花は咲いたか
大ホールにたくさんの灯りが入れられ、その頃には湾から祝砲を撃っていた海軍も五稜郭入りしていた。
榎本は金モールで飾られた豪華な軍服の正装。海軍は外国人艦長はじめ士官らも美しい軍服に身を包み、陸軍より派手であった。
フランス海軍は特に、背高く髪は金色に輝き、瞳は青や緑であったから武蔵野楼の妓達の視線を釘付けにしていた。
招待を受けたのは、外国商船の船長達。箱館の名士達。そして華やかなドレスの妓達が接待にまわる。
さながら、話に聞く西洋の舞踏会のようだと土方は思った。
すると、妓達の中に土方の目を引く者があった。
(あれは...)
Γ副長、急いで着替えてください」
我に返ると、鉄之助が眉を寄せて呼びに来ていた。
Γあ?このままじゃダメか?」
Γダメです、埃まみれですから...」
仕方ないな、と土方は兵舎の自室に向かう。
Γ鉄、どうせなら一番上等な軍服を出してくれ」
Γそう言うと思いましたから、用意しています」
衣紋掛けに吊るした軍服を手に、鉄之助は得意そうに土方に掲げて見せた。
Γ誰に見せるわけでもねぇんだがな」
言いわけのように呟く土方だったが、
Γ副長は京にいる頃からお洒落な方でしたから、蝦夷にいてもそのままでいて欲しいですよ」
前線から土埃をかぶったままの軍服で祝賀会に出席するなど、鉄之助のプライドが許さなかった。
真新しい軍服でホールに戻った土方は、ぐるっと見回すとすぐにさっきの娘を見つけた。
まるで、清楚を絵に描いたような娘だった。胸高にキリリと袴を着付け、髪はてっぺんで一束に結んでいるだけだったが、美しかった。
(こういうのを、作られた花畑に咲く白梅とでも言うんだろうな)
江戸でも京でも、よく土方は俳句を詠んだ。特に、春咲く梅の花を詠むことが多かった。
目を細めながらそんなざわめきを眺めていると、よく目立つ金髪が白梅の娘に歩み寄って行く。
(あの馬鹿が...)
Γマドモアゼル、お嬢さんバラをどうぞ」
フランス海軍士官のニコールが近付き声をかけた。
武蔵野楼の女将と話をしていたらしい娘は、振り返り戸惑っている。
Γえ...私に?」
Γそうよ、受け取りなさい」
手を出せずにいると、男は髪に赤いバラを刺した。
Γとてもお似合いです」
そして自然な手つきで、流れるように手をとり甲に唇を寄せたのだ。
Γきゃっ!」
あわてて手を引っ込め男を見ると、金色の髪に縁取られた端正な顔に悪戯っぽい目が微笑んでいた。
Γそこまでだニコール。驚いているじゃねえか、お前の相手はあっちだ」
ニコールとの間に身体を割り込ませたのは、
Γあら、土方さん」
Γ女将」
娘の隣にいた紫のドレスのお慶が艶やかに微笑む。
Γちょうど良かった紹介するわね、私の姪のうめ花よ。元町の写真館にいるから今度写真を撮ってもらうといいわ」
土方は軽く頭を下げると、娘も黙って頭を下げた。
見上げた大きな黒い瞳が、ホールの灯りに煌めいている。
(参ったな、こりゃ白梅なはずだ)
Γお話の途中ですが、この男をもらって行きます。少々酒が過ぎたようなので...」
土方と呼ばれた男はフランス人を海軍の男達のいる所へ連れて行ってしまった。
Γあの人、京を震え上がらせた新選組の副長よ。とても鬼には見えないわね...」
叔母は土方を良く知っているようだった。おそらく妓楼のお客なんだろう。
Γ鬼、ね...」
うめ花にとっては、退屈な祝賀会だった。付き添いのために一緒に来た祖父の勝太郎は、この人混みの中で行方がわからない。
お慶は妓楼の妓達を指図しながら、忙しく客の間を縫って歩いているし。
(暇なのは私だけか...)
うめ花はホールを出た。
Γ夕霧...早く帰りたいね」
愛馬のたてがみを撫でて呟くと、
Γ花魁みたいな名だな」
厩舎の柱に寄りかかる人影が言葉を投げて来た。
Γあっ...」
馬の身体の横から人影を確かめる。
Γ土方さん...」
名前を覚えていたか、と言いながら近付き、
Γいい馬だ、あんたの馬か?」
と夕霧を撫でている。
うめ花は首を縦にコクりとする。
Γ綺麗な馬だから...夕霧」
Γ京の島原にいた有名な花魁だ。この馬には似合いの名だな」
京の島原にいた花魁...。そこまでは知らなかった。
うめ花は冷やかな目で土方を見ると
Γ良くご存知なんですね」
早くどこかへ行って欲しかった。遊郭を遊び歩く男と話などしても楽しくないからだ。
Γお?俺を遊び人と見たな」
面白そうにこちらをじっと見て、おもむろにチョッキの脇ポケットに手を入れる。
Γあぁ、癖だな。失くしたんだった」
と呟きながら
Γそろそろ終わる頃だ。写真館にはその内寄らせてもらおう」
それだけ言うと厩舎を出て行った。
Γ...?」
懐中時計を探したのだろうか?あの時の少し寂しそうな表情が、
(少し気になるけど...)
夕霧のたてがみを撫でながら、胸の奥に何かがひっかかり、それが何なのかうめ花にはわからなかった。
一章 終わり