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君色25年 〜 傘から始まるファンタジー 〜

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物心ついた頃から、そいつは僕のそばにいた。
 最初、名前が分らなかったが、僕は「猫」と心の中で呼んでいた。理由はいろいろある。
 いつも一緒に遊ぶとき、彼女が持ってくるのは毛糸玉と、おやつの煮干しやビーフジャーキーだった。
 中学校に入って同じ教室で見かけるとウトウトしているくせに、夜はいつまでも部屋のあかりが点いていた。
 真っ黒でふわふわな髪と、切れ長の目が印象的な美少女だった。
 ある日・・・あれは多分、小学3年生くらいのこと、それがきっかけだったと思う。

 雨の日だった。僕はくもり空を見上げて、水色の傘を開く。持ち手を伝わって、雨粒の音が太鼓のように手に響く。
 ピロティを出ようとしたとき、パーカのフードを被って空をにらんでいる「猫」が目に入った。どうやら雨具を持っていないらしい。
 家は隣だし、送っていこうかな ——— そう思ったが、あまりに不機嫌な目つきだ。声をかけたとたん引っかかれそうな感じ。やめておこう。
 背を向けて歩き出す。門を出て数メートルした頃、突然後ろから呼ぶ声があった。
「佐川・・・茜くん」
 ふり向くと、フードを被った「猫」がいた。走ってきたのか息を切らしている。
「傘入れて。送ってって?」
 僕が答えるより先に、「猫」は傘に入ってきた。そしてぐいぐい僕の場所をとっていく。
「ちょっと、僕の傘なのに・・・」
「水は嫌いなの。ぬれさせないでよ」
 猫は水が嫌いなんだっけ。そんな話が頭に浮かんできた。
「猫」の名前は、小牧 紫(ゆかり)。自分と同い年。いろいろな事、そしてわがままな一面を、僕はこの日知った。
 もっと紫を知りたい。その気持が動いてはじける時、自然に笑顔がこぼれる。
 中学、高校に上がる頃、僕達の関係は少しずつ変わっていった。
 大学を出たとき、僕は彼女に指輪を渡した。紫は笑って指輪を受け取った。彼女の名前は、佐川 紫になった。

 生まれたときから隣。これからもずっと ——— 。何も知らない僕はそう思っていた。

 紫は、本当に猫なんじゃないかと思うほど動物の、特に猫の豆知識をよく知っていた。
「猫はね、死んじゃう時姿を消すんだよ。」
 そんな事を言っていた時もある。
「やめてくれよ。縁起でもない。」
「大丈夫。私が茜くんの前からいなくなるわけないでしょ?」
「はい、はい。」
「あと、猫の寿命は十年弱なの」
「やめてくれってば! 大丈夫、人間の寿命は約80年だ」
 人間の寿命は、という言葉に、心なしか紫の顔が暗くなった気がした。

 ある秋の日、紫は会社の旅行に出かけた。
 が、紫はその日、いつまでも布団から出てこなかった。
「おーい、遅刻だぞ」
「ん —— 行かない・・・ここにいるぅ・・・」
 そんな生返事だけが返ってくる。
「何言ってんだ。全員参加だろう? バスが来てるぞ。」
 半分体を引きずるようにして紫は玄関を出ていった。

 今思えば、動物は第六感が働くという。紫の好きにさせてやるべきだったかもしれない。
 昼のワイドショー見ていた僕の目に飛び込んできたのは、信じられないニュースだった。
「速報です。◯◯県行きのバスがガードレールを突き破って、下の一般道に落下しました。」
 心臓が跳ねた。◯◯県、紫の行く所だ。その先は、もしかして・・・。
 だが、僕が耳をふさぐより前に、アナウンサーの声が耳に突き刺さった。
「バスは団体旅行客乗せていたようです。現在確認をとった所、××保険会社の社員、状態はかなり酷いようで ——— 」
 猛然と車のキーを手にして、家を出た。
 今までにないほど車をとばした。警察や救急隊員から着信があったが、全部無視した。
「紫・・・頼む・・・無事でいて・・・!」
 1分1秒でも早く紫に会いたい。必死にアクセルをふんだ。
 早く、早く、早く、早くっ・・・!
 だが、信号を抜けようとした瞬間、無情にもランプは赤に変わった。シートに体を投げ出す。
 タイミングよく着信が来る。紫からだ。携帯に飛びかかる。
「紫・・・! 大丈夫!? 事故にあったって・・・ケガは!?」
 紫は何も答えず、話を切り出した。
「すごいね。私、25年も生きちゃった。化け猫だよ、これじゃ。でもね、でも、私・・・」
 紫の声は、いつの間にか震えるような涙声になっていた。
「自分が何でもいいから、もっと茜くんのそばにいたかった・・・!」
「どういうことだよ、紫は人間じゃ・・・」
 そこで言葉を止めた。断言してはいけない気がした。
「ごめんね・・・茜くん。さようなら。」
 通話が切れた。

 そこからしばらく、どこをどう走ったのか分らない。
 気がつくと、ぐしゃぐしゃにつぶれたバスが目の前にあった。
 次々と人が担架で運び出されていく。
 茜の元に、無事だった社員の一人がかけよってきた。
「大変です。佐川さんが見あたらなくて・・・!これ・・・!」
 差し出されたバッグの中を見た。紫のだ。
 時間の止まった腕時計の針。自分と紫の写真。そしてその奥に、携帯があった。メール中になっている。自分宛だ。
 タイトルは何もなかった。ただ一言、左上に文字が書いてあった。

 ありがとう 忘れない だいすき

「猫はね、死んじゃう時姿を消すんだよ。」
「猫の寿命は十年弱なの。」
「私が茜くんの前からいなくなるわけないでしょ?」
 よみがえってくる全ての言葉が、忘れかけた物語のようだった。
「うそつき・・・」
 唇をかみしめて、泣きくずれた。
「うそつき、うそつき・・・紫ぃ ——— !」
 もうきっと呼ぶことのない名前。誰も使わない携帯。
 正午過ぎの空は、あの日紫を入れた傘のような、淡い水色だった。

 フラワーショップを出ると、強い冬の風が、白い菊と紫色の花束、赤い花束をゆらした。
 あの事故から一か月。紫は見つかっていない。葬式もできていない。紫は結局猫なのか人間なのかどちらでもないのか、それすらも分らない。ただ、紫が隣にいた日々と、紫への変わらない想いは本物だと思えた。
 家の階段を上がって、玄関に行くと、小さな黒猫がいた。ふわふわの毛で、目はぶどう色。
「紫っ?」
 そっと手を伸ばしてみる。黒猫は「なんだこいつ」と言わんばかりに、その手のひらに猫パンチをくり出してうなっている。
 僕はふっと笑って、花といっしょに子猫を抱きあげる。
 そして、紫のプロポーズの時と同じ言葉を口にした。
「うちにおいで。隣にいて・・・!」
 たくさんの花の中で、薬指のリングがキラリと光った。
 あの日の、雨粒のように ——— 。