私の男
私の男は人見知りで臆病で、いつも大きな体をちぢこめるように歩く。それだけならば世界最大の草食動物であるゾウにもたとえられそうなものだが、心を許すと人が変わったようにはしゃいだり甘えたりするところから、私はよく彼を「大型犬の子犬」と形容する。肉づきのよいところや、よく見ると黒目がちにうるうるとした瞳もそれらしい。人ごみの中で私の手をとり、かばうように先になって歩く彼の姿は、さながら散歩ひもをぐいぐい引っ張る大きな犬のようだ。私は、ひもの端をにぎりしめることしかできない小さな女の子になってしまう。しかし同時に、身をまかせることの甘い心地よさも手離せないでいる。足元がおぼつかないことへの心細さと苛立ちと、寄りかかってもよい相手がすぐそばにいることの安心感。私の思考回路は複雑にからまりあい、それでも、彼の手をふりほどくことは決してない。
私と私の男は離れた土地で生活していて、会えるのは月に一度だけだ。東京で一人暮らしをしている彼の部屋に私が出向き、何日か滞在する。私といるときの彼の感情は、おどろくほどわかりやすい。すべて顔に出てしまっているせいだ。ひと月ぶりに会った朝は、普段どおりを装いながらも尻尾は上下左右にばたばたと振られているのだろうし、帰る夜はこれでもかというくらいに垂れ下がってしまっているのだろう。見えない犬の尻尾の動きを感じ取るたび、私は私の男がいとおしくて仕方なくなる。そして周囲に人がたくさんいる場所でもかまわず、手を伸ばさなければ届かないその頭をくしゃくしゃと撫で回したりして、彼を恥ずかしがらせてしまうのだ。離れているときはなるべくまめに連絡を取るように心がけているけれど、電話で声を聴いたり、メールの絵文字が踊っているのを見るだけでも、彼の尻尾の動く様子をすぐに思い浮かべることができる。
私の男は、心優しいところと素直なところが本当にかわいいのだけれど、ひとつだけどうしても許せないところがある。それは、あまりにも自分に自信を持てないところだ。放っておくと、どこまでも自分をおとしめ、必要以上の卑下を繰り返してしまう。私のかわいい男の持っている価値を認めない人間は、誰であろうと許さない。まして、それが男自身だなんて、これほど悲しいことは他にない。彼が彼自身を否定してしまうようなことがあったら、彼を好きで好きでたまらない私の存在意義など、いったいどこにあるというのだろう。電話口で怒りにまかせていきおいよく放っていた言葉は、いつの間にか涙に濡れていた。その理由を知って、彼も少し泣いていた。泣きながらも彼の見えない尻尾は、きっと左右にゆっくり揺れていたに違いない。ゆるゆると、いかにも気持ち良さそうに。
いずれ私たちは、一緒にいられるようになるだろう。そのための努力を惜しまないことはもちろんだが、何より、恋人としての彼のよさを理解しているのは、世界にたったひとりの私だけなのだ。不意に手の中にやってきた運命の散歩ひもを、私は逃がさないように、大切に強くつかんでいたい。それでこその、私と「私の男」なのだから。