小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

愛き夜魔へのデディケート

INDEX|2ページ/14ページ|

次のページ前のページ
 

第零楽章【生と死と揺蕩う者の前奏曲(プレリュード)】



 星の、満月の輝きに、夜の静けさに、懐かしさを覚える。
 胸にそそり立った、白銀の杭を握る両の手に、熱を憶える。
 冷たい夜の闇も、月の静かな光も、朽ちかけたその躯を溶かし落とす程の烈しさを持ったこの熱を、冷ましてはくれない。 
 熱の根源を……今なお痛みを発する胸を、彼女はその真紅の瞳で凝視する。

 遥か昔の、当時としては新鋭の攻城兵器によってバラバラに朽ちて、今は無残な屍を晒す石造りの城郭。陽の光を拒むように造られたその部屋……城の最奥の謁見の間だったと思われるそこには、今や命あるものを受け入れる余地(スペース)などどこにもない。
 せいぜい、嘗てこの城が人の立ち入りを拒むような場所だったのをいい事に、勝手に住み着いた人ならざる者……異形の皇女だったものの哀れな残骸が、やたら整った赤絨毯の上に大の字になって斃れているだけだ。
 今尚胸の中心部分、銀の杭が深く打たれた場所から少しずつ、生の証が滲み出る。溢れ出た紅は今尚瑞々しさを保ち続ける体表面を伝って絨毯に流れ、悉く染み込まれて消えゆく。滑らかな手触りのこの杭をまっすぐぶっこ抜けば、紅色の生の証はそれこそ間欠泉のごとく垂直に吹き出すだろう。
 ほんの数ミリ急所である心臓を外れていたのは幸いというべきか、それとも災いというべきか。
 この杭が、自分を、この冷たい地に打ち付け、縛り付けている。目の前の忌々しいそれに唇を噛みながら、皇女はあの時の事を少しずつ、想い出していた。

 かれこれ数十年も昔の話だ。その両手に銀の杭と拳銃を携え、背中に巨大な十字架の形をとった剣を背負い、女王などと呼ばれた自分に単身で立ち向かった若者がいた。
 割といい男だった。はっきり言って、好みだった。その身体に流れる暖かい血を吸い尽くして眷属として永遠に傍に置いておくのも一興だと思った。
 しかし、その体から漂う血の香は、それこそ噎せ返る程濃厚なそれ。自分と同じ人ではない者は勿論の事、同族である人間も数え切れない程その手にかけて来たであろう事は、容易に想像できた。
 赤色(レッド)、暗赤色(ガーネット)、臙脂色(クリムゾン)、紅色(カーマイン)、朱色(ヴァーミリオン)、真紅色(カーディナル)、緋色(スカーレット)……一口に赤色と言っても、この世には様々な赤がある。
 彼女は赤が好きだった。まともな人間であれば五回くらい代替わりしているであろう永い永い年月を、あらゆる赤を啜る事で、若々しく美しい姿を保ち、生きた。
 赤を……血を啜って生きる。彼女は、生まれてこの方その己の営みに疑問を感じた事はない。人がパンと葡萄酒(ワイン)と獣の肉を糧に生を繋ぐように、彼女は人の温かい生の証を糧に、永い永い時を生きながらえてきたのだ。
 
 当然、盲目的に人の命を尊ぶ人の世が彼女のその行いを、もとい、彼女の存在そのものを赦す筈などなく。
 幾人もの狩人とか呼ばれる人間が、彼女のもとへとやってきた。あるときは屈強な戦士、ある時は大自然を手にした若い娘、またある時は復讐心に身を焦がす年端もいかぬ少年。
 可笑しな話だ。人の世は他の命を犠牲にする事で成り立っていると人は言う。自分達とその営みは何ら変わらない癖に、人の命を啜って生きる自分達の行いを彼等は狂ったように非難し、自分達を血に飢えた悪魔と罵り、己の悪を棚に上げ、薄っぺらい正義の御旗を掲げて殺しにかかる。
 だが、そんな者達に待っていた運命はほぼ例外なく、その牙にかかって無残に死ぬるか、生ける屍となってこの世を彷徨うか、はたまたホンの僅かな勇気すら立ち所に萎えて惨めに尻尾を巻いて逃げ帰るか、そのいずれかだ。
 それが彼女は面白かった。自分達を秩序を乱すものとして忌み嫌い、無知で傲慢で利己的な人間が、いざ自分の力が及ばない存在と対峙した時の無様な様相といったらない。
 だからこそ、彼女はそんな“彼”に惹かれたのだろう。今までの者とは質がまるごと違う存在に、興を抱いたのだろう。
 眼に宿るのは狂気。その身を動かしているのは嗜虐心。人でありながら自ら人を捨てた存在。ワインやウイスキーと同じ感覚でガブガブとあらゆる赤に呑んだくれた、限りなく自分と同じようで自分と違う存在……それが彼女の青年に対する第一印象だ。
 …………何故、彼は今尚人であり続けるのだろう。あの時の自分はそんな事を考えた。

 勿論、そんな彼女の想いを彼の青年が解する術はない。人の理屈が人と異なるものに通用する理由などないし、無論、逆も然りだ。
 何より彼は自分を斃す為だけに、わざわざ明るい人里からこんな薄暗い辺境の古城にまでやってきたのだ。理由までは分からないが、それを解しそこにある過ちを……人の愚かさを彼女が糾したところで、その言を解する術などあるはずもないのだ…………人面獣心のこの狩人には。
 ならば、力づく。それも悪くないと思ったから、それも面白いと思ったから、彼女は狩人と対峙した。

 剣が、銃弾が、絶え間なく襲い来る。その爪でそれを跳ね除け、雷を、炎を、浴びせかける。奴はその全てを躱し、捌き、ほぼ瞬時に眼前の彼女へ肉迫する。
 互いの存亡を賭した戦いは数刻ほど続いた。もっとも最後(オチ)は、ついに万策尽きたと思われた狩人の、思わぬ最後の一手(わるあがき)…………。
 いつもどおりの圧倒的勝利を確信し、冷笑を浮かべながら狩人の傍に歩み寄った彼女は、すぐ目の前に倒れ臥した彼の若者が漏らす笑の意を解する事が出来ず。
 当然、身体の中心に銀の杭がそそり立っている事さえ、理解できる筈もなく。何故狩人の……下賎な人間の陳腐な騙し討ちに自分が引っかかってしまったのか、疑問に思う術もなく。
 その激しい胸の痛みと熱に、彼女の体は大地に屈服した。星のない夜空を背景に見上げた狩人の顔には、深い深い笑が刻まれていた。
 それはそれは今まで自分が餌食にしてきた人間達に向けてきたそれより、ずっと冥い笑だった。
 杭がホンの僅かに心臓を外れたのは狩人にも僅かな逡巡があったのか、一端に慈悲でも掛けたつもりなのか、それとも逆に余計な苦痛を長く味わわせるためにわざとそうしたのか。
 とにかくその結果、今日この時までの……まさに悠久のそれに近い永い永い時を、彼女は、ありとあらゆる痛みと共に過ごした。
 “恐怖”も、“怒り”も、“悲しみ”も感じなかった。ただ只管、痛みしか感じなかった。
 奴の中に何があったのか、奴を駆り立てるのは何だったのか、分からないまま彼女は痛みに耐え続けた。

 永劫に限りなく近い苦しみの果てに、痛みの中に見出した何か。それを確かめる為に皇女は白銀の杭を掴む。不浄なる者を退ける力を秘める銀の杭は、一切の容赦なく、握り締めた皇女の両の掌を焼く。
 それでも彼女は、杭を握り締めたその手に力を込める。あの日から……いや、あの日よりずっと前からの疑問に、答えを出すために。
 少しずつ、少しずつ、そこに墓標のごとくそそり立っていた杭は音もなく彼女の胸を離れていき、ついに完全な別離を余儀なくされる。廃墟と化した居城のホールに金属音が響く。城から這い出し、何百年かぶりに両の足で踏みしめた地の感触は、あの時と寸分の変わりもなく。