トラウマの祈り
なぜ、死なせてくれないのか。なぜ生きながらにして、生きることができないのか。私の胸の内にある悲哀が私を苦しめる。この悲哀に耐えるだけで、私はエネルギーを費やさねばならない。
生きることも死ぬこともできない。
神よ、私を生かしたいのか。生きながらにして死んでいる私。神よ、悲哀が心の奥から叫び声をあげている。どうしても黙ってくれない。
神よ、悲哀は叫ぶのをやめない。
あの女、あの女が私たち父子を裏切り、あの女は幼い私を置き去りにして、去っていった。私は冷たい部屋の中で一人残された。テレビを前に、泣いた。泣きわめいて、やめることができなかった。あの女は私の母になれなかった。あの女は女であることを放棄し、母になる決意を固めることができなかった。あの女は母として成長することができなかった。
私は悲哀のために、生きることも、死ぬこともできない。
なぜ人が人の命を奪うことができるのか。与えることなどできないというのに。あの女は子供の命を奪った。みずからの快楽のために。邪魔だったから、子供の命を世に出る前に闇から闇へと葬った。なんと忌まわしいことをするのか。みずからの性的快楽のために子供の命を奪うとは。
神よ、あなたはあの女の忌まわしい行為をどのように思うのか。
しかし父すらも、私が邪魔だからと、あの女に「堕胎しろ」と迫ったことを、みずから、私に告白した。しかし、あの女は、不思議にもそれを拒んだのだ。そして私が生まれた。
しかし、私を生み落しておきながら、どうして私を育てられなかったのか。なぜ、父が私を引き取ったのか。しかし、父は私を引き取ったものの、一人では面倒みきれないと思ったのか、子連れの女と再婚したのだった。私はその時、再婚するのは私が成人してからにしてほしいと考えていた。しかし、それまで待てなかった。私は継母と継子に邪魔者扱いされて、毎日心理的にいたぶられていた。挙句の果てには、家にいることができず、日が暮れてもボールを壁にぶつけて、同じことを繰り返すしかなかった。家々の灯りがともっていた。しかし私は、またいたぶられるのか、という思いのために家に帰るのがいやであった。
継母たちの残忍な顔を見ることができなかった。だから暗闇のなかで耐えるしかなかった。それでも、家に帰るしかなかった。帰って、私は自分が何を悪いことをやったのかわからなかったのに、腕を無理やり押さえつけられ、指を曲げさせられ灸をその上にすえられた。父ですらこのとき、継母に加担していた。あの虐待はいったい何だったのか。まったく納得ができなかった。私が何をしたというのか。
近所のババア連中は私たち父子を白眼視していた。気が付いた時には父はまた離婚したのだ。理由は私が継母、継子と仲良くできないからというのがその理由だった。
ババアたちは顔をにやにやさせながら、私たち父子からわざと視線を逸らす。まるで私たち父子はけがれたものでもあるかのように。私が何か悪いことをしないか、常に監視していた。様子がおかしいと思えば私たちの家に入り込んできた。
父は未熟な人間だ。中途半端に良いことをし、中途半端に悪いこともする。そのシーソーゲームのようなことをする父の行動にいつも不安を感じながら私は生きていた。そして子供の私に悪いことばかりを教えて「これが現実だ」などという。父はある宗教団体に若いころ入っていたが、金ばかり取られて、宗教そのものに絶望していたのかもしれない。だから、父にはあの世というものがわからない。
私は幼いころから、妙に心霊的なものに興味をもっていたことを覚えている。赤不動とかいう霊能者がテレビにでていたことを覚えている。しかし霊能者との接触はない。私自身霊的感性は強い人間のようであって、不思議なことにキリスト教徒になってから霊障としか思えないような試練はたびたびあった。
神よ、あなたはなぜ私を生かすのか。生きることも死ぬこともできない私を。
神よ、あなたが私の願いを聞いてくれたことがあったろうか。それでも私はあなたの愛で癒されるのは事実だ。それ以外に私を癒してくれものがないのだから。
母親の腕のなかで幸せそうに甘えている子供を電車のなかで見かけたときのことだった。私はこの子がいかに、幸せな子供だろうと、つくづく感じさせられた。この子には私には与えられなかった母の愛を、その体全身で実感しているのだ。私が地獄をこの世で味わったのを、この子は今、母の腕のなかで不動の愛を感じているのは天国としかいえない。同じ空間を共有している。この子と私。しかし、何人もこの子から母を取り上げることは許されない。
この赤子から幸せを奪う者は呪われよ。
そして私たち父子から母を奪った男よ、きさまも呪われよ。
そして性的快楽のためにあんなにもやさしい父を裏切った、あの女、お前も呪われよ。
お前は確かに不幸な女だった。バスガイドをやっているときに同じバスの運転手に強姦されたお前は確かにかわいそうな女だ。そのトラウマを慰めて、お前の苦しみを共有したのが、他ならぬ父であった。そして父はお前の涙声を黙って耳を傾けて聞いていた。その時の父は、涙するお前が愛おしかったはずだった。だから父はお前を、お前を愛したのだ。
それなのに、お前はその時の涙を忘れ、寂しくてたまらず、父が働いて、一生懸命働いて、幸せになろうとしていたのに、お前は、その時、ほかの男と性的快楽をむさぼり、寂しさを埋めようという愚行に走ったのだった。しかも、裏切り行為を黙っていることができず、わざわざ、二人して父のところへ謝りにくるとはどういうことか。
お前に父の心の傷がわかるのか。お前はいったい何を考えているのか。
例え、わずかながらの幸せさえもお前は守ることができなかった。神がせっかく与えてくださったささやかな父のお前への愛、幸せは、お前にとっていったいそれは何だったというのか。
しかし、今、私にはそのささやかな幸せすら与えられていないというのに、いったいお前はどのような言葉で返事をするつもりなのか。
この家庭という、人生の核となるものをお前は、あの父とともに築けるはずであったのだ。それなのに、お前は私たち父子を裏切った。
私は生きることも、死ぬこともできない。
自分で死ぬことのできるエネルギーがあれば、生きることもそれほど難しくはない。死にたいのは本当は、幸せに生きたいからだ。しかしそれができないから、死にたいということになるのだ。
しかし、私は生きる気力もなければ、死ぬこともできない。
神よ、速く私のところへ迎えにきてくれ。生きていることに疲れ果てたから。
神よ、私は終わりのときが待ち遠しい。そのときは私に限らず、すべての人があなたの前に立つ。そして、あなたの裁きを受ける。何人もあなたの公正な裁きを逃れることはできない。人の眼は誤魔化せても、あなたの眼は決して誤魔化されない。あなたはすべてを見抜いている。
神よ、その時はわたしの苦悶のすべてを必ず思い出してください。