ある夏の話
さきは不機嫌だった。じっとり、と額に浮かんだ汗で張り付いた前髪を払い、隣でしゃがんでアリの行列を眺めている少年を見やる。
「なあ、いつき……お前の言ってるバスっていうのはいつになったらくるんだ?」
真面目で大人しそうな外見とは裏腹に少女の口調は乱暴だった。
とはいえ、常にこの口調というわけではなく、見かけからも想像できる女の子らしい喋り方を普段はしている。ただ、この少年…いつきの前では女の子らしく、など無意味だと悟ってからはどうも素の自分が出てしまうようで。
その少年はというと、さきの声が聞こえていないのか今だアリの行列を眺めていた。
「いつき…いーつーき!おい、馬鹿」
「なぁに?」
名前ではなく馬鹿で反応したことに対してはノータッチを決め込むとして、いつきの手に持っているものを目にしたさきは盛大に溜息をついた。
「いつきくん?その手に持ってるものは何かな??」
「飴」
「それはわかる、見ればわかる」
さきが溜息をついた理由はそんなことではない、
そう問題は少年が14にもなって棒付きぐるぐるキャンデーを嬉しそうに口にしていることとか、その飴のストックが彼の持ってきたトランクに何本も詰められていることとか、そんなことではないのだ。
「おねーさんは何でその飴にアリがたくさんこびりついて挙句動けなくなってるのかって聞いてるんだよ?」
おねーさん、と言いはするがさきといつきは兄妹ではないし、年も同じ14歳中学3年生だ。もちろん家族ではなくただの(ただの?)幼馴染である。
「……アリ、甘いの好きだから…」
なるほど、自分が舐めていたものをあげようと思ったら自分の唾液(+砂糖)にアリが絡められそのまま動けなくなった、ということか。可哀想に…アリもこんな最後想像してなかっただろうに…とよくわからない同情の視線をアリ(いつきの唾液まみれ)に送ると、自分の鞄から350mlペットボトルのリンゴジュースを取り出し一気にそれを煽った。正直、飲まなきゃやってられない。
「これ…どうしよう…」
いつきが不安そうにさきに助けを求める。
「あー…その辺にポイってしときなさい」
田舎だから、いつか土に還る、と適当なことを伝えるとさきはバスのタイムカードを見やった。やっぱり、汚れていて文字が読めない。何度も言うがさきといつきは同い年なのだ。決して先輩と後輩でも姉と弟でも母親と息子でもないのだ。それでもさきがいつきの世話役のようになっているのは、九分九厘いつきが子供っぽいせいだろう。いつきという少年は、生まれて間も無い頃に母親に捨てられて以来、孤児として施設で育てられてきた。その辺の生い立ちの影響もあってか、普通とは言い難い、非常に捻くれた考えを持っていたり、行動をしたりする。(捻くれた、と言っても斜に構えるとか、タバコを吸いたがるとか、そういうことではない。)そんな彼は何故かさきと、さきの祖母の家へ向かおうとしていた。前述したとおり、さきといつきは幼馴染であり昔からとても仲が良かった。さきの祖母とも顔見知りであり、どうせならいつき君も、と祖母が言うから、連れてきたというわけだ。まあ、夏休みに施設にいたって暇なだけだろうしな、と新しく取り出した飴を舐めているいつきを見ながらさきは思う。彼といると余計な被害を被ることがわかりきっているのに結局連れてきてしまった辺り、自分は世話好きなのかもしれない。そんなことに頭を悩ませていると、遠い道の向こうからようやくバスが来るのが見えた。