愛を抱いて 32(最終回)
12月24日の朝、私は大きなスポーツ・バッグを抱えて、中野駅から上りの電車に乗った。
電車の中で先程まで、私のそばにいた女の事を想い出していた。
昨夜、彼女は私の腕の中で、いつまでも泣いていた。
今まで彼女は、1人でいる時には、いつも泣いてばかりいたのだ。
新しい朝が来ない気がして、涙を流し続けたのだ。
だから、彼女の笑顔は、いつも懐かしかった。
東京駅の新幹線口の前に、既に川元は来ていた。
私を見つけるなり、川元は云った。
「お前、よく来れたな。
多分寝過ごすと思って、心配したぜ。」
水登は一足先に帰省していた。
「今日は、クリスマス・イヴか…。」
ホームに上がるエスカレーターの上で、私はぽつりと云った。
列車はホームに入っていた。
網棚にバッグを放り上げると、「ビールを買って来る。」と云って、川元は車両の外へ出て行った。
彼女は私の腕の中で、いつまでも泣いていた。
やがて、泣き疲れたかの様に、彼女は静かに眠り始めた。
泣かないで 泣かないで
心が寒いの?
夜はまだ 浅いのに
あなたは 眠るの…?
彼女は安らかに眠っていた。
その寝顔は穏やかで、まるで眼覚めればもう1人だという事に、気づいていないかの様だった。
彼女は最後まで、優しかった。
そして、私は最後に優しかった。
彼女は、ほんのささやかな愛を抱いて、今はただ眠っていた。
ゆっくりとホームが動き始めた。
ビールを半分一息に呑んで、私も眠りに就こうとしていた。
東京の街が、静かに遠ざかって行った。
完
〈六四、愛を抱いて〉
長い間、御愛読有り難う御座いました。
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筆者
作品名:愛を抱いて 32(最終回) 作家名:ゆうとの