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コート

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「明日は国立にある得意先にいきます。お昼いっしょにしませんか?」三村佳恵からメールが入ったのは、子供を寝かしつけ熱いコーヒーを飲みながら一息いれているところだった。
 三村佳恵は、わたしが以前勤めていた会社の同期だ。同期入社の女子は十人ほどいたが、入社から十五年を経た今、勤め続けているのは彼女ともう一人しかいない。その人は既婚、佳恵は独身である。
 わたしは今から五年前、三十三歳の冬に結婚した。相手とは見合いだったが、それをおおやけにするのは憚られ、知人や友人には合コンで出会ったことにしている。ふとした折りにそれを知った両親は、合コンの方が見合いよりよほど恥ずかしいというが、説明するのもなんだか物憂くて、いわれるままになっている。
 夫は子煩悩で、ひとり娘をなめるようにかわいがっている。休日には洗濯も掃除も手伝ってくれ、わたしが起きるのが遅れたときは、簡単な朝食をつくるようなマメさも備えている。中規模ながらも業界では知られた精密機器メーカーの技術者で、給料もけっして少ない方ではない。
 わたしの結婚は、総じて「当たり」だったと思う。

 次の日、約束の正午きっかりに国立駅の北口に姿をあらわした佳恵は、快晴の寒空の下で、はじけるように元気に見えた。
「そのコート、あったかそうね」佳恵は口を開くなり、こう言った。会ったときにお定まりの挨拶をしない、それが佳恵のプライドだったことを思い出した。
「何年ぶりかな」わたしはそれに答えないで言った。
「うーん、佐紀子のお母さんのお通夜以来だから、三年ぶりぐらいかも」
「でもメールしあっているから、そんな久しぶりってかんじがしないね」
「そうだね」
 そこでわたしたちの会話はとぎれた。佳恵は沈黙を埋めるように、わたしに向かってにっこりと笑った。こういう佳恵の如才のなさは、会わなかった三年の間に、ますます磨きがかかったようだ。
「お昼、食べてないよね?」わたしは言った。
「うん。ペコペコ」
「この通りをまっすぐ行くと、おいしいお蕎麦屋さんがあるの。けっこう有名なんだよ」
「いきたい、いきたい」
 わたしたちは、大学通りをまっすぐ歩いた。二時半には娘の幼稚園へ迎えにいかなくてはならない。だから、佳恵と一緒にいられるのは、せいぜい一時間半ということになる。わたしは歩きながら、彼女にそのことを伝えた。
 時代劇のセットに使えそうな蕎麦屋の店内は、お昼どきだというのに意外にすいていた。わたしたちは向かい合って立ったままコートを脱いだ。
「ほんとうにあったかそうね、そのコート」佳恵は腰を下ろしながらまた言った。
「そうでもないの。外側は確かにフワフワして暖かそうだけど、内がわは薄っぺらで、けっこう風通しがいいの」
「へえー、そうなんだ」
 わたしは鍋焼きうどん、佳恵は天ぷらソバを注文した。わたしが煮えたぎる鍋に手をつけられないでいる間、佳恵は大きな海老の天ぷらの端っこをかじり、ソバをひとつまみすすった。そこで彼女は箸の動きを止め、「わたし、結婚するの」と言った。

 佳恵が上司と深い仲になっていることは漏れ聞いていた。それは社内では公然の秘密のようだったが、結婚相手はその上司ではなく、三年後輩の男性だという。
「カツヤよ。知ってるでしょ?」
<勝谷くん>ならよく知っている。新人のころからどこか頼りなげで、自主プレゼンやコンぺも落としてばかりで「負け谷」というあだ名があったぐらいだ。彼にはそういうイメージしか無い。
「智子の言いたいことはわかるよ。しかも、あの性格は基本あいかわらずなんだけど、でもね、あいつ才能あるよ」
 もともと小説や映画にくわしかった<勝谷くん>は、新薬のプロモーション用の映像企画に、その知識とアイデアを存分に活かし始め、大手製薬会社のマーケティング担当者の信頼も絶大で、新規クライアントのコンペにも高い確率で勝てるようになっているという。またプライベートでは映画の脚本を書き続け、昨年は新人脚本家の登竜門として知られている大きな公募コンテストで大賞を穫り、それが映画化されるなど、今や知る人ぞ知る存在になっているという。
 佳恵は、彼のペンネームと、映画の題名を言ったが、わたしは両方とも知らなかった。そして知らなかったことに安堵した。
 佳恵とわたしは、古びた喫茶店に場所を移し、共通の知人の消息について情報交換をした。わたしから差し出す情報よりも、彼女からもらうそれの方が圧倒的に多かった。
「あ、そろそろ智子はお迎えの時間だね。わたしの方もいかなくっちゃ」
佳恵は左手首の腕時計を見ながらいった。

 わたしたちは駅まで戻り、待ち合わせたのと同じ場所で別れた。彼女は別れ際にこう言った。
「そのコート、あったかそうに見えるし、デザインもおしゃれで智子にお似合いだよ。でも、本当に寒い日は着られないね」
「・・・」
 軽く手を振り別れてから十分後、わたしは西に向かう中央線の中で、吊り革につかまって揺れていた。わたしがこのコートを着続けているのは、自分が暖かいからではなく、ほかの人から暖かそうに見えるからだった。これまではそれでもよかった。でもこれからはそれではすまないだろう、そういう年齢になったのだ、と思った。
 電車と道連れに流れる雲を眺めながら、わたしは、このコートをどう処分しようかと、そればかりを考えていた。
作品名:コート 作家名:DeerHunter