朗読部先輩
すると「はぁい?」と間延びした いつもの先輩の声が応えたので 僕は慌てふためいて 身を乗り出してみる。
三階の 窓枠の煌きの直下から おさげ髪の先輩の頭が 頬杖をついてぼんやりと 「はぁい?」と呟いているのが見える。
先輩は 中庭の噴水池に映し出される 真っ青な空と大きな楡の木の作り出す 複雑な境界線に 視線を暈している。
細縁の丸い眼鏡が透き通るようで 僕はどうしても 先輩を 真正面から 眺めてみたくなる。
いつもは白磁の肌をした 細い顎に華奢な肩をぴくりと震わせ ほんのりと頬を赤らめ 少し緊張した先輩の瞳は 僕を捕らえてしばし動揺し それからやはり窓外の 光と影とが織り成す複雑な境界線の辺りに 視線を漂わせるのに違いない。
「はぁい?」という かすかにこもった柔らかな声は ほんのわずかな角も無く まろみを帯びた視線そのままに 茫漠とするのだろう。
僕は先輩の頭の天辺を的にして さらにささやかな声で 呼びかける。
先輩は ほんの少し首を傾げ 「はぁい?」 と頷くように 返事をくれる。
ざわざわという葉擦れの音が
幾万にも響いて
先輩の声も
幾重にも重なって
風が凪いだその時に 僕は両手に力をこめた。
身体は あっけなく鉄柵を越え 心地よい無重力が 僕を 祈りにまで昇華させた。
「もう少し。もう少し」
分厚い夏の大気にあやされながら 無声音で呟く僕は 先輩とすれ違う その瞬間を 心待ちにした。
微かに開いた薄い唇 精巧な前歯をいたずらに突付く真っ赤な舌先。
「――先輩」
「はぁい?」
一本調子で間延びした いつもの先輩の声が いま 初めて 僕の瞳を 撫でた。
その一瞬に 永遠を 僕は確かに 生きたような 気がした。
激しく抱き止められて 気遣うように包まれる。
心地よい浮遊感は継続し さんざめく光が モアレ状に彩る先輩の 顔は水面に揺らめいている。
その かすかに微笑むような そして少し 困ったような感情が そっくりそのまま反映する噴水池と 僕はやがて一つになる。
飛沫は三階まで届いたろうか?
僕の四肢は 楡の木陰と夏の空との 複雑な境界線に寄り添って引き伸ばされ
校舎の窓の連なりは 懐かしく 僕を見下ろしている。
不透明な夏は捩れて 三階の窓辺で頬杖をつく先輩のおさげ髪は すずやかな音色で 風と戯れている。
飛沫は三階まで届いたろうか?
「はぁい?」
僕は 空高く手を差し伸べる。耳元に いつもの先輩の 声が聞こえる。