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隣人への手紙

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「編集部から『手紙』というタイトルを押しつけられ、うっとおしい気分で今パソコンの前に座っている。ふりかえれば自分も、電子メールを含めて無数の手紙を書き、受け手の迷惑も顧みずバラ撒いてきたが、その中で一通だけ、自らが書いた文面を一字一句たがわずに覚えている手紙がある。
なぜ覚えているのかといえば、文章が短いのはもとより、レトリック的に会心の出来だったという手ごたえがあり、さらには送りつけた効果も絶大だったからだ。その文面を、ここに披露する(なんて大層なものでもないが)。

へたくそなギターがとってもうるさいので、
もっとじょうずになってから弾くようにしてください  

               同じアパートの住人より

 今から二十年以上前、自分がまだ独身で一人暮らしをしていた頃、アパートの同じ階の学生と思しき住人がかきならすギターの騒音に耐えかねて、ノートのきれっぱしに殴り書きし、怒りにまかせて郵便受けに放り込んだ手紙である。
 当時自分の部屋にはエアコンどころか扇風機すらなく、夏はガラス戸を締めるわけにはいかなかった。当の学生氏も事情は同じだったらしく、窓を全開にしたもの同士、生の騒音をまともにやり取りする関係だったのだ。
 この手紙の効果は絶大だった。騒音は、その日のうちにやんだ。しかもそれだけでなく、それから一週間もたたないうちに、ギターくんはどこかに引っ越していった。若くナイーブなギターくんにはきつすぎる文面だったのかもしれない。または、ボールペン殴り書きの筆圧に恐れをなしたのだろうか。はたまた単に彼が引越しのタイミングだったのか、いまになっては知るすべもないが。

 なお、この話には後日談がある。
 先月、さる祝賀の会合に出向いたとき、そこに名前を聞けばだれでも知っているミュージシャンがいた。談笑の座の中で、半ば酔ったその人が話すことには、学生時代にアパート住まいをしていたころ、おそらく同じアパートに住んでいたと思われる人からポストに投函された一枚の手紙が、ミュージシャンとしての出発点になった、ということだった。
 その手紙には、彼の不出来な演奏を手ひどくなじる苦情が短い文章で書かれていたという。
 彼が語る時期や場所から、それが自分がかつて投函したあの手紙であることはすぐわかった。 彼はその手紙で受けた恥ずかしさ、屈辱感をバネにして、ギターと歌と作曲の修練に打ち込み、ミュージシャンになれたと、酔いのせいか感傷がこみ上げせいか定かではないが目を赤くしながら、思い入れたっぷりに語った。
 さらに、その手紙は、自分の原点を忘れないために額装して自宅地下のスタジオに飾ってあるのだという。まさか、『その手紙、じつは僕が出したんですよ。感謝してください』などと言い出せるわけもなかった自分は、こっそりとその座を離れた。それにしても、自分が出した手紙が他人の運命を劇的に変えるなんて、人生、長く生きていると面白いこともあるものだ・・・」

・・・などと、ここまで書いてきてやっと気がついた。こんな文章を雑誌に載せて、あのミュージシャン氏に読まれるわけにはいかないということを。ああ、せっかくここまで書いたのに書き直しだ。自分は、腹立ち紛れに乱暴な手つきで、文書ファイルをデスクトップの「ごみ箱」に放り込んだ。
作品名:隣人への手紙 作家名:DeerHunter