅の花が好きなんだ」
窓の外を見ていたうめ花が、土方の顔をはっと振り返る。
Γあ、そういえばお前もうめの花だったな」
うめ花は土方の顔をしっかりと見つめながら、
Γ人は生まれてきて、その役目をまっとうして死ぬのでしょうか。それとも、その役目が途中で変わることもありますか?」
あまりに真剣なうめ花の目に土方は視線を逸らせない。
Γ役目...ほとんどの者はその役目に気づくことなく、一生を終える。気づかぬ方が幸せかもしれん。役目に気づくとな、終わりを知ることが多い。何故かは俺にもわからん」
土方は淡々とうめ花に語った。
近藤がそうだった、沖田もそうだったと次々と試衞館の仲間の顔が思い出された。沖田は剣に生き、剣を奮うことだけに命を使った。自分の生が長くないことを知っていたからか。近藤が流山で、何かを悟ったような目で新政府軍に投降した。その時、近藤は自分の役目に気づいたのではなかったか。
Γさあ、もう遅い。休むといい、俺も寝る」
うめ花の肩にふわりと手を起き、土方は部屋の扉にうめ花を促した。
だが、ぴたりとうめ花の足は止まる。言葉が意思とは関係なく自分の口からほとばしっていた。
Γ私は、役目がひとつだなんて思わない。変わっちゃいけませんか?終わりにしないために変わっちゃいけませんか?」
感情の止め方がわからない。うめ花の声はストーブの火がほの明るい部屋の空気を揺らした。
Γしーっ」
なだめるような声がして、うめ花の身体は暖かさに包まれた。
Γ悪かった、こんな話をして」
うめ花は、ぬくもりの中で首を振った。土方の軍服から、かすかな硝煙の匂いと土埃の匂いがした。
感情を激しく現すことのないうめ花が、感情の受け止め場所を見つけた瞬間だった。虎吉に復讐心を抱いた時も、なにかが自分を止めてくれるのを待っていたような気がするのだ。
Γ梅の花が咲くのはいつ頃だ?」
穏やかな土方の声がうめ花の胸にしみてくる。
Γまだ、ここは梅も桜もいっぺんに咲きますから」
ゆっくり土方の胸から顔を離し、土方の目を見る。
Γおやすみなさい」
Γおやすみ」
続き部屋の間を仕切る扉に身体をすべり込ませたうめ花を、土方は呼び止めたいと思った。
暗い窓の外を言い様のない気持ちで眺めていた自分の、空洞のような心を温め満たしてくれたのはうめ花の言葉と体温だったからだ。
もう一度、この腕のなかにその体温を取り戻したいと思った。
夜、宿舎に戻ったうめ花の部屋に何か見慣れないものが置いてある。
女性用のズボンとリボンのついた白いブラウス、そして丈の短いつめ衿の上着が衣紋掛けにかけられていた。真新しいこの一揃いが決して安価なものでないことをうめ花は知っている。
いったい誰が、と思いながら手に取り考えていると、
Γ気に入ったか?」
土方陸軍奉行が、部屋の間の扉を開けて立っている。
Γ奉行...」
うめ花も臨時とはいえ旧幕軍の人間となった。なったからには役職名で土方を呼ぼうとした。
Γその奉行ってのはやめてくれ、だいいち並がつくんだ俺には」
Γでも榎本さんが、並はついても奉行格だからって」
Γ土方でいいよ。それよりどうだ?洋服の方が動きやすいだろうと思ってな」
Γこんな高価なものを、いいんですか?」
Γ俺には宵越しの金なんて必要ないさ、今活きる金を使わなくてどうする」
宵越しって、先のことは考えていないということなのか。
Γありがとうございます、でも...」
Γ明日から着てこいよ、隊士どもがおまえの襟元を見なくてすむようにな」
それだけ言うとや土方は扉を閉めて自室へ戻って行った。すると急に今、土方に言われた襟元が気になり手を広げてみたり、ぐるぐると回してみる。
すると確かに襟元が少しゆるむ気がした。
考えてみると、その襟元を隊士だけでなく土方も見ていたということか。
Γん、もうっ!」
急に洋服がありがたいのかありがたくないのかわからなくなってきた。
銃の訓練はだんだんと厳しくなっていく。うめ花も声を張り上げ、隊士らにも厳しくあたる。一緒に地面に腹這いになり銃を構えたり、撃った反動を覚えさせようと屈強な隊士に体当たりしたりする日々だ。弾に限りがあるために調練に実弾を使うことはできない。それでも仕上げには実弾を使う事で大鳥と土方の許可を得ていた。実弾を撃ってこその射撃訓練だからだ。
大鳥は常に伝習隊の調練に顔を出したが、土方は時々だった。
朝からいない事が多く、夕方調練を見に来ればマシな方でいつも帰りは夜だった。
うめ花が寝台に入った頃、隣の部屋で物音がするので帰って来たことを知る。そうして土方が立てる物音を聞きながらうめ花はいつも眠りに落ちるのだった。
それが今夜は違った。かすかにたてる物音が止むと土方の深いため息が聞こえて来た。そしてそれっきりシンと静まりかえってしまった。でも、土方が眠っている感じとは違う、起きているのだ。
それが気になりだすと、もう眠れない。
肩に羽織をのせると、部屋の間の扉に近づいた。そっと扉に耳をつける、音はしない。時々ストーブの薪がパチンとはじけているだけだった。男の部屋の様子を伺うなど、嫁入り前の娘がする事ではない。それはわかっていた、頭ではわかっているが一度目を覚ました好奇心を止める事ができない。
思い切って扉を叩いてみようと右手を上げた。
Γそこにいるんだろう?入って来いよ」
急にかけられた土方の声に死ぬほど驚いた。左手は扉の取っ手にかけられていたから、驚いた拍子に扉が開いてつんのめった。たたらを踏んであやうく転ぶところだった。
Γ何をやってんだお前は、以外におっちょこちょいだな」
土方は窓辺に立ってあきれ顔でこちらを見ている。
Γあ、すみません...その」
Γ俺が泣いているとでも思ったか?」
Γそんな!ただいつもと違って静かで、目が覚めてしまって...」
土方はうめ花を窓辺へ手招きした。
Γ俺だって泣くさ、人間だからな」
Γいえ、土方さんはいつも毅然としています」
いいやと土方は首を振る。
Γ人は、なぜ生まれてくるのだと思う?必ず死ぬのにな...」
Γ私はそんな難しいことを考えたことはないです。でも止まったら駄目なんだと思います」
俺にも、と土方が話し始めた。
人の命にも限りがある、だから人は何らかの役目を持ってこの世に生を受ける。人によってその役目は違う、だが己れの役目に気づく時なぜか人生の終わりも近いような気がする。今さらながら、近藤も沖田もそうだったのかもしれないと思う。
Γこの頃、ここを留守にしているだろう?毎日、陣を築く場所や敵をどこで迎え撃つか色々と見て回ってる。勝てると信じてな」
五稜郭にいなかった理由が、勝てると信じて戦に臨むことが土方の役目だと言われたような気がした。
Γそんな偉そうなこと言ってみても、時には泣きたいくらい心細くなる。それでこの枝の蕾を見ていた」
Γつぼみ?」
うめ花は窓ガラスの外を見た。
暗い窓の外には、夜の風に揺れる木の枝がかすかに見える。
Γこれは梅だ。梅が冬を越して一番に咲くだろう?それを見ると希望が湧いて来る。俺は何故かわからんが...梅の花が好きなんだ」
窓の外を見ていたうめ花が、土方の顔をはっと振り返る。
Γあ、そういえばお前もうめの花だったな」
うめ花は土方の顔をしっかりと見つめながら、
Γ人は生まれてきて、その役目をまっとうして死ぬのでしょうか。それとも、その役目が途中で変わることもありますか?」
あまりに真剣なうめ花の目に土方は視線を逸らせない。
Γ役目...ほとんどの者はその役目に気づくことなく、一生を終える。気づかぬ方が幸せかもしれん。役目に気づくとな、終わりを知ることが多い。何故かは俺にもわからん」
土方は淡々とうめ花に語った。
近藤がそうだった、沖田もそうだったと次々と試衞館の仲間の顔が思い出された。沖田は剣に生き、剣を奮うことだけに命を使った。自分の生が長くないことを知っていたからか。近藤が流山で、何かを悟ったような目で新政府軍に投降した。その時、近藤は自分の役目に気づいたのではなかったか。
Γさあ、もう遅い。休むといい、俺も寝る」
うめ花の肩にふわりと手を起き、土方は部屋の扉にうめ花を促した。
だが、ぴたりとうめ花の足は止まる。言葉が意思とは関係なく自分の口からほとばしっていた。
Γ私は、役目がひとつだなんて思わない。変わっちゃいけませんか?終わりにしないために変わっちゃいけませんか?」
感情の止め方がわからない。うめ花の声はストーブの火がほの明るい部屋の空気を揺らした。
Γしーっ」
なだめるような声がして、うめ花の身体は暖かさに包まれた。
Γ悪かった、こんな話をして」
うめ花は、ぬくもりの中で首を振った。土方の軍服から、かすかな硝煙の匂いと土埃の匂いがした。
感情を激しく現すことのないうめ花が、感情の受け止め場所を見つけた瞬間だった。虎吉に復讐心を抱いた時も、なにかが自分を止めてくれるのを待っていたような気がするのだ。
Γ梅の花が咲くのはいつ頃だ?」
穏やかな土方の声がうめ花の胸にしみてくる。
Γまだ、ここは梅も桜もいっぺんに咲きますから」
ゆっくり土方の胸から顔を離し、土方の目を見る。
Γおやすみなさい」
Γおやすみ」
続き部屋の間を仕切る扉に身体をすべり込ませたうめ花を、土方は呼び止めたいと思った。
暗い窓の外を言い様のない気持ちで眺めていた自分の、空洞のような心を温め満たしてくれたのはうめ花の言葉と体温だったからだ。
もう一度、この腕のなかにその体温を取り戻したいと思った。