ひとくさり 1
足元を見ると、「路地裏」という文字が羅列されている。
僕は人間で、今立っている所は、路地裏だ。
物が倒されたりする音や、複数の足音が遠くへ行ったり近くへ来たりしている 。はっ、はっ、という、荒い息遣いと、うぇあ、うぇあと、とにかく邪な男の声が聞こえる。聞くところによると、午後十一時の路地裏で、女性が四人の輩に追われているということらしい。
ということは、極自然な展開として、この後今からの僕には、四人の輩と女性の間に両手を広げて割り入り、不遜なる輩共と対決し、或いは圧倒的に、或いは苦戦しながら畢竟奴らを女性から遠ざけ、無事彼女を守りきることが求められる筈だ。音の方向からして場所は、一つ奥の十字路を右に曲がった辺りだ。
僕は――もう何度目になるだろうか、物陰に隠れてその様子を覗いた。
確かに、女性が男四人に、今にも捕まりそうになっていた。男たちは一様にいかつい見た目をしている。
僕は屈伸をして足をぽきりとならし、肩をぐるぐると回して上体をほぐし、アキレス腱をぐいぐい伸ばし、それから背を向ける形で反対方向に踝を返し、アキレス腱を伸ばす時の反動を歩くための初動に利用し、そのまま、この場を去ることにしてみた。その瞬間女性と目が合った気がしたが、気のせいだろう。
「あ! ちょっと!」と言う声が、遠くから空気を伝って響いてくる――それは、逃げ切れずに腕を捕まれた女性が伝法な男共への気の強い抵抗を示した言葉なのか、それとも居なくなろうとする僕へ非難なのか、一瞬気になったが次の瞬間には忘れた。
早くこの場を離れよう。あんな、頭頂部のみに毛が集まったとさかの髪型に、肩と肘におそらく鉄でできている銀色の棘パットを当てた人間は、それだけで既に正気の沙汰ではない。
それが四人も集まった空間に丸腰でいた場合、タックルされた瞬間に僕の体は縦笛よろしく風の吹き抜けやすいつくりになってしまう。
路地裏を早足で抜け、大通りに出た。早く、武器と防具を探さなければならない。涼しい風がほほを撫でたが、これは、何を意味する物かわからない。僕は、通りに沿って行く。
働き疲れた大人達の憩いの場が集まったビルの看板や、排気ガスを撒き散らしながら荒く走っている車のライト、蛍光灯の光がひっきりなしに目に鋭く入ってくる。居酒屋の店前で呼び込みをする若い労働者たちと、それをかまびすしく物色するスーツ姿の人間たち。今は、ひどく物騒なものを探しているのだ、誰も彼もがうるさく騒ぐ街のなかで、目を細め肩を縮め、ただの景色に擬態しなければならない。この街での価値観が、まさか堂々とそれを振り回すことを許すようにできているとは思えない。
路地裏からみて右へ信号を二つ程通り過ぎたところで、何の脈絡もなく、辺り一帯が暗闇になった。
今まで見えていた向こうの景色も暗闇になり、振り返ってみても、やはり暗闇が広がっている。
夜のそれとは異なり、空間自体が黒色で、動こうとしてみると、上も下もわからない妙な浮遊感に襲われるが、かといって本当に浮いているわけでもない。
その空間に、水面に浮かぶ油膜の様な、くすんだ虹色の靄が無秩序に広がったり縮んだり、形を変えながら存在している。
見つけた。ぱちん、と指を鳴らす。
この状況からして、どうやら路地裏から出て武器防具を探しにでる、という僕の選択は、間違っていなかったようだ。
これが出てきたということは、ここまでしか、作られていないということだ。